第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【パ・リーグ】
2020年6月18日 更新

第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【パ・リーグ】

日本のプロ野球において新人を獲得する制度としてドラフト会議が1965年から開始されました。ドラフト以降で1位指名を受けた選手はセパ両リーグ合わせて毎年12名。野球のスーパーエリートでもあるこのドラフト1位指名の選手がどうだったかを追ってみました。

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1965年度新人選手選択会議(ドラフト会議)

球団は連盟に獲得希望選手名簿を提出。名簿内では希望順に1番から12番も記載。
1位指名選手限定で、希望順1番が他球団と重複でなければ指名交渉権確定。重複した場合は抽選。
抽選で外れた場合は希望順2番、駄目なら3番と進行・・・以下、再度の重複があればその度に抽選。
2位以下の指名選手はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を採用。
ウェーバー方式による指名順は近鉄 - サンケイ - 東京 - 広島 - 阪急 - 大洋 - 西鉄 - 阪神 - 東映 - 中日 - 南海 - 巨人
指名選手数は1球団30名まで。

選手間では不評だった「ドラフト制度」

1965年7月26日の実行委員会で、12球団の戦力の均等化と、高騰し続ける契約金を抑えるため、ドラフト制採用が決定した。

この制度、「好きな球団に入れない」、「契約金が安くなる」と、選手間には不評で、平松政次(岡山東商)や木樽正明(銚子商)、広野功(慶応大)など上位候補はドラフト前から早々とプロ拒否宣言。

1965年のパ・リーグのドラフト1位選手

南海ホークス1位:牧憲二郎(投手:高鍋高校)

プロ入りまで

高鍋高校ではエースとして活躍。1965年には甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では、1回戦で野崎恒男投手を擁する向陽高に敗退。同年夏の選手権は、2回戦(初戦)で保原高の岡正光、準々決勝で東邦高の北角富士雄と投げ合うが、いずれも完封で降し勝ち上がる。準決勝では銚子商と対戦。銚子商のエース木樽正明から1点を先制するが、8回に追いつかれ9回裏サヨナラ負けを喫する。同年の岐阜国体にも出場し準々決勝に進むが、岩崎忠義のいた津久見高に延長10回裏サヨナラ負け。

プロ野球での実績

<現役生活>
1966年~1976年

<成績>
3勝5敗

1970年に阪急ブレーブスへ移籍。1972年には20試合に登板。9月からは先発陣の一角として起用され、2完投を含む3勝を記録してリーグ優勝に貢献した。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでも3試合に登板、4回2/3を無失点に抑える。しかしその後はあまり活躍できず、1976年限りで引退した。

引退後

1980年に、寮長となる。

東映フライヤーズ1位:森安敏明(投手・関西高校)

森安敏明 腰を下げ捻りを加えた後,一気に踏み込む Pitching Mechanics Slow Motion

躍動感あふれるフォームです

プロ入りまで

関西高校在学中には、平松政次(岡山東商→大洋)、松岡弘(倉敷商→ヤクルト)とともに岡山三羽ガラスと呼ばれた。同年代では堀内恒夫や鈴木啓示、木樽正明ら速球派投手らが名を連ねている。
1965年の春季中国地区高等学校野球大会で優勝。夏の甲子園予選では、倉敷商を引き分け再試合で下した岡山東商と東中国大会決勝で対決。平松との投手戦の末、延長11回1-2xでサヨナラ負けを喫し甲子園出場の途を絶たれる。

プロ野球での実績

<現役生活>
1966年~1970年

<成績>
58勝69敗

<主なタイトル>
なし

<表彰>
なし

1970年7月 黒い霧事件

プロ野球関係者が金銭の授受を伴う八百長に関与したとされる一連の疑惑および事件。新聞報道などをきっかけに、1969年から1971年にかけて相次いで発覚した。

日本野球機構は八百長への関与について「(野球協約第355条が規定する)『敗退行為』に該当する」との見解を発表。関与が疑われた現役選手には永久出場停止(追放)、長期間の出場停止、年俸減額などの処分を下した。
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