「お正月を写そう」CMに『8時だョ!全員集合』メンバー全員が出演
1999年末から2000年初めにかけて放送されたCMはミレニアムを飾るに相応しい豪華メンバーの共演となった。
テーマは『七福神』。
観月ありさ(弁財天)を中心にした1996年末~1997年初め、田中麗奈(弁財天)を中心にした1998年末~1999年初めの2回『七福神』をテーマにしたCMが放送されていた。
前年に引き続き、弁財天の田中麗奈を起用しつつ、他のメンバーをドリフターズ(いかりや長介・荒井注・ 加藤茶・高木ブー・仲本工事・志村けん)に入れ替えた『七福神』が1999年末から放送された。
「お正月を写そう」シリーズ『七福神』キャスト紹介
ドリフ『七福神』全員集合
とても貴重な『七福神』全員集合ポスター。
動画で振り返る「お正月を写そう」ドリフターズ出演バージョン
【CM動画】富士フィルム フジカラー「お正月を写そう」
「オース!」
【CM動画】富士フィルム フジカラー「お正月を写そう」
荒井注が出演した最後のCMに…
ドリフの5人を起用することに決まったが1名足りずに、当初は着ぐるみ人形のジャンボマックスにしようかという案があった。
しかし、ダメ元で元メンバーの荒井注に声を掛けてみたところ、承諾されて出演が決まったとのこと。
荒井注がドリフターズから抜け、志村けんが加入することになったのが1974年。
6人での撮影は初めてのことであり、約25年ごしの邂逅であった。
一人だけ早く撮影を終えた荒井注は現場を去る際に、いかりや長介と堅い握手と抱擁を交わしたという。
このCM共演をきっかけに今後6人での活動も起こり得るかと期待させたが、テレビでCMを放送が流れた直後の2000年2月9日に荒井注が肝不全のため急逝。
フジカラー「お正月を写そう」CMが最初で最後の6人ドリフ出演になってしまった。
長年、共演することが無かったのに亡くなる数ヶ月前に、ダメ元で依頼された共演の話が来たというのは不思議な縁を感じざるを得ない。
いかりや長介が読んだ弔辞には、亡くなる直前に共演したこのCM撮影時のエピソードが述べられていた。
出発間際の忙しい時に、とあんたは大変怒るかもしれないけど、ちょっとお話しましょうや。
去年の暮れに会った時(フジカラーのCM)、あれは良い仕事だったよね。
あんたも現場に入った時より、帰る時の方が元気だったもん。
みんなも喜んでた。本当に良い仕事だった。
あれ、覚えてるかな? あのときあんたがさ、『今度は医者の言うことをよく聞いて、早く飲んでも良いってお墨付きをもらってくるから、一緒に飲もう』って約束したこと。
結果的にあれが最期の言葉になっちゃったよね。
今日ねえ、みんな来たかったろうけど、そうもいかなくて。
浮世のしがらみって奴で、高木と志村は仕事でね。
加藤はさあ、これが笑っちゃうんだけど、渋滞にはまっちゃって。
あいつらしいな。
あんたが行っちまうのを遅らせようとしてねえ。
いまハラハラ、ドキドキして向かっているとこだと思うよ。
あんたもあれでねえ、よっぽど偉い人というか、変な人というか…。
カラッケツでドリフを始めて、飛行機で言えば離陸する大変な時に乗っていてくれて、それから何とか先が見えてきて、さあ、これから楽になるぞ、お金も儲かるぞという時にあんた、辞めちゃった。
あの時はあんたの人生哲学が理解できなかった。
でも『極力みんなに迷惑かけないように、半年、お礼奉公する』って言って、辞めると言ってからも半年は続けてくれた。
あの半年のあんたは凄かった。あれは凄かった。
鬼気迫るというのかな、本当に面白かった。
あんまり面白かったから、気が変わって『残る』と言うかなとも思ったけれど、あんたとうとう言わなかったね。
スパッと辞めちゃった。
もうあんたは行くんだよな、止めても無駄だというのは分かってはいるけど、こっちはあの時と同じ立場にいるような気がするよ。
行くな、とは言わないぜ。
でも途中、気を付けてな。
飲もうぜ、絶対に飲むんだよ。
飲まなきゃ駄目だ。
飲むんだよ。おい、飲むんだぞ!
長話すると嫌われるから、この辺でな。
飲む場所はあんたが決めといてくれ。じゃあ、いずれ
今頃は天国でこのCM出演時の話で盛り上がっているかもしれない。