かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!

かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!

受験戦争が激しかった80年代から90年代、当時多数のCMを打っていた「両国予備校」を覚えていますか?この記事では当時の受験戦争を振り返りつつ、両国予備校について書きたいと思います。

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1991年大阪校薬理工学部通学生 2021/5/20 19:45

【実際は4クラス程度しかない~両国式学習システム 能力別少人数(5~35名位)クラス...】

おそらく、4クラスは末期ではないかと思います。
33クラスあるような書きぶりはありますが、ピーク時の東京校でもそこまでは…。後述しますが、大阪の2グループに対し東京では3グループあったので薬理工系だけで18クラス以上(必須のためほぼ全員出席の英語等)はあったと思います。

1991年現在は大阪校だけで医歯系→14クラス、薬理工系→14クラス、文系12クラス。スーパー1クラス(クラス名C)ありました。
クラス名D~Z、特A~特Gまでに振り分けられ、薬理工系で話をすると、英語、数1、代幾、基解等全員必須のものは14クラス、化学は12クラス、物理8クラス、生物4クラス、微積8クラス、確率4クラスといった
具合で受講者数で増減されてました。
1教室あたり25~40人くらい?

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