【初代貴ノ花】優勝決定戦で苦手北の湖に勝利!2場所優勝を飾った1975年
2022年10月2日 更新

【初代貴ノ花】優勝決定戦で苦手北の湖に勝利!2場所優勝を飾った1975年

初代貴ノ花は、当時の角界で最も人気のあった力士で、名大関として名を馳せました。若貴兄弟の父および師匠であり、藤島親方、二子山親方としても知られています。特に現役時代は、小さな体で大きな体の力士にやっと勝つ粘り強さが、多くの相撲ファンを魅了しました。今回は、貴ノ花が2度の優勝を決めた1975年を振り返ります。

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前年までの貴ノ花

貴ノ花は、1972年11月場所、22歳で輪島とともに大関に昇進。"貴輪時代"の到来かと期待されますが、輪島は大関4場所目に全勝優勝して横綱昇進を決める一方、貴ノ花はなかなか優勝争いに絡めません。1974年には、北の湖にわずか大関3場所で横綱昇進を決められ、貴輪時代ならぬ「輪湖時代」が到来することとなります。

貴ノ花は、横綱昇進には届かないものの、毎場所着実に勝ち越し1974年は3場所で二桁勝利をあげ、徐々に調子を上げていました。

1975年3月場所

優勝争いで単独トップに

前年11月場所に続き、1975年1月場所も二桁勝利をあげ、幸先良い1975年のスタートを切ります。

そして、迎えた1975年3月場所。初日から絶好調で、4日目に平幕の荒勢に負けた以外は順調に勝ち続け、9日目に早々に勝ち越しを決めます。その後も負け知らずで、13日目にはライバルの大関・魁傑に勝利。14日目を終わって、13勝1敗で単独トップに立ちます。それを横綱・北の湖が12勝2敗で追いかける展開。優勝争いはこの二人に絞られました。

13勝1敗
大関・貴ノ花


12勝2敗
横綱・北の湖

苦手北の湖と同点

この場所は、横綱・輪島が途中休場していたため、途中から1横綱、2大関の番付でした。そのため、千秋楽結びの一番は、奇しくも優勝を争う二人、北の湖対貴ノ花戦となります。貴ノ花が勝てば優勝、北の湖が勝てば同点で優勝決定戦です。

結びの一番は、お互いがっぷり四つ。北の湖が投げを決めに行きますが、貴ノ花がギリギリで踏ん張って残ります。一度目に粘られ、二度目も粘られ、三度目の正直でようやく上手投げを決め、北の湖が勝利しました。

最終成績はともに13勝2敗。二人が同じ日にもう一度、優勝決定戦で相まみえます。

13勝2敗
横綱・北の湖
大関・貴ノ花

ついに初優勝!

本割では惜しくも敗れた貴ノ花。横綱になってからの北の湖の強さは凄まじく、貴ノ花にも安定して勝つようになっていました。一方、貴ノ花はとにかくファンが多く、判官贔屓もあいまって、この場所は貴ノ花の応援一色でした。

迎えた優勝決定戦。北の湖が右で上手を取り、貴ノ花が左で深く下手を取って頭をつけます。北の湖は思い切って上手投げに行きますが、粘る貴ノ花。そして、貴ノ花が十分な体勢になったところで一気に寄り切り、北の湖は土俵を割ります。ついに、貴ノ花が初優勝!場内は、かつてないほど座布団が乱れ飛び、角界のプリンス、貴ノ花の人気がいかに凄かったかが窺い知れます。

優勝旗は本来なら審判部長が授与すべきところ、協会の粋な計らいで、実兄で師匠の二子山審判部副部長から手渡されました。

北の湖vs貴ノ花 (昭和50年三月場所・優勝決定戦)

1975年9月場所

優勝争いに残る活躍

1975年3月場所の優勝で、綱取りへの足がかりができたものの、翌5月場所は9勝6敗と平凡な成績。さらに7月場所は初日から4連敗の後、肝臓炎・慢性腸炎で途中休場してしまいます。綱取りが一転してカド番です。

1975年9月場所は、9日目に1敗力士がいなくなる、やや波乱の展開。貴ノ花は、2日目早々に小結・富士櫻に敗れるも、その後は勝ち続け、12日目を終わって10勝2敗と優勝争いのトップに立ちます。

優勝争いは、以下の4人に絞られました。

10勝2敗
横綱・輪島
大関・貴ノ花


9勝3敗
横綱・北の湖
関脇・三重ノ海


中でも、輪島、北の湖、貴ノ花は直接対決が残っていて、勝負の行方から目が離せません。

再び北の湖と同点

迎えた13日目、貴ノ花は苦手の北の湖戦。結果は寄り切りで敗れ、ついに北の湖に追いつかれます。輪島も黒星を喫し、三重ノ海も敗れ、輪島、北の湖、貴ノ花の3力士が10勝3敗で並びました。

貴ノ花は、14日目に輪島を破り、15日目には大関・魁傑を破って2連勝。北の湖は逆に14日目に魁傑、15日目に輪島を破って2連勝。二人は一歩も譲らず、最終成績12勝3敗で並びました。

12勝3敗
横綱・北の湖
大関・貴ノ花


3月場所に続いてまたしても、貴ノ花と北の湖の同点決勝です。

2度目の優勝!

本割では6連敗と、徐々に北の湖に勝てなくなってきていた貴ノ花。優勝決定戦も、大方の予想は北の湖有利でした。しかし、人気は圧倒的に貴ノ花。二人の取組を、テレビに釘付けになって観戦していたファンも多かったようです。

優勝決定戦は、貴ノ花が素早く得意の左四つに切り替え、早々に仕掛けます。北の湖をぐっと吊り上げ、土俵際で体を捻りながら上手投げ。わずか10秒で優勝決定戦を制し、見事2度目の優勝を果たしました。客席は拍手喝采の大盛り上がり。再び綱取りへの道が復活します。

北の湖vs貴ノ花 (昭和50年九月場所・優勝決定戦)

在位50場所の名大関

翌1975年11月場所は8勝7敗で、綱取りは白紙となるも、その後は安定して勝ち越しを続け、引退するまで大関の地位を守り抜きます。大関在位50場所は当時の最長記録で、1972年11月場所に大関に昇進し、1981年1月場所で引退するまでの間、(休場を除くと)負け越しはたった一度だけでした。自身の横綱昇進は果たせなかったものの、後年、二人の息子が父の悲願を叶えています。
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