サイババの生い立ち
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1940年10月20日にサイババが家を出てからインド各地で説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになり、サイババの名前は次第にインド全土に広がっていった。
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1960年代末には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった。サイ・ババの講話を編纂した書籍とサイ・ババとの体験をつづった本は数百冊出版され、さまざまな国で翻訳されるようになった。
サイババの教えとは?
「カーストはただ1つ、それは人類というカースト。宗教はただ1つ、それは愛という宗教。言語はただ1つ、それは心という言語。神はただ1つ、そして、神は遍在」
「すべての人を愛し、すべての人に奉仕せよ」(Love All, Serve All)
「つねに助け、決して傷つけてはならない」(不殺生の思想)
「愛(プレーマ)は私の姿、真実(サティヤ)は私の息吹、至福(アーナンダ)は私の糧、私の人生が私のメッセージ、拡大が私の人生、愛に理由はなく、時を選ばず、生じることも滅びることもない」
1990年代に到来した空前の【サイババ】ブーム
彼の行った奇跡の中で一番有名なのが、物質化現象と呼ばれるもので、手から聖灰や貴金属、腕時計を出すものが、最も有名な奇跡として挙げられている。
1960年代末には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった。
サイ・ババの講話を編纂した書籍とサイ・ババとの体験をつづった本は数百冊出版され、さまざまな国で翻訳されるようになった。
1990年代には、シャンカルダヤール・シャルマー元インド大統領や、ナラシンハ・ラーオ元インド首相らがサイ・ババを表敬訪問した。
日本では青山圭秀がサイ・ババを取り上げ、『理性のゆらぎ』(1993年)、『アガスティアの葉』(1994年)、『真実のサイババ』(1994年)を出版、ベストセラーとなった。
1999年には、ビル・クリントン元アメリカ大統領がプッタパルティーに訪れ、サイ・ババと面会している。
1960年代末には海外にもその名が広まり、インド人やインド系の民族を中心に世界各国に数百万人以上の信奉者をもつようになった。
サイ・ババの講話を編纂した書籍とサイ・ババとの体験をつづった本は数百冊出版され、さまざまな国で翻訳されるようになった。
1990年代には、シャンカルダヤール・シャルマー元インド大統領や、ナラシンハ・ラーオ元インド首相らがサイ・ババを表敬訪問した。
日本では青山圭秀がサイ・ババを取り上げ、『理性のゆらぎ』(1993年)、『アガスティアの葉』(1994年)、『真実のサイババ』(1994年)を出版、ベストセラーとなった。
1999年には、ビル・クリントン元アメリカ大統領がプッタパルティーに訪れ、サイ・ババと面会している。
サイババの起こした奇跡とトリックについて
ビブーティー(聖灰)や指輪や時計、ネックレスやフリーサイズの腕輪などを出現させたりする奇跡について、サイババは「私や私の本質を知ろうと試みて時間を浪費する必要はありません。その教師は誰かということではなく、私が教えていることを理解しなさい。というのも、私は皆さんの知性と力を超えているからです。皆さんは私の行いを通してのみ、私を理解するでしょう。そのため私は、私が誰かを明かすために、私の『名刺』であり皆さんが奇跡と呼んでいるものを皆さんに見せるのです」と述べている。
【サイババの奇跡はトリックか?】
2003年、テレビ朝日『ビートたけしの超常現象マル秘ファイル』にて、奇術師で疑似科学批判家のジェームズ・ランディがサイババを「下手な手品」と断じてトリックを暴いている。
2003年、テレビ朝日『ビートたけしの超常現象マル秘ファイル』にて、奇術師で疑似科学批判家のジェームズ・ランディがサイババを「下手な手品」と断じてトリックを暴いている。
【動画】手から聖灰を出すトリック - YouTube
サイババが手からビブーティ(聖なる灰)を出してみせる「物質化現象」はトリックにすぎないという検証の動画
via www.youtube.com
サイババに対する批判
1990年代末から2000年にかけてサイババに対する批判が高まった。
インド国外では、元信奉者のバサヴァ・プレマナンドやイギリス・ウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーらが、「サイ・ババの物質化は手品であり、青少年に性的虐待をしている。サイ・ババの病院では臓器売買が行われている」と主張した。
サイババによる少年への性的虐待の証言は多く出ており、その証言が具体的かつ似ていることから、サイババが同性愛者で信者に性的虐待を行なっていた(美少年愛嗜好者)のは事実であると見る人も多い。
また、サイババを称えるスウェーデン語の本を出版するなど、サイババの布教啓蒙活動を熱心に行なってきたサイババの最も近しい弟子の一人であったスウェーデンの元映画スター、コニー・ラッソンは1979年から5年間で数十回の性的虐待を受けていたと公表。
サイババが座る椅子のクッションをめくってみると、そこには時計や指輪やブレスレットがあらかじめ隠してあったことや、サイババの叔父はプロの奇術師で、サイババも子供の頃から奇術の訓練を受けていたことも明かしている。
ヒッピーとなりインド周辺国を2年間放浪したこともあるパンタ笛吹の著書『裸のサイババ』では、世界各地から集まってきた信者の中から気に入った少年を別室に連れこみ、性的なイタズラを行い、時には性行為も強制していたという事実が、実際に被害にあった数々の元信者の証言として克明に記されている。
さらに、1993年にサイババの住居で4人のサイ学校の生徒がサイババを殺害するため寝室に侵入しようとして、サイババの世話係をしていた2人の人物をナイフで刺殺し、彼らも駆けつけた警察官に全員射殺されたという事件が起こった。
4人の学生たちは警察に捕まった後で至近距離から射殺されており、不審な点が多く残ったまま捜査は打ち切られてしまった。サイババはこの事件に関して、生徒たちの嫉妬が原因であると語っている。
2000年には、これらをもとに、ヨーロッパのマスコミがスキャンダル記事を掲載、イギリスのBBCは特集番組を放送し、さまざまな波紋を生んだ。
欧米諸国、特に北欧とオランダではデンマークの映画 "Seduced by Sai Baba" の公開以降、信奉者が減少した。
インド国外では、元信奉者のバサヴァ・プレマナンドやイギリス・ウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーらが、「サイ・ババの物質化は手品であり、青少年に性的虐待をしている。サイ・ババの病院では臓器売買が行われている」と主張した。
サイババによる少年への性的虐待の証言は多く出ており、その証言が具体的かつ似ていることから、サイババが同性愛者で信者に性的虐待を行なっていた(美少年愛嗜好者)のは事実であると見る人も多い。
また、サイババを称えるスウェーデン語の本を出版するなど、サイババの布教啓蒙活動を熱心に行なってきたサイババの最も近しい弟子の一人であったスウェーデンの元映画スター、コニー・ラッソンは1979年から5年間で数十回の性的虐待を受けていたと公表。
サイババが座る椅子のクッションをめくってみると、そこには時計や指輪やブレスレットがあらかじめ隠してあったことや、サイババの叔父はプロの奇術師で、サイババも子供の頃から奇術の訓練を受けていたことも明かしている。
ヒッピーとなりインド周辺国を2年間放浪したこともあるパンタ笛吹の著書『裸のサイババ』では、世界各地から集まってきた信者の中から気に入った少年を別室に連れこみ、性的なイタズラを行い、時には性行為も強制していたという事実が、実際に被害にあった数々の元信者の証言として克明に記されている。
さらに、1993年にサイババの住居で4人のサイ学校の生徒がサイババを殺害するため寝室に侵入しようとして、サイババの世話係をしていた2人の人物をナイフで刺殺し、彼らも駆けつけた警察官に全員射殺されたという事件が起こった。
4人の学生たちは警察に捕まった後で至近距離から射殺されており、不審な点が多く残ったまま捜査は打ち切られてしまった。サイババはこの事件に関して、生徒たちの嫉妬が原因であると語っている。
2000年には、これらをもとに、ヨーロッパのマスコミがスキャンダル記事を掲載、イギリスのBBCは特集番組を放送し、さまざまな波紋を生んだ。
欧米諸国、特に北欧とオランダではデンマークの映画 "Seduced by Sai Baba" の公開以降、信奉者が減少した。
2000年代以降、社会奉仕事業で再び高く評価されたサイババ
2001年以降、無料の病院や学校、水道設備の供給といったサイ・ババの社会奉仕事業が高く評価されて再び信奉者が増え始めた。
2001年、国連ハビタットはサイ・ババの提唱するヒューマンバリュー教育(EHV)を用いた水教育をアフリカ諸国で開始した。
2004年には国連ハビタットとアジア開発銀行がサイ・ババのヒューマンバリュー教育をアジア太平洋地域の水教育に導入するプロジェクトを開始した。
サティア・サイの名前を冠した教育機関は、2007年時点で、小・中・高・大学合わせてインド国内に88校、インド国外に41校あり、中でもインドのプラシャーンティ・ニラヤムにあるサティア・サイ大学は、インドの大学の中の最高評価A+++を獲得している。
2001年、国連ハビタットはサイ・ババの提唱するヒューマンバリュー教育(EHV)を用いた水教育をアフリカ諸国で開始した。
2004年には国連ハビタットとアジア開発銀行がサイ・ババのヒューマンバリュー教育をアジア太平洋地域の水教育に導入するプロジェクトを開始した。
サティア・サイの名前を冠した教育機関は、2007年時点で、小・中・高・大学合わせてインド国内に88校、インド国外に41校あり、中でもインドのプラシャーンティ・ニラヤムにあるサティア・サイ大学は、インドの大学の中の最高評価A+++を獲得している。
本名はサティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ (Sathya Narayana Raju)。
1940年5月23日、14歳の時、彼は自分が当時インドの聖者であったシルディ・サイ・ババの生まれ変わりで、シヴァ神とシャクティ神のアヴァター(化身)であり、人々の悩みを取り払うために降臨したと宣言し、サイ・ババを名乗ることにした。
ちなみに、このサイババという名称は「聖なる父」という意味で、サイはペルシャ語で「聖なる者」、「聖者」(通常はイスラーム教の苦行者)を意味し、ババはインド語圏で「父」を意味している。