提灯
昭和時代には、観光地でしか買えないお土産があり、観光地の名前が入った提灯もその1つです。
各地の提灯を集めるのが趣味だった人も多いのではないでしょうか?
明治末期の生まれだった私の祖父も、自室に全国各地の提灯を飾っていたのを覚えています。
私も中学の修学旅行で関西に行ったときに、祖父に提灯をお土産に買って帰ったところ、大変喜ばれました。
近隣の提灯ばかりになってしまうので、遠方であまり買えない地域の提灯は貴重だったのでしょう。
いつの間にか観光地の土産物屋さんで、提灯を見かけなくなりましたが、なぜ見かけなくなってしまったのでしょうか?
各地の提灯を集めるのが趣味だった人も多いのではないでしょうか?
明治末期の生まれだった私の祖父も、自室に全国各地の提灯を飾っていたのを覚えています。
私も中学の修学旅行で関西に行ったときに、祖父に提灯をお土産に買って帰ったところ、大変喜ばれました。
近隣の提灯ばかりになってしまうので、遠方であまり買えない地域の提灯は貴重だったのでしょう。
いつの間にか観光地の土産物屋さんで、提灯を見かけなくなりましたが、なぜ見かけなくなってしまったのでしょうか?
土産物屋に訊くと製作していた業者は中国に工場があり、日中関係の悪化で工場が閉鎖したため製造ができなくなったと話していました。
他の土産物屋でも製作依頼しても作ってくれないので仕方なしに10cmほどのミニ提灯を作って販売しているとのことでした。
なんと、理由の一つは日中関係の悪化だったようです。
意外な理由でした。
なんとなく、観光地名の入ったお土産物を飾る人が少なくなったなどの理由かと思っていましたが、製造側の理由もあったようです。
観光地名の入った提灯がズラーっと飾られた今は亡き祖父の部屋…。
祖父が住んでいた家も随分前に解体されてしまったので、もう見ることは叶いませんが、頭の隅に鮮明に残っています。
レトロで粋な土産物でしたね。
意外な理由でした。
なんとなく、観光地名の入ったお土産物を飾る人が少なくなったなどの理由かと思っていましたが、製造側の理由もあったようです。
観光地名の入った提灯がズラーっと飾られた今は亡き祖父の部屋…。
祖父が住んでいた家も随分前に解体されてしまったので、もう見ることは叶いませんが、頭の隅に鮮明に残っています。
レトロで粋な土産物でしたね。
ペナント
提灯とセットで思い出されるのが、観光地名入りのペナントです。
観光地名の入ったペナントも、昭和時代のお土産の定番でした。
若い人や子供へのお土産は、提灯よりもペナントの方が手軽でしたね。
実はペナントのルーツは欧米にあり、騎士が槍につけた「ぺノン」と、船舶に掲げられる「ペンダント」の合成語だということです。
ペナントは日本のお土産の定番とばかり思っていましたが、西欧の騎士にルーツがあるということで、ロマンがありますね。
日本では、大学の山岳部が登頂の際に山頂でペナントを立てていたので、1950年代に山小屋が記念品として製作したことが始まりです。
それが山以外の観光地にも広まり、お土産の定番となりました。
ペナントというと真っ先に思い出すのが「富士山」なのは、ルーツが登山だったからなのですね。
観光地名の入ったペナントも、昭和時代のお土産の定番でした。
若い人や子供へのお土産は、提灯よりもペナントの方が手軽でしたね。
実はペナントのルーツは欧米にあり、騎士が槍につけた「ぺノン」と、船舶に掲げられる「ペンダント」の合成語だということです。
ペナントは日本のお土産の定番とばかり思っていましたが、西欧の騎士にルーツがあるということで、ロマンがありますね。
日本では、大学の山岳部が登頂の際に山頂でペナントを立てていたので、1950年代に山小屋が記念品として製作したことが始まりです。
それが山以外の観光地にも広まり、お土産の定番となりました。
ペナントというと真っ先に思い出すのが「富士山」なのは、ルーツが登山だったからなのですね。
しかし、やがて高度経済成長もバブル期に入ると、旅行の目的が「観光」そのものからグルメやブランド物のショッピングなどの付加価値へと移行し、観光記念品はそうしたブームから取り残される形となり、「観光ペナント」は廃れることになったのです。
なお、海外の「観光ペナント」は、わが国よりも古くから存在し、また、21世紀となった現在も販売されています。このことから、わが国の「観光ペナント」は日本の高度経済成長期に特徴的に存在したという意味において、お土産品として極めて特殊な存在感を示しているのだということができるでしょう。
1950年以降の旅行ブームに乗って、お土産の定番となったペナントですが、旅行の目的が「観光」がメインではなくなったことで、廃れていったようです。
確かに旅行の目的がどこに行ったのか?よりも何をしたか?に変わったように思いますね。
寂しいですが、理由に納得です。
確かに旅行の目的がどこに行ったのか?よりも何をしたか?に変わったように思いますね。
寂しいですが、理由に納得です。
こけし
via ja.wikipedia.org
そしてなぜかこけしもお土産の定番でした。
昭和時代にはどこの家にもこけしが1つ、2つ飾られていましたね。
現在も外国人なら、お土産として好まれそうです。
とはいえ日本人には、好きな人は好きだけど、興味の無い人も多いように思いますね。
なぜこけしがお土産の定番だったのでしょうか?
昭和時代にはどこの家にもこけしが1つ、2つ飾られていましたね。
現在も外国人なら、お土産として好まれそうです。
とはいえ日本人には、好きな人は好きだけど、興味の無い人も多いように思いますね。
なぜこけしがお土産の定番だったのでしょうか?
「こけし」が誕生したのは、江戸時代後期の東北の温泉地。ろくろを使用して椀(わん)や盆などを削り出す木地職人が、余材を利用して子どものおもちゃを作ったのが始まりとされる。当初は幼児でも握れる小ぶりなものだったというが、土産物として湯治客に販売して人気が出ると、各温泉地でさまざまな形やサイズ、模様のものが登場した。
なんとこけしの誕生は、江戸時代後期まで遡ります。
東北の温泉地で木地職人が余材を利用して子供のおもちゃを作ったことが始まりとされていますが、湯治客のお土産として人気になっていきました。
そして各温泉地に広まっていったそうです。
土産物としてのこけしの歴史は古く、提灯やペナントよりも古くから親しまれていたのですね。
形や大きさ、そして顔がそれぞれ違うのが魅力です。
東北の温泉地で木地職人が余材を利用して子供のおもちゃを作ったことが始まりとされていますが、湯治客のお土産として人気になっていきました。
そして各温泉地に広まっていったそうです。
土産物としてのこけしの歴史は古く、提灯やペナントよりも古くから親しまれていたのですね。
形や大きさ、そして顔がそれぞれ違うのが魅力です。
#お土産こけし 昭和の名品。癒される〜😊#昭和レトロ pic.twitter.com/AThmnOkvUX
— 昭和レトロショップすずらん堂&雑貨喫茶Chique official【公式】 (@suzurandou) February 2, 2022
まりも
via www.amazon.co.jp
続いて貰うと嬉しかったのが、まりもです!
子供の頃まりもは生きていると聞いたので、ペットのようにも思えて嬉しかった覚えがありますね。
でもまりもって一体何なのでしょうか?
お土産の定番として見かける球状のまりもは、北海道阿寒湖と秋田県獅子ヶ浜湿原にのみ生息する天然記念物です。
そんな貴重な物がなぜお土産として売られていたのでしょうか。
実はお土産のまりもは、養殖した糸状の藻を人工的に丸めてあの丸形にしています。
天然記念物は守らなければいけませんし、手軽に買えるお土産として当然と言えば当然ですね。
まりもは植物なので、エサは要りませんが光と綺麗な水が必要です。
「まりものごはん」などもありますが、植物の栄養剤に近い成分で作られていました。
植物だから餌を食べることはないのですね。
ペットというよりも、サボテンや観葉植物に近かったようです。
ただまりもは現在もお土産の定番として活躍していますので、お土産のロングセラーですね。
子供の頃まりもは生きていると聞いたので、ペットのようにも思えて嬉しかった覚えがありますね。
でもまりもって一体何なのでしょうか?
お土産の定番として見かける球状のまりもは、北海道阿寒湖と秋田県獅子ヶ浜湿原にのみ生息する天然記念物です。
そんな貴重な物がなぜお土産として売られていたのでしょうか。
実はお土産のまりもは、養殖した糸状の藻を人工的に丸めてあの丸形にしています。
天然記念物は守らなければいけませんし、手軽に買えるお土産として当然と言えば当然ですね。
まりもは植物なので、エサは要りませんが光と綺麗な水が必要です。
「まりものごはん」などもありますが、植物の栄養剤に近い成分で作られていました。
植物だから餌を食べることはないのですね。
ペットというよりも、サボテンや観葉植物に近かったようです。
ただまりもは現在もお土産の定番として活躍していますので、お土産のロングセラーですね。
via ja.wikipedia.org