「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう でももっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの」
「逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった」

どちらも、『卒業』という曲のワンフレーズです。前者は斉藤由貴、後者は尾崎豊の楽曲。
苦楽を共にした学友と感動を分かち合うというよりは、何となく醒めた目線の卒業観が表現されています。
どこか同じ匂いのする2曲。その歌い手である2人だからこそ、惹かれあう部分があったのでしょうか。

80年代を代表するスターだった尾崎豊と斉藤由貴


まずは、2人のプロフィールを簡単に振り返りたいと思います。斉藤由貴は、1966年生まれの現在49歳。1984年、ミスマガジンコンテストのグランプリ獲得をきっかけに芸能界入り。歌手として、また、ドラマ『スケバン刑事』などで主演を務める女優としても活躍を続け、今に至ります。


尾崎豊は、斉藤より1年早い1965年生まれ。デビューも彼の方が1年先で、1983年、シングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』をリリース。その振り絞るような歌い方と、若者の鬱屈と不満をストレートに代弁した歌詞で、世間に鮮烈な印象を与えました。
以降も数々の名曲を発表し「10代の教祖」という特異なポジションを築いたのは周知の通り。1992年に26歳の若さで世を去るも、今も多くのファンから愛されています。

雑誌の対談で出会い、その2ヶ月後には不倫旅行へ


そんな80年代を代表するアイコンとして、時代を駆け抜けた斉藤由貴と尾崎豊。2人が知り合ったのは、90年代に入って最初の年。
1990年11月発売の雑誌『月刊カドカワ』上での対談がきっかけでした。
この時、初めて接点をもったわけですが、尾崎にとって、斉藤は既に特別な存在だったといいます。何でも、彼が覚せい剤不法所持で留置所生活をしていた際、彼女のグラビアに慰められたのだとか。
その様子は、尾崎の短編小説『フェアリー・ウィスパー』から読み取ることができます。「傷害で逮捕された青年が、牢屋でナナ・グレイスというアイドルに思いを馳せる」というストーリーになっており、ナナ・グレイス=斉藤という図式に当てはめると、尾崎の強い想い入れが窺い知れるのです。

かくして、出会った2人はすぐに意気投合。
雑誌が発売された僅か2ヶ月後には、北海道で仲睦まじく肩と顔を寄せ合う姿を一般人に撮られており、その写真が雑誌『Friday』に掲載されます。尾崎は1988年に結婚している身だったので、いわばこれは不倫旅行。時代を代表するポップスター同士の不貞行為は、当然、大きな波紋を呼びました。

不倫交際を「同志」と言い換えた斉藤由貴のセンス


事実が公になってから、ほどなくしたある時。申し開きの場として、斉藤由貴に記者会見の席が設けられました。ここで彼女は印象的な一言を言い放ちます。


「彼と私は同志みたいな感じ」
当時でさえ、前時代の社会主義用語として古めかしい言い回しとなった「同志」というフレーズをあえてもってくるあたり、かなりのセンスではないでしょうか。どんなに言葉を尽くそうが、不倫関係であることは揺ぎない事実。で、あるならば、他のポジティブな言葉、それも嘘のない一言で表現しようという、彼女の意図が感じられます。

しかし多くの不倫が、男が仕掛けて男が終わらす「マッチポンプ式」で展開される例に漏れず、2人の恋も、関係の長期化を恐れた尾崎の決別宣言によって終焉を迎えます。そしてその翌年、彼は帰らぬ人となったのです。

一方、1994年に一般男性と結婚し、今では3児の母となっている斉藤由貴。
かつての“同志”尾崎の死は彼女にとって、自身の楽曲『卒業』で歌われている、卒業式など比ではない「哀しい瞬間」だったに違いないでしょう。それでもなお、かつての恋を“卒業”し、力強く母として、女優として生きる姿に、逞しさを感じずにはいられません。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりALL TIME BEST