かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!

かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!

受験戦争が激しかった80年代から90年代、当時多数のCMを打っていた「両国予備校」を覚えていますか?この記事では当時の受験戦争を振り返りつつ、両国予備校について書きたいと思います。

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コメント (page 2)

Missing テスト 2021/4/26 21:30

削除できるか確認するため

Missing 歌が聴きたい 2021/4/26 20:42

1991年大阪校薬理工学部通学生 さま

コメントを拝見したのですが、今現在、歌集のテープをお持ちでしょうか。
過去に寮や食堂(弁当を食べさせられている時)に聞いた歌たちがずっと聞きたいと思っており、
10年近く探しているのですが、オークションやメルカリを探しても発見することができません。
(さすがに皆さん処分されているのか、このようなものを譲ろうと思わないのか・・・。)

過去に2ちゃんねるにUpしてくださった方もいたようなのですが、現在はリンクが切れてしまっていて見れません。

もしよろしければ、ネット上にUpしてくださるか、ダビングしてくださるか、貸してくださるか、もしくは譲ってくださるかお願いできませんでしょうか。

ただ懐かしいあの、良い(悪い?!)思い出を思い返したいという一心から探しております。

よろしくお願いします。

Missing 1991年大阪校薬理工学部通学生 2021/4/26 08:41

両国予備校では東京校と大阪校で入学希望者には入学テスト(午前)と入学説明会(昼食挟んだ同日の午後)が行われていました。
ここでは入学テスト、いわゆる学費決定試験について触れますが
入学テストはひとり1回限り、受験可能
確か理系では英120点、数120点、理(物、化、生から1科目)60点、計300点満点。
225点以上→特待生入学→0円(1992年度から成績優秀者には奨学金支給が追加)
180点以上→国公立試験入学→約30万円
135点以上→私立試験入学→約60万円
105点以上→準試験入学→約99万円
105点未満→無試験入学→約127万円

試験内容から95%以上が無試験入学のようでした。
試験内容ですが、すべての問題が配付され、制限時間は100分、どの科目、どの順番で解いても構いませんとのこと。
○英語→確かB4の問題用紙4枚、すべて長文読解。
○数学→数1、代幾、基解。大問4題、うち1題が小問集合。英数ともおそらくセンター試験よりは量が多い。
○理科→物理を選択したが、大問3題、1番とっつきやすいが配点が低い

Missing 1991年大阪校薬理工学部通学生 2021/4/23 22:20

【入学式とそれを迎える前】
そろそろゴールデンウィーク前ですが、記憶が間違っていなければ両国予備校では4月20日前くらいに入学式があったような。
1991年現在東京校は両国国技館、大阪校は東大阪市民会館(翌年は大阪府立体育館)が会場、勿論校歌斉唱があり、左側に校旗がありました。校長先生が「恋愛を禁止します」と締めていました。

その4月下旬まで何をしているのかというと、ひたすら英単語の暗記、確か週2(遠方の人は週1でも可)、東京か大阪のいずれかの校舎へ通い英単語テストをしました。
1992年度以降の学生はこの記事の写真にある英単語5000を使いますが、それ以前は旧バージョンの英単語5000を使いました。なお旧バージョン使用時代は入学テストで15/120点以下だとシグマ英単語3000が送られてきてそれを優先的にやりました。
なお5000が終わらなくても罰則はありませんが大半は真面目にやっていたと思います。




Missing 1985〜1986浪人生 2021/4/18 04:13

医学部を目指して2年も両国予備校で刻苦勉励しました。祖父が医師で、島で医院を開業しておりましたが、息子4人は全員医師になっておらず、孫である私に全て託される形で私は、半ば無理矢理「牢獄予備校」と言われた両国予備校に入校させられました。講義は玉石混交でしたが、スパルタ式のやり方は、いま考えると非常に良かったと思います。もしも、ここで学んでいなかったら国立医学部に行けなかったでしょう。寮の布団に入ってからも懐中電灯で勉強したのは、いい思い出です。当時の学友は今でも友達で、両国のときの思い出話をする時があります。全寮制で尚且つ、当時医歯薬専門の両国予備校で鍛えられたからこそ、今があると思っております。高校の3年より濃密に勉強した2年間。今はもうありませんが、当時教えていただいた講師の先生方や、教務の皆様には感謝のしようがありません。本当にありがとうございました。今も一生懸命に勉強しております。

Missing 1991年大阪校薬理工学部通学生 2021/3/5 01:51

「医歯薬理工系文系学部へ驚異の合格率を誇る」とあったと思います。
当初は医歯薬だけ対象だったのを後に理工学部が追加になり、後に文系学部が追加されたもののようです。
入手した歌集のテープには「将来立派な医歯、薬剤師になることを決意しあらゆる艱難辛苦に耐えて受験勉強する者以外は入学してはならない」のポスターのイラストがありました。
ちなみに私が学んだ時は既に「将来立派な医療人社会人~」になっていました。
また驚異の合格ですが、私が入学する前の説明資料では「医歯薬理工系文系学部合格率第1位」でした。 入学する前くらいに朝日新聞の「はい社会部です」(電話で購読者の疑問に回答するいわゆる投書欄みたいなコーナー)に「合格率1位は本当?」の題(合格率1位を歌う予備校に子供を入れますが、合格率の根拠を事務室に尋ねても曖昧な返事しか来ない、誇大広告か心配です。→校長からの回答も掲載)で掲載されたのが影響したのか不明ですが、以降驚異的な合格率にかわっています。

思い出したらまた記載させてください。

Missing 2021/2/19 11:24

駅周辺をマップで見てて校舎が無いことにビックリしたw
あそこで過ごした1年は良い思い出

Missing 自宅生 2021/2/11 00:06

1992年の自宅生です。
国立医学部に進学しました。
授業料が高くて親不孝したなぁと思いますが、自分的には楽しかったです。
恋愛も満喫しましたし。

Missing ピノコン 2020/9/5 11:34

第43同人寮(新小岩)に入寮していました。
確かによろしくない噂(都市伝説)はあるのですがここではやめておきます。
一応“母校”ですので。

ちなみに、わたしは高校時代部活に明け暮れていたので部活を引退した3年生の時に受けた
外部全国模試で偏差値が“38”でした(*_*;

両国予備校で1日15時間の学習スケジュールを立てさせられ、それを忠実に休むことなく、
継続したおかげで、秋口の頃には偏差値も“60”を超えるようになりました。

現役時代は箸にも棒にも掛からなかった私が、両国予備校のおかげで、国立大学、私立大学6校、
受験した大学全て合格しました。全て理系です。

先生やテキストの質は一流とは言いませんが、勉強する最高の環境を提供してくれた両国予備校には
本当に感謝しています。

全寮制だったので、その時の仲間は今でも同じ釜の飯を食った“戦友”として付き合っています。

私の人生を変えてくれた両国予備校でした。

改めて感謝致します。

「艱難辛苦」

当時は鼻で笑ってましたが、今となっては(40代)心に染みます。

Missing 1987両国生 2020/7/4 21:34

両国予備校卒業生です。懐かしいですね。
そういえば、男女交際にもめちゃくちゃ厳しかったですね。空いている教室で男女2人きりで話をしているのを教務の先生に見つかったら、すごく怒られて、2人とも始末書です。また、授業こそ男女一緒の教室でしたが、お昼の弁当を食べる教室は、男子と女子とで分けられていました。
またクラス分け。私たちの時は、入学試験の成績で第1〜第4グループに分けられました。
第1は最初のクラスがE FGHI、第2はKLMNOという具合で、クラス分けテストがあるたびに一つずつ上がる(DEFGH)というのは本当でした。

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