昭和の時代、小学校のすぐ近くの空き地に一年に一度突然やってくる型屋。 どこから来て、どこへ去っていくのかとても不思議でした。昭和30年代後半から40年代に盛んだった露天商カタ屋(カタや)の情報。
私の地元では、どっこいしょ粘土と言ってました。これは、型屋の親父さんが粘土を数える際『こ〜れ〜が、ご〜えん(5円)ご〜えん、え〜じゅ〜えん(10円)じゅ〜えん』のリズムで親父さんの足元の粘土をちぎってた所からそう呼ばれてました。型が大きくなると粘土も色付き金粉も大量に買わなくてはいけないため子供ながらにばーちゃんに甘えて金貰ってました。懐かしですね。
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昭和の思い出!型屋・カタ屋のおじさん
昭和の時代、小学校のすぐ近くの空き地に一年に一度突然やってくる型屋。 どこから来て、どこへ去っていくのかとても不思議でした。昭和30年代後半から40年代に盛んだった露天商カタ屋(カタや)の情報。