コメント (page 2)
~~~~~ 特訓学習の心得 ~~~~~
一、決して「むり」な勉強をしないこと
一、決して「むら」な勉強をしないこと
一、決して「むだ」な勉強をしないこと
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「むり」「むら」「むだ」という言葉を使いたかったのでしょうね。
学習行事日程というものが出てきました。
・国公立及び私立医歯系は、毎日6時間、日曜祭日は14時間(一週間に、50時間以上)が義務付けです。
・私立薬理工系・文系は、毎日7時間、日曜祭日は14時間(一週間に、56時間以上)が義務付けです。
だそうです。
「無理をしないで高い学力をつける。」1日14時間勉強することは無理じゃないって言われたことを思い出しました。
1991年大阪校薬理工学部通学生 さま
ヤフオクの件、承知しました。急いでおりませんので余裕のある時にお願いできればと思います。お手を煩わせますが、よろしくお願いいたします。
お弁当の件、まさか権利を売る人がいたとは。私たちも大阪校の方たち同様、弁当が単調で次第に飽きて、近くの吉野家やファミレス、ラーメン屋等によく行きました。医学部を目指さざるを得ない10歳くらい年上の寮生がおいしいお店を探して教えてくれたのを思い出します。
ちなみに1993年は冷夏により米が不作で、1994年には米不足によりタイ米が出回っておりました。昼は口に合わない弁当、夜は寮でタイ米。みんなで文句を言っていたものです。
授業の空き時間は自習室に行き証明ハンコをもらわなくてはいけませんでした。今では消えるボールペンは珍しくありませんが、当時は今とは違うタイプの消えるボールペンがあり、それを利用して時間をごまかし、ドトールでさぼったりしたこともありました。授業中に居眠りがバレると見回りの変なおじさんに起こされ、ガムを噛んでいると反省書を突然手渡されたり。面白いことがいっぱいあります。
歌が聴きたい様
ヤフオクで調整します。
梱包した後の送料を確認して準備できたらお知らせしますね。
なかなか自由な時間が取れないため、ゆっくりめになるかも知れませんがご容赦ください。
両国予備校は結構噂話が多かったので、寮生の笑い話は楽しく聴かせてもらってました。
1994年の事件、大変でしたね。怖くて弁当食べられないですね。大阪は寒くて調整はありましたが冷房不良はあまり聞かなかったです
私の従兄弟も1992年に東京校の寮にいて、夕食が数時間前から準備されるために時々怪しいことがあると証言がありました。
(昼飯)大阪校も食べる場所は寮ごとに指定されていました。記憶では女子寮生は8号研修室(寮は6カ所、4教室が割当)、通学生は7号研修室(4教室)、男子寮生は本校舎と3号館(3教室しかない)が割り当てられていました。(46,47.48寮は本校舎6階講堂の記憶あり)
寮生は仕出し弁当。口に合わないうえ曜日でメニューが決まっているためか外食する人が多く、自分の権利を通学生に売る人もいました。本校舎のみ2時間目終了後直ちに歌集(A面(歌つきのほう))が流れ出しました。
1991年大阪校薬理工学部通学生 さま
通学生にもかかわらず、寮の朝の起床の音楽にまでお詳しいとは!!
ちなみに東京校の寮生は、お昼の時間は決められた号館にて支給される仕出し弁当を食べなければならず、お弁当を食べている時も音楽が流れていました。そして、1994年にはその仕出し弁当によって食中毒も発生しました。1994年は猛暑の年で、エアコンも全く聞かず授業中にうちわが配られました。「無理をせずに高い学力をつける」どころか、汗だくだくでものすごい無理をしながら授業を受けていたのを覚えています。
発送の件、ヤフオクで全く問題ありません。
どんな方法でもウェルカムです!
ヤフオクにて時間を見つけて検索をかけさせていただきます。
楽しみにお待ちしております。
歌集はCDに焼きました。
そして発送ですが、メルカリはまだ未経験ですので、ヤフオクの利用は大丈夫でしょうか。
出品は数年ぶりですので方法が変わっていて手間取るかも知れませんが、ご容赦ください。
商品名を「第100同仁寮」で。
値段は送料相当(100円単位?)を考えています。
もし、ヤフオクでなくメルカリ希望の場合、お知らせください。
[歌集]
大阪校でも流れていましたが、使われているのは
○入学式と合格祝賀会の校歌斉唱の時
○入学テストと入学説明会のあいだの昼飯時(本校舎)
○年2回の保護者会開始前。
○通常授業、模擬試験日(毎週土曜日)の昼食時(大阪校では本校舎のみ、他の校舎や研修室に割り当てられた寮生、通学生は放送なし。)
○寮の起床の音楽(20くらいある寮のうち流れているのは46、47、50寮くらい)
<管理者様>
遅くなりましたが、「歌が聴きたい」様同様懐かしい思い出を共有し、コメントできる環境をくださり大変感謝いたしております。
今後ともよろしくお願いいたします。
1991年大阪校薬理工学部通学生 さま(No.2)
ところで歌集について、どうにかお譲りいただけないかと考えたのですが、やはりメルカリ等を利用するのが良いのかと思いました。少しお手間をおかけすることになりますが、お願いできますでしょうか。私は音楽が聴きたいだけですのでテープでもCDでもデータでも形は何でも構いません。youtube等にUpしていただくことも考えましたが、お手間をかけさせるだけでなく著作権の問題等も発生してくる可能性があるので避けたほうが良いかもしれませんね。
もし、すでにメルカリを利用されているようでしたら、商品名を「第100同仁寮」としていただければ私が探して購入させていただき、そこでどのようにするかやり取りできればと思います。お値段はお任せいたします。
メルカリを利用されていないようでしたら他の方法を考えます。
<管理者様へ>
コメント欄にてこのような会話をさせていただきまして大変感謝いたしております。
このような記事を拝見し、とても懐かしい気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
―2/2―
1991年大阪校薬理工学部通学生 さま(No.1)
こんなに早くお返事を頂き、本当にありがとうございます。
予備校に通っている当時に音楽テープを購入しようという発想があったとは、なかなかの強者ですね!あなたのおかげでもしかしたら名曲!?を再度耳にすることができるかもしれないという期待で胸が膨らんでおります。
「♪両国予備校は、両国の駅の前、ずらりと並んだ校舎群。小教室で、し~ごか~れるしごかれる。コッチャエーコッチャエー♪」(歌詞が正しいかわかりませんがこんな歌が頭を回っております。)
久しぶりにしまいこんであった英単語帳やら、自宅学習報告書を引っ張り出して懐かしんでおります。
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一、今日一日素直になること
一、今日一日真面目になること
一、今日一日感謝の心を持つこと
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毎朝、寮の朝礼?!で唱えてました・・・。
良い思い出も悪い思い出も頭をよぎります。
ー1/2ー
歌が聴きたい さま
はじめまして、反響があるのは嬉しいです。
歌集のテープ今でもありますよ。
でも最後にテープを再生したのが14年ほど前のため使えるか不明。
現在はテープで再生したのをそのままパソコンにデータ化したものを利用、CDに焼いたやつがあります。
渡したい想いはありますが、個人情報書けませんし、現在どのような方法があるか考え中です(名案ありますか)。
ちなみに入手経路は通っていた大阪校の受付、受付の人に「本当に買う気?」と驚かれました。定価2000円とありますが、販売しているところを見たことがありません。
持っている人は凄く少ないためにメルカリなどでは出回らないと思います。
やはり時々聴きたくなりますよ。車の音楽データに入れてるくらいですから、ある意味名曲かもしれません。
1991年大阪校薬理工学部通学生 さま
コメントを拝見したのですが、今現在、歌集のテープをお持ちでしょうか。
過去に寮や食堂(弁当を食べさせられている時)に聞いた歌たちがずっと聞きたいと思っており、
10年近く探しているのですが、オークションやメルカリを探しても発見することができません。
(さすがに皆さん処分されているのか、このようなものを譲ろうと思わないのか・・・。)
過去に2ちゃんねるにUpしてくださった方もいたようなのですが、現在はリンクが切れてしまっていて見れません。
もしよろしければ、ネット上にUpしてくださるか、ダビングしてくださるか、貸してくださるか、もしくは譲ってくださるかお願いできませんでしょうか。
ただ懐かしいあの、良い(悪い?!)思い出を思い返したいという一心から探しております。
よろしくお願いします。
両国予備校では東京校と大阪校で入学希望者には入学テスト(午前)と入学説明会(昼食挟んだ同日の午後)が行われていました。
ここでは入学テスト、いわゆる学費決定試験について触れますが
入学テストはひとり1回限り、受験可能
確か理系では英120点、数120点、理(物、化、生から1科目)60点、計300点満点。
225点以上→特待生入学→0円(1992年度から成績優秀者には奨学金支給が追加)
180点以上→国公立試験入学→約30万円
135点以上→私立試験入学→約60万円
105点以上→準試験入学→約99万円
105点未満→無試験入学→約127万円
試験内容から95%以上が無試験入学のようでした。
試験内容ですが、すべての問題が配付され、制限時間は100分、どの科目、どの順番で解いても構いませんとのこと。
○英語→確かB4の問題用紙4枚、すべて長文読解。
○数学→数1、代幾、基解。大問4題、うち1題が小問集合。英数ともおそらくセンター試験よりは量が多い。
○理科→物理を選択したが、大問3題、1番とっつきやすいが配点が低い
【入学式とそれを迎える前】
そろそろゴールデンウィーク前ですが、記憶が間違っていなければ両国予備校では4月20日前くらいに入学式があったような。
1991年現在東京校は両国国技館、大阪校は東大阪市民会館(翌年は大阪府立体育館)が会場、勿論校歌斉唱があり、左側に校旗がありました。校長先生が「恋愛を禁止します」と締めていました。
その4月下旬まで何をしているのかというと、ひたすら英単語の暗記、確か週2(遠方の人は週1でも可)、東京か大阪のいずれかの校舎へ通い英単語テストをしました。
1992年度以降の学生はこの記事の写真にある英単語5000を使いますが、それ以前は旧バージョンの英単語5000を使いました。なお旧バージョン使用時代は入学テストで15/120点以下だとシグマ英単語3000が送られてきてそれを優先的にやりました。
なお5000が終わらなくても罰則はありませんが大半は真面目にやっていたと思います。
医学部を目指して2年も両国予備校で刻苦勉励しました。祖父が医師で、島で医院を開業しておりましたが、息子4人は全員医師になっておらず、孫である私に全て託される形で私は、半ば無理矢理「牢獄予備校」と言われた両国予備校に入校させられました。講義は玉石混交でしたが、スパルタ式のやり方は、いま考えると非常に良かったと思います。もしも、ここで学んでいなかったら国立医学部に行けなかったでしょう。寮の布団に入ってからも懐中電灯で勉強したのは、いい思い出です。当時の学友は今でも友達で、両国のときの思い出話をする時があります。全寮制で尚且つ、当時医歯薬専門の両国予備校で鍛えられたからこそ、今があると思っております。高校の3年より濃密に勉強した2年間。今はもうありませんが、当時教えていただいた講師の先生方や、教務の皆様には感謝のしようがありません。本当にありがとうございました。今も一生懸命に勉強しております。
「医歯薬理工系文系学部へ驚異の合格率を誇る」とあったと思います。
当初は医歯薬だけ対象だったのを後に理工学部が追加になり、後に文系学部が追加されたもののようです。
入手した歌集のテープには「将来立派な医歯、薬剤師になることを決意しあらゆる艱難辛苦に耐えて受験勉強する者以外は入学してはならない」のポスターのイラストがありました。
ちなみに私が学んだ時は既に「将来立派な医療人社会人~」になっていました。
また驚異の合格ですが、私が入学する前の説明資料では「医歯薬理工系文系学部合格率第1位」でした。 入学する前くらいに朝日新聞の「はい社会部です」(電話で購読者の疑問に回答するいわゆる投書欄みたいなコーナー)に「合格率1位は本当?」の題(合格率1位を歌う予備校に子供を入れますが、合格率の根拠を事務室に尋ねても曖昧な返事しか来ない、誇大広告か心配です。→校長からの回答も掲載)で掲載されたのが影響したのか不明ですが、以降驚異的な合格率にかわっています。
思い出したらまた記載させてください。
第43同人寮(新小岩)に入寮していました。
確かによろしくない噂(都市伝説)はあるのですがここではやめておきます。
一応“母校”ですので。
ちなみに、わたしは高校時代部活に明け暮れていたので部活を引退した3年生の時に受けた
外部全国模試で偏差値が“38”でした(*_*;
両国予備校で1日15時間の学習スケジュールを立てさせられ、それを忠実に休むことなく、
継続したおかげで、秋口の頃には偏差値も“60”を超えるようになりました。
現役時代は箸にも棒にも掛からなかった私が、両国予備校のおかげで、国立大学、私立大学6校、
受験した大学全て合格しました。全て理系です。
先生やテキストの質は一流とは言いませんが、勉強する最高の環境を提供してくれた両国予備校には
本当に感謝しています。
全寮制だったので、その時の仲間は今でも同じ釜の飯を食った“戦友”として付き合っています。
私の人生を変えてくれた両国予備校でした。
改めて感謝致します。
「艱難辛苦」
当時は鼻で笑ってましたが、今となっては(40代)心に染みます。
かつて一世を風靡した進学塾「両国予備校」の伝説を振り返る!!
受験戦争が激しかった80年代から90年代、当時多数のCMを打っていた「両国予備校」を覚えていますか?この記事では当時の受験戦争を振り返りつつ、両国予備校について書きたいと思います。