北九州市といえばかつては国内有数の炭鉱の街として、国際貿易港として栄えた門司港を有する都市として栄えました。やがて世は石炭から石油の時代へと変わり北九州市は停滞します。100万人都市のなかでも人口減少が止まらなかった時代を経て、しかしいまでは「門司港レトロ」などの観光が盛り上がる街へと変遷を辿ります。
20歳の頃にアルバイトをしました。最初は4階でしたか?寝具やタオル等の売り場でしたが、しばらくして売り場の店員さんと仲良くなり萩に旅行に行きました、その内に催し物会場の担当になり春にはお雛様、そのあとは五月人形・・・全国駅弁大会と楽しい思い出が一杯。呉服の展示会で大きな中華料理店の広間を貸し切って、泊りで反物の番をしましたが今、思えばあれが門司倶楽部だったのでしょうか? 一年足らずで大阪へ出まして最近50年を経て、門司港に舞い戻り山城屋の跡地ビルにある歯科に通院しています。そのままの栄町のアーケードを見るたびに50年前に戻ります。
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北九州の玄関、門司港の栄枯盛衰を見守り続けた北九州最古のデパート「山城屋百貨店」
北九州市といえばかつては国内有数の炭鉱の街として、国際貿易港として栄えた門司港を有する都市として栄えました。やがて世は石炭から石油の時代へと変わり北九州市は停滞します。100万人都市のなかでも人口減少が止まらなかった時代を経て、しかしいまでは「門司港レトロ」などの観光が盛り上がる街へと変遷を辿ります。