米森麻美(1989年日本テレビ入社)
上智大学時代に、女子大生キャスターとして日本テレビの「ルンルンあさ6生情報」に週一回レギュラー出演していたことがあった。在学中にミスソフィアに輝いている。
1989年、日本テレビに入社。
「NNNきょうの出来事」でお天気コーナーを担当していた。英語で書かれたファンレターに感激し英語で返事を出したこともある。
バラエティー番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」でアシスタント役を務め、人番組内では進行役の福澤朗から「よねっぺ」と呼ばれていた。
1992年~1993年、永井美奈子と薮本雅子(共に現在はフリー)両アナウンサーと結成したユニット「DORA」で活動。
(出典:Wikipedia「米森麻美」)
90年代に活躍したTBSのアイドル的アナウンサー
渡辺真理(1990年4月TBS入社)
横浜雙葉中学校・高等学校を経て国際基督教大学教養学部人文学科卒業後、1990年4月にTBSにアナウンサー26期生として入社(同期は岩井健浩、有村美香、田中宏明)。
1991年4月に朝のワイドショー『モーニングEye』のキャスターに抜擢される。このほか、最後の出題アシスタントとなった『クイズダービー』をはじめ『そこが知りたい』『スーパーサッカー』など多方面で活躍し、TBSを代表するアナウンサーとなる。
しかし1996年秋、坂本堤弁護士一家殺害事件に関連して以前『3時にあいましょう』のスタッフが起こした「坂本弁護士のインタビューテープ問題」の影響で『モーニングEye』は打ち切られる。
直後に『筑紫哲也 NEWS23』の第2部のキャスターに就任、「若き巨匠ヨー・ヨー・マー」における第22回'96アノンシスト賞 グランダ・プレミオ賞を受賞するが、1997年秋、放送時間短縮を含む抜本的なリニューアルを実施するのを機に、降板となった。
1998年3月に退社するまでの半年間は、唯一のレギュラー番組・ラジオ『MELODY MARKET』のほかは世界フィギュアスケート選手権中継のナビゲーターを務める程度だった。
(出典:Wikipedia「渡辺真理」)
雨宮塔子(1993年4月TBS入社)
『どうぶつ奇想天外!』『チューボーですよ!』などのバラエティ番組を中心に担当した。また、早朝情報番組の司会やお昼の生番組でアシスタントをこなし、ラジオではレギュラー番組を複数担当した。当時のアナウンス室内では、3年先輩の渡辺真理、1年後輩の進藤晶子と公私共に親しい仲だった。
1995年の阪神・淡路大震災発生時には、担当していた朝の情報番組『ザ・フレッシュ!』で、大阪の毎日放送に出向き原稿を読むなど、報道関連の活動もあった。
当時のアナウンス室内では、3年先輩の渡辺真理、1年後輩の進藤晶子と公私共に親しい仲だった。
進藤晶子(1994年4月TBS入社)
大阪府出身。1994年4月にTBSアナウンサー29期生として入社。2001年3月にTBSを退社、フリーに。
1995年放送開始の『ランク王国』では初代司会を務め、アニメーションのキャラクターなどに扮する「コスプレ」を披露して人気を得た。
『ランク王国』と並行して、週末の『JNNスポーツ&ニュース』のキャスターを務め、さまざまなバラエティ番組にも出演する。
1997年秋『筑紫哲也 NEWS23』のスポーツキャスターに起用されると、たちまちアイドル的な人気を得るようになる。そのため週刊誌などの活字メディアの格好の取材対象にもなり、毎週のように彼女に関する真偽いろいろの記事(「社内いじめがあったのではないか」等)が掲載された。
(出典:Wikipedia「進藤晶子」)
90年代に活躍したNHKのアイドル的アナウンサー
久保純子(1994年NHK入局)
両親ともにアナウンサー経験者である。小学校4年間をイギリス、高校時代をアメリカで過ごした。東京都立調布北高等学校入学後、ウィスコンシンの高校を経てニューヨークパイオニア・セントラル高校→上智大学比較文化学部比較文化学科を経て、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。
1994年にNHK入局(最初の勤務地は大阪放送局)。2年後の1996年に東京アナウンス室へ異動となる。NHKでは珍しく「アイドルアナウンサー」と称され、受信料制度周知キャンペーンなどに起用された。
(出典:Wikipedia「久保純子」)
久保純子(1994年NHK入局)
ちょっといい旅(大阪放送局所属時代。レポーター)
NHKニュース11・NHKニュース おはよう日本(スポーツコーナー担当)
ポップジャム(司会)
連続テレビ小説『私の青空』(ナレーター)
プロジェクトX〜挑戦者たち〜(司会)
お宝映像クイズ 見ればナットク!(司会)
地球!ふしぎ大自然(ナレーター、武内陶子・松本和也とのローテーション)
NHK紅白歌合戦(紅組司会、1998年 - 2000年)
夢見るタマゴ!熱血浜田塾 若き卵たち
てれび絵本・ハリネズミのくるりん(朗読。2003年以後にリニューアル後、NHK所属アナウンサーが朗読したのはこれが現状唯一)
90年代に活躍したテレビ朝日のアイドル的アナウンサー
下平さやか(1995年テレビ朝日入社)
(出典:Wikipedia「下平さやか」)
高橋真紀子(1995年テレビ朝日入社)
愛称はマッキー。女性アナウンサーとしては珍しい理系出身である。同期に下平さやか、西脇亨輔(現:法務部)、田村直己(制作2部ディレクター)がいる。
1997年3月より『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを務める。1998年3月いっぱいでメインから関東ローカルパートのサブキャスターとなる。この『スーパーJチャンネル』共演がきっかけで、同僚でアナウンサーの坪井直樹と結婚。その後、1度目の産休。
(出典:Wikipedia「高橋真紀子」)
90年代に活躍したテレビ東京のアイドル的アナウンサー
八塩圭子(1993年テレビ東京入社)
テレビ東京でアナウンサーを務め、バラエティー番組、『出没!アド街ック天国』での、タレント・愛川欽也との共演などで知られる。また、同局では『ニュース日経夕刊』や『株式ワイドオープニングベル』など、ニュース・経済番組も担当していた。
経歴
大学卒業後の1993年(平成5年)4月、テレビ東京に入社、報道局経済部記者となった。同期入社には、アナウンサーの大浜平太郎がいた。入社翌年、同局アナウンス室に異動となり、以後多くの番組に出演した。
2003年(平成15年)6月にテレビ東京を退社、フリーとなる。同年10月から2008年(平成20年)3月まで、『めざましどようび』(フジテレビ)のメインキャスターを務めた。
(出典:Wikipedia「八塩圭子」)
田口惠美子(1991年テレビ東京入社)
田口 惠美子(たぐち えみこ、結婚後の本名: 松岡 惠美子、まつおか えみこ、1966年2月2日 - )は、日本のアナウンサーである。かつてテレビ東京に勤め、ニュース番組 『ワールドビジネスサテライト』などに出演していた。また、プロテニス選手出身のタレント、松岡修造の妻としても知られる。
東京・新富町の出身。日本女子大学附属高等学校を経て、日本女子大学文学部英文学科卒業。ハーバード大学教育大学院メディア専攻修士課程修了。
1991年、テレビ東京に報道局報道局経済報道部記者として入社し、後にアナウンサーとなる。同局勤務中の1995年には、書籍 『TVニュース七つの大罪 -なぜ、見れば見るほど罠にはまるのか』(クレスト社)を翻訳出版している。
その後、2002年4月より2005年3月までの間には、国際基督教大学客員教授も務めていた。
タモリの音楽は世界だ!(1993年10月 - 1994年9月)
TXNニュース THIS EVENING(1992年4月 - 1996年9月)
ワールドビジネスサテライト (1996年9月 - 1997年12月)
(出典:Wikipedia「田口惠美子」)
90年代のワールドビジネスサテライトの司会の印象が強いです。賢そうで、きれいだった。
私の中では、アイドルでしたね。
1981年(昭和56年)、芸能事務所・株式会社アミューズ(東京・渋谷)に所属、上京してタレント活動を始めた。麹町学園女子中学校・高等学校(東京)に学び[1]、1982年(昭和57年)頃には音楽バンド 『ジューシィ・フルーツ』に、キーボード担当として参加するなどしていた。その後は京都に戻り、平安女学院高等学校に編入した。
早稲田大学教育学部を卒業した1991年(平成3年)、日本テレビに入社、アナウンス部に所属した。同期のアナウンサーには、笛吹雅子がいた。アナウンサーとしてバラエティー番組等に出演したほか、1993年(平成5年)には同局のアナウンサー、米森麻美、永井美奈子とともに、アイドルグループ 『ドラ(DORA)』を結成、CDアルバムも発売するなど、タレント化する女子アナウンサーの一翼を担った。
(出典:Wikipedia「薮本雅子」)