演歌歌手?男性アイドル「藤正樹」
スタ誕では美川憲一の『新潟ブルース』を歌い歌唱力が評価され最優秀賞を受賞、第6回グランドチャンピオンとなりました。
事務所はホリプロに所属することになります。
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「演歌の怪物ハイセイコー」の キャッチフレーズでデビュー
忍ぶ雨(藤 正樹)
この時の詰襟学生服の衣装でデビュー曲の『忍ぶ雨」を歌いました。
当時の藤 正樹は15歳、高校1年生でした。
作詞家の阿久悠の「怪童・中西太があらわれたようだ」の一言で怪物「ハイセイコー」のアイディアが浮かんだという。この時15歳の藤正樹はハイセイコーのことは知らなかったという。
【あの時・ハイセイコーの軌跡】(1)15歳いがぐり頭の「演歌の怪物」 - スポーツ報知 https://t.co/xmg1l8IHKX pic.twitter.com/4JY7ISOCRH
— 【相互】日本ダービー (@komuginoiesuzu) March 10, 2016
ハイセイコーと藤 正樹の秘話・恩返し
事務所はハイセイコーにまたがった藤正樹の写真を希望しましたが、流石にハイセイコー背中に乗ることは勘弁してくれと断られたという。
藤正樹は厩務員にハイセイコーに蹴られたら命の保証はない、絶対にハイセイコーの前足より前に立ってはいけないと注意されたという。
当時の撮影にはフラッシュが使用されました。ハイセイコーは11秒間カメラマンの撮影に応じ、その後、立上リます。藤は「気性が荒い馬」だったとこの時の印象を語っています。
その後藤正樹は、馬券を買える20歳になってから、25歳で結婚するまでの5年間にハイセイコーの血を引く馬の馬券を全部買って「ハイセイコー」に恩返しをしていたという。
そして、ハイセイコーの子供のカツラノハイセイコーはダービーで勝利をおさめました。
藤正樹のトレードマークは衣装の学ラン(詰襟学生服)
1972年には、藤より3歳年上の若手演歌歌手の三善英史(1954年9月2日)が『雨』を歌いデビューしました。
1974年は城みちるやあいざき進也、荒川務など出てきて、アイドル豊作の年となりました。
そんな中で、学制服姿の藤正樹は芋臭くて素朴な演歌系アイドル歌手という存在でした。
忍ぶ雨 藤正樹 (1973)
作詞 阿久悠/作曲 新井利昌/編曲 竜崎孝路
「スター誕生!100回記念スペシャル」ではオレンジ色の学ラン(詰襟学生服)を着て、ヒット曲の「忍ぶ雨」を披露しました。
1958年生まれの森昌子は13歳で、日本テレビ『スター誕生!』(1971年10月開始)に出場、第1回決戦大会最優秀賞を受賞、1972年に14歳でホリプロから歌手デビューしています。
「花の中三トリオ」の山口 百恵(1959年1月17日)ホリプロ所属と桜田淳子(1958年4月14日)サンミュージック所属は、ともに森昌子より1年おくれて1973年にデビューしています。