氷室京介がBOØWY以前に所属したスピニッヂ・パワーとは?

氷室京介がBOØWY以前に所属したスピニッヂ・パワーとは?

ソロシンガーとして、いまだ根強い人気を誇る氷室京介。元BOΦWYのボーカリストとしても有名な彼ですが、実は『スピニッヂ・パワー』という、ビーイング総帥・長戸大幸氏によって結成された歌謡ロックバンドの一員だった時代がありました。本稿では、その知られざる過去に迫っていきます。

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事情通 2017/11/13 14:45

ビーイング設立は「ポパイ・ザ・セーラーマン」以前。ちにみに設立初年度、決算赤字。それと前後するように「ポパイ…」がヒット。企画もののレコードであったが、たまたま「バンド名」をつけていたことと、宴会やディスコなどからの「営業申し込み」や、TVの「話題コーナー」的な仕事も発生し、制作事務所として、さらなる事業展開を図るため、多くのメンバーによる集合離散を繰り返し、そのつどの演奏を行っていた。3枚目アルバム「In and OUT」の制作途中で、氷室等の参加により、バンド形態が固まり、大手プロとレコード会社も絡んで「ホット・サマー・レイン」のヒットを仕掛けたが、記録的冷夏もありヒットに至らなかった。その後、長門氏も交え、バンド存続についての審問等もあり、スピニッヂ・パワーの消滅が決まった。ちなみに「IN and OUT」までのレコード制作は長門氏を中心に、周辺に集まっていた人間やスタジオミュージシャン等によって行われ、同時期のスピニッヂパワーがバンド単体で制作したものではなく、アルバムとLIVE等は、いわば「別路線」としての活動実態であった。

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