ケミカル・ブラザーズ(The Chemical Brothers)
当時の日本では、彼らのスタイルは「デジタルロック」と名付けられ、Underworld、Fatboy Slimなどと一緒に音楽雑誌で特集されることが多かった。
ブレイクビーツを基調とし、そこにロックなどを融合したサウンドは「ビッグ・ビート」、「デジタルロック」と呼ばれ、クラブミュージック・シーンに影響を与えた。その音楽性は、ビッグ・ビートという名で定着するまでは、彼らの楽曲名でもある「ケミカル・ビーツ(Chemical Beats)」という名でも呼称されていた。また、アルバム・レコーディングに参加するゲスト・ヴォーカリストの人選は、ロックシンガーからR&Bシンガー、ラッパーまで多岐にわたる。
初期は歪ませたベースと生ドラムのサンプリングやループを軸にロックバンド感のあるブレイクビーツ・サウンドであったが、2000年代に入ってからはサイケデリックへの傾倒を顕著にし、トリップ感に特化したレイヴ路線を邁進した「ヘイ・ボーイ、ヘイ・ガール」や「スター・ギター」といった曲を発表。最初のベスト盤を挟んでからはヒップホップにも接近。
【メンバー】
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活動経歴
1989年、イギリスの名門マンチェスター大学在学中に、トム・ローランズ とエド・シモンズ は歴史学を専攻していた時に知り合い、そして、1992年にダスト・ブラザーズ (The Dust Brothers)名義で活動を開始しました。
ニュー・オーダーが経営に携わっていた地元マンチェスターのクラブ、ハシエンダでDJとして活躍するようになり、デッド・カン・ダンスの曲をサンプリングした「Song to the Siren」でデビュー。
デビュー曲『Song to the Siren』
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1994年には、ロンドンのパブ、ジ・アルバニーの地下で日曜の午後に行われていた伝説のクラブ・イベント「ザ・ヘブンリー・サンデー・ソーシャル」でDJを担当し、イベントの存在が口コミでクラブ・キッズの間で評判になると同時に、テクノ路線に移行して頭角を現していたアンダーワールドのサポートを務めるなどライヴ活動も開始し徐々にその名が知れ渡るようになった。
このイベントには、当時人気を博していたシャーラタンズ、セイント・エティエンヌ、マニック・ストリート・プリーチャーズなど、ブリット・ポップ系のアーティストが多く出入りしていたため、彼らとの交友関係も深まっていった。この時期、既に存在していたアメリカの同名のグループ(ベックのアルバム『オディレイ』の共同プロデユースやデヴィッド・フィンチャー監督の映画『ファイト・クラブ』への楽曲提供で知られる) からクレームを付けられ、現在の「ケミカル・ブラザーズ」へと改名した。
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1995年に1stアルバム「さらばダスト惑星」を発表。
¥1,048
テクノミュージックの中にロックのダイナミズムをうまく浸透させており、音楽ファンだけではなく同業のミュージシャンからも高い評価を得た作品。アルバムタイトルは過去の名前「The Dust Brothers」への決別を意味する。
1996年、Oasisのノエル・ギャラガーをゲストボーカルに迎えた「Setting Sun」が、シングル・チャートの1位を獲得する大ヒット。
このヒットをきっかけにケミカル・ブラザーズは、大きな成功を収めました。
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いままで彼らの曲に参加したミュージシャンは、ノエル・ギャラガー(オアシス)、ティム・バージェス(シャーラタンズ)、ボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)、バーナード・サムナー(ニュー・オーダー)、Q-Tip(ア・トライブ・コールド・クエスト)、リチャード・アシュクロフト(ザ・ヴァーブ)、ベス・オートンなど。
さらに、ビートルズの楽曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を現代に蘇らせたと評された。
※The Chemical Brothers LIVE 2011の映像。
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またTVゲーム「Wipeout」のサントラに彼らの曲使用され、ゲームファンにも名を知られることになった。
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そしてケミカル・ブラザーズは、本国イギリスでは2作目以降5作連続でアルバム・チャート1位を記録しその名声は世界的なものになりました。
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1997年にアルバム「ディグ・ユア・オウン・ホール」を発表し、本国以外でも売り上げを伸ばし、彼らの人気を決定付けた。
¥1
※価格変動あり。
ノエル・ギャラガー(Oasis)が参加した「Setting Sun」と「Block Rockin' Beats」が収録されている。
デビュー以来、ロックとダンス・ミュージックを繋ぐ架け橋としての役割を大きく担ってきたパイオニアであり、斬新なビート・センスと先進的なトラック・メイクで数多くのヒット作を世に送り出し、ダンス系ミュージシャンとしては異例の好セールスを記録。今やダンス・ミュージック界を代表するデュオでありながら、ライヴなどの活動も精力的にこなしている。