常勝赤ヘル軍団の衣笠祥雄、山本浩二と共にクリーンナップを務め首位打者を獲得した水谷実雄。しかし彼のプロ野球人生は順風満帆ではありませんでした。自分を育ててくれた広島に骨を埋めるつもりであったが、ある一つのトレードに巻き込まれる。1982年のクリスマスイヴに成立した阪急加藤英司との大型トレードだった。
当時、小学生だった私。阪急こども会に入って入会すれば内野自由席が無料で入れるので何度か行きました。当時は加藤英司選手のファンで経緯が判らずでした。で、水谷選手のデットボール。その時を見ていたのでよく覚えています。相手投手に野次りましたが・・。(非常に口悪いヤジ)成績では、水谷選手が上だった。加藤選手はその後転々と移籍・・「パ・リーグ男=パリーグでしか活躍できなかった」最後、2000本安打を山田投手からホームランで達成したのも報道で記憶に残っています。
赤ヘル軍団初優勝の立役者水谷実雄【意地のトレードで打点王獲得】
常勝赤ヘル軍団の衣笠祥雄、山本浩二と共にクリーンナップを務め首位打者を獲得した水谷実雄。しかし彼のプロ野球人生は順風満帆ではありませんでした。自分を育ててくれた広島に骨を埋めるつもりであったが、ある一つのトレードに巻き込まれる。1982年のクリスマスイヴに成立した阪急加藤英司との大型トレードだった。