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暴力団との付き合いと言えば青木功の方が凄かった。
青木功プロは岐阜の親分の女性とつきあって怒りを買い、いろんな方々に間にはいってもらって1976年東海クラシック優勝賞金700万円で許してもらったと言う逸話があります。
また1978年世界マッチプレー選手権に優勝した青木は水曜日、帰国して直ぐのブリヂストンの練習日に登場する。このツアー競技は、今も昔もプロアマを行わない。それどころか当時プロは、アマチュアの友達を同伴することが、許されていた。世界のタイトルを手にしての凱旋。練習日にも拘わらず、青木の組だけでも、千から二千の観客でごった返した。その状況で青木と一緒に回った友達は小指のない人。千葉県木更津を縄張りにしている暴力団、中村興業のボスだったのである。この日私も取材で、朝から現場に張り付いていた。青木はこのボスを、人前でも憚ることなく「あにさん」と敬称していた。プロトーナメントの練習ラウンドに暴力団とラウンドした青木功。
『その後、尾崎将司は暴力団との交際や、芸能界や角界の大物との銀座豪遊など、スキャンダルが増えた。』→ これは時系列的にも根拠のない三面記事からの抜粋ですね。
ジャンボは20歳代の第一次黄金時代では芸能界との派手な付き合いも話題になりましたが40代で復活した第二期黄金時代ではゴルフ一途の修行僧のようでした。なのでスキャンダルが増えたという事もないでしょう。
スキャンダルと言えば個人民事再生法くらい。これも副業でもうけようとしわけではありません。
暴力団との交際と言っても読売新聞が「暴力団と黒い交際」と報道して1988年マスターズ出場辞退を下1度だけ。これも時系列的におかしい。暴力団との交際と言っても一緒に賭博をしたわけでもなく、ゴルファーとして身分を明かさないで相手が接近して来て写真に一緒に写っただけの話。これに対しジャンボは何も言い訳しなかった。
青木功 4年かけてプロになり 4年かけて予選通過 8年かけて初優勝
2度目のプロテストで合格し、初めて予選通過したのは4年後、さらに4年かけて初優勝。 波の選手ならあきらめてしまうかもしれない。 しかし青木功は逆境につぶされずバネにした!