かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!

かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!

受験戦争が激しかった80年代から90年代、当時多数のCMを打っていた「両国予備校」を覚えていますか?この記事では当時の受験戦争を振り返りつつ、両国予備校について書きたいと思います。

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1991年大阪校薬理工学部通学生 2021/5/20 20:38

大阪校は入学式の前後で行うクラス分けテストの3科合計で上位グループ(通称オモテ)と下位グループ(通称ウラ)に分けられ、その同一グループ内(7クラスが同じ時間割)で教科ごとに能力別クラス分けされていました。
数学を例にすると、ウラ→L、M、T、U、Z、特D、特G。オモテ→D、F、H、N 、P、W、特Bという具合?
両国予備校のレベルは?
少数ながら学力のある学生もいましたが、全体の6割以上はどっかの私立落ちたぞなんてレベルではありません。
学区制の公立高校(偏差値50少々?)で理系90人中下から3番以内である私の学力でウラの上から2番~中の下を考えると、レベルは察しがつくでしょう。全体の半数以上が旺文社や進研模試で偏差値45に満たない学生ばかり。本当に勉強しなかった、荒れているなどで勉強できる環境に恵まれなかった学生と思えました。
特がついた特別基礎クラスでは中学校で習う問題から始めており「there is~」が分からない学生もいました。
しかしウラの学生でも中堅の大学に受かる学生もおり、真面目に頑張った学生たちは飛躍的に学力アップしていました。

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