高島忠夫さん、老衰で死去 88歳
所属事務所の東宝芸能が28日、報道各社にファクスで発表で公表しました。
かつてのフジテレビ系「ゴールデン洋画劇場」の解説が懐かしく思い出されます。
在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
高島忠夫さん、老衰で死去 88歳 政宏&政伸兄弟の父 : スポーツ報知
"八つ墓村" - 解説高島忠夫 (ゴ-ルデン洋画劇場) + CM
息子(政宏・政伸)も俳優として活躍しており、もっとも有名な芸能一家として常に人々の関心を集めてきた高島一家。
一家の大黒柱である忠夫がうつ病を患ってしまい、その後一時的に復帰したものの、表舞台から姿を消してしまっている。そんな高島一家の長である高島忠夫の活躍を振り返ってみたい。
デビューは、「新東宝スターレット」
本名の高嶋を高島に変えて芸名を高島忠夫とし、1952年の映画「恋の応援団長」で映画デビューを果たす。1950年代~60年代にかけて100本以上の映画に出演をしており、「坊ちゃんシリーズ」は特に当たり役となって人気俳優となっていった。
1963年に宝塚女優であった寿美花代と結婚
妻の寿美とはおしどり夫婦のイメージ通りに夫婦げんかをしたことがなかったそう。
二人の仲睦まじい様子がよく見られたのは、テレビ番組「ごちそうさま」であった。
1971年に始まったこの番組は、高島夫妻がゲストを招き、料理を紹介する番組で1996年に司会が交代するまで高島夫妻の司会で放送されていた。
1964年に長男の道夫ちゃんが生後5カ月で殺害されてしまう。なんと犯人は当時の住み込みで働いていたお手伝いの少女だった。寿美花代は、今でもこの事件を忘れることが出来ず、お風呂に入っても湯船に浸かることは出来ないと打ち明けている。
テレビ・バラエティーの司会として大活躍!
「クイズ・ドレミファドン!」では、テンション高くまくし立てるような司会ぶりが好評で、この番組で頻繁に使っていた親指を立てたポーズの「イエーイ!」のフレーズは、今でも高島忠夫いや高島ファミリーの代名詞となっている。
「ゴールデン洋画劇場」の司会は、まだ映画をブラウン管の前で家族みんなで楽しんでいた時代に映画スターでもあった高島忠夫の起用は秀逸であった。「日曜洋画劇場」の淀川長治、「金曜ロードショー」の水野晴郎とこの3名の映画解説は今でも記憶している人は多いと思われる。
ヤングチームとアダルトチームに分かれて解答をするクイズ番組「クイズ!年の差なんて」では、アダルトチームの重鎮として活躍、ヤングチームから「イエーイ!」と名前ではなく愛称で呼ばれて親しまれていた。
忘れてならないのは、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の総合司会を第1回~12回まで務めている。福留功男や福澤朗が務めていたのは「出題・海外リポーター」で総合司会はスタジオで進行をしていた高島忠夫であった。
アルコール依存、うつ病の発症、パーキンソン病など、闘病の日々
「うつ」への復讐
しかし、やせた頃から飲酒を再開し、不眠症と酒と睡眠薬に頼って眠る日々が続いてしまい、アルコール依存症となっていた。
その後、1998年に母親の入院やレギュラー番組での司会交代などがきっかけで重度のうつ病となってしまい、「ゴールデン洋画劇場」などを降板し治療に専念する。翌年に仕事復帰し、2003年ごろから徐々に芸能活動を再開している。
自身のうつ病との闘病生活を綴った書籍(「うつ」への復讐)を出版。その後、書籍をドラマ化し日本テレビで放送された。
その後は、パーキンソン病を発症し、2013年に『独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜』が放送され5年ぶりのテレビ出演となった。
その後、2017年に初孫が誕生したが、メディアへの出演は無くなっている。
高島一家で勢ぞろいした姿を
日本の芸能界を支えたと言っても過言ではない「高島ファミリー」が勢ぞろいした姿は2013年のテレビ出演以降無くなってしまっている。
不仲説が囁かれている政宏・政伸の従姉妹でもある高嶋ちさ子を含めた高島ファミリーの勢ぞろいする姿をテレビの中で見られる日が来ることを祈って。