コメント
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クロ 2022/3/27 20:54
昭和48年生まれの埼玉県蕨市育ちです。年に一回、一週間くらい来てましたね。お金がかかるし、オジサンが正体不明なので三日目くらいから先生から禁止にされるんですよ。こち亀の増刊号に、型屋の写真が乗ってたけど、家の近所の写真だったなぁ
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カタ屋さんありがとう 2021/6/28 16:00
懐かしいですね。
昭和42年前後、練馬の豊玉公園(通称タコ公園)に来てました。
兄が型をいくつか持っていたので、私も同級生と何回かやってました。
子供ながらに、芸術的な観点ではなく、粘土と色の使用量が多くないと高い点がもらえないと言う
経済原則を学ばせてもらいました。
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塚越学級元児童 2020/3/10 19:07
懐かしい〜❣️ 昭和30年代後半に葛飾区立柴又小学校近くの文房具屋のそばの空き地に来てました^_^男まさりのおばちゃんがやっていて、すぐいなくなるということは無かった。ボール紙にマジックで書いた点数をくれるのだけれど、だんだん子供の方は悪知恵が働いて、偽の点数書いたカードを巧妙に作ってきて、おばちゃんに見破られて型抜きを没収されているのがいたよ❗️
紙芝居もそのおばちゃんがやっていて、駄菓子を買わないでチャッカリ見ようとする子供を摘み出してたし…www
東京五輪の頃までが最盛期だったと思う。
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カズ 2019/7/28 11:26
私の地元では、どっこいしょ粘土と言ってました。これは、型屋の親父さんが粘土を数える際『こ〜れ〜が、ご〜えん(5円)ご〜えん、え〜じゅ〜えん(10円)じゅ〜えん』のリズムで親父さんの足元の粘土をちぎってた所からそう呼ばれてました。型が大きくなると粘土も色付き金粉も大量に買わなくてはいけないため子供ながらにばーちゃんに甘えて金貰ってました。懐かしですね。
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昭和の思い出!型屋・カタ屋のおじさん
昭和の時代、小学校のすぐ近くの空き地に一年に一度突然やってくる型屋。 どこから来て、どこへ去っていくのかとても不思議でした。昭和30年代後半から40年代に盛んだった露天商カタ屋(カタや)の情報。