金子信雄の楽しい夕食
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食通・料理通として知られた俳優の金子信雄が自慢の料理の腕前を披露していた、当時の人気番組です。
番組の顔、金子信雄
金子信雄
1923年3月27日に生まれ、1995年1月20日死去。東京市下谷区(現・東京都台東区)出身。
俳優・料理研究家。妻は丹阿彌谷津子。愛称は「ネコさん」。
1943年に文学座所属俳優として芸能界入りする。
俳優・料理研究家。妻は丹阿彌谷津子。愛称は「ネコさん」。
1943年に文学座所属俳優として芸能界入りする。
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(金子信雄の料理に関するエピソード)
料理が好きだったため、仕事先でも市場へ足を運ぶことがよくあった。ある時、福岡市での仕事が終わってから市場へ出かけたところ、新鮮なサバを見つけたことから「家族と食べよう」と思い、当初予約していた翌日の朝一番の羽田便を急遽キャンセルし、その日の最終便の飛行機で自宅へ戻った。
そのキャンセルした便は、1982年(昭和57年)2月9日に羽田沖で発生した日本航空350便墜落事故にあたる便となったため、金子は結果的に難を逃れる形となった。金子が予約していた座席は、特に損傷が激しく死者が多く出た1列目であった。
(当時、金子信雄が出演したCM)
金子信雄が出演したCMイカリの「浪花風お好みソース」
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イカリの「ステーキソース」CM
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番組の歴代アシスタント
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金子は東ちづるを大変気に入っていたが、東の金子の扱いが巧く、セクハラをそうとは見せずあしらっていた。東降板後は、大桃や成田にはかなり適当(特に大桃)で「ちじゅるはそうじゃなかったぞ」とか「ちじゅるならここで…」と東への寵愛ぶりを隠すことなく、かなりやる気のない場面もあった。
オープニングから料理作りの流れ
オープニングは毎回、スタジオからではなく、市場での食材を紹介するシーンから始まっていた(必ずしもそれがその日に採り上げるメニューの材料だとは限らない)。しかし、途中から全編スタジオからの放送に切り替わった。
塩は飛ぶは、調味料は入れ忘れ、火加減適当♪
ボッ!!とフライパンから火が吹き出る。
東ちづる女史、悲鳴をあげながらも鬼のような表情で、金子信雄氏を睨み、逃げる!
金子信雄氏は、「美味きゃいいんですよ〜」と口回らず、東ちづる女史は、横目でガン飛ばしながら、でも、笑顔でフォロー♪
週の最後の方は限りなく過激で楽しい♪
放送時間は、月曜日から金曜日の13:00 ‐13:15(JST)。