最高のパフォーマンスを見せてくれたウォーレン・クロマティ!
クロウの獲得タイトル・主な表彰と記録
最高出塁率:1回 (1989年)
最多勝利打点:2回 (1984年、1986年)
最多安打(当時連盟表彰なし):1回 (1989年) ※1994年より表彰
MVP:1回 (1989年)
ベストナイン:3回 (1986年、1987年、1989年)
オールスターゲームMVP:1回 (1985年 第2戦)
月間MVP:1回 (1986年8月)
東京ドームMVP:2回 (1986年、1989年)
オールスターゲーム出場:3回 (1985年、1989年、1990年)
ウォーレン・クロマティのプレースタイル
しっかりと成績を残しているからこそ、ファンも出来るパフォーマンスを重視したスタイルは、日本人の中にこれぞ!メジャー!というものを植え付けたのではないでしょうか。
日本に来るまでは、海の向こうのメジャーで大活躍。
1972年の第1回日米大学野球選手権大会に出場した。1974年、マイアミ・デイド短大からアメリカ・メジャーリーグのモントリオール・エクスポズに入団。4年目頃からレギュラーに定着した。1983年のシーズンオフ時にFAとなって読売ジャイアンツへ移籍。
日本に来てからのクロウは、素晴らしい安打製造機に変身!
巨人クロマティ、広島津田からサヨナラホームラン - YouTube
入団1年目からいきなり35本塁打をマークするなど、日本でもレギュラーの一人としてチームを牽引した。1989年には打率3割7分8厘で首位打者、また4割4分9厘で最高出塁率のタイトルを獲得。20勝を挙げたチームメートの斎藤雅樹を抑えてMVPも受賞した。
1989年、4割を打って引退すると宣言。開幕から長打を捨ててヒットを量産し、シーズン規定打席の403打席(当時は130試合制、規定打席数は試合数×3.1)に到達した時点で打率4割を超えていた(この時点で残り試合を休めば4割打者が誕生していたことになる)。最終的な打率は.378まで下がり、4割打者誕生はならなかったが、96試合まで4割を維持したのは広瀬叔功の89試合を抜くプロ野球最長記録であり、.378は巨人の球団歴代最高打率である。 シーズン打率.360以上を2回(1986年、1989年)記録している。これは他にイチロー(1994年、2000年)と落合博満(1985年、1986年)しか達成していない記録である。1986年には打率.363を記録したが、この年は阪神のランディ・バースが日本プロ野球記録である打率.389を記録したため、首位打者を獲得できなかった。シーズン打率が.360以上を記録しながらも、首位打者になれなかったのは、現在までクロマティただ1人である。
翌1990年は開幕から低調で7月まで.252、5本という成績ながらオールスターにファン投票で選出された。その後、8月以降は136打数53安打で打率.390、9本塁打と打ちまくったものの、この年限りで巨人を退団。直後に「さらばサムライ野球」を出版する。
引退後は、お得意のパフォーマンスで大人気♪
2002年、プロ野球マスターズリーグ札幌アンビシャスに加入。2005年には、セミプロ野球のゴールデンベースボールリーグに参加する「ジャパン・サムライ・ベアーズ」初代監督に就任したが、ファンへの暴言や度重なる退場を理由に解雇された。
2007年6月1日、プロレスラーとしてデビューすることを、プロレスイベント「ハッスル」を主催するハッスルエンターテインメントが発表。6月17日に「ハッスル・エイド2007」(さいたまスーパーアリーナ)でタイガー・ジェット・シンと対戦し勝利を飾った。この試合ではかつて試合中に殴打した宮下昌己が来場し、クロマティを応援した。
【伝説の乱闘】巨人クロマティvs中日宮下 - YouTube
やっぱりクロウは、今でも巨人軍が気になる様子・・・。
【巨人】クロウがエール「ヨシノブサン頑張ッテ」「ジャイアンツは変わる」 - スポーツ報知 https://t.co/Rw2HGzcZuc pic.twitter.com/g9Gslq7986
— 闘魂のG (@LovelandHanuman) November 20, 2015
身長183cm、体重87kg
左投げ左打ち
ポジション:外野手
80年代の読売ジャイアンツを引っ張ってきた助っ人外人の人気者。あのランディ・バースがいなければ記録保持者になれた安打製造機。
万歳三唱など、パフォーマンスも優れており、TVでも引っ張りだこの選手。