青木功  4年かけてプロになり 4年かけて予選通過 8年かけて初優勝

青木功 4年かけてプロになり 4年かけて予選通過 8年かけて初優勝

2度目のプロテストで合格し、初めて予選通過したのは4年後、さらに4年かけて初優勝。 波の選手ならあきらめてしまうかもしれない。 しかし青木功は逆境につぶされずバネにした!

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2021/4/19 13:51

暴力団との付き合いと言えば青木功の方が凄かった。
青木功プロは岐阜の親分の女性とつきあって怒りを買い、いろんな方々に間にはいってもらって1976年東海クラシック優勝賞金700万円で許してもらったと言う逸話があります。
また1978年世界マッチプレー選手権に優勝した青木は水曜日、帰国して直ぐのブリヂストンの練習日に登場する。このツアー競技は、今も昔もプロアマを行わない。それどころか当時プロは、アマチュアの友達を同伴することが、許されていた。世界のタイトルを手にしての凱旋。練習日にも拘わらず、青木の組だけでも、千から二千の観客でごった返した。その状況で青木と一緒に回った友達は小指のない人。千葉県木更津を縄張りにしている暴力団、中村興業のボスだったのである。この日私も取材で、朝から現場に張り付いていた。青木はこのボスを、人前でも憚ることなく「あにさん」と敬称していた。プロトーナメントの練習ラウンドに暴力団とラウンドした青木功。

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