吉田照美、36年半続けた冠帯ラジオにピリオド!!
フリーアナウンサーの吉田照美がパーソナリティーを務める文化放送の「吉田照美 飛べ!サルバドール」が、吉田は同番組が来年3月いっぱいで終了することを明かした。
吉田は、1980年10月から「てるてるワイド」などの冠帯番組を36年半もの間、同局でラジオパーソナリティとして務めてきた。しかし、とうとうピリオドが打たれる事となった。
番組冒頭で吉田は「途切れることのなかった記録でしたが」と報告。また、吉田は現在は就職活動中とのことだ。
吉田は終了まであと約4カ月となり「もうちょっと頑張りたかった」とコメント。「半年後、夜(ラジオを)やっているかも。何が起こるかわからない。一つよろしく」と語り、吉野の言葉からはラジオを続けていきたい気持ちが伝わってくる。
吉田は、1980年10月から「てるてるワイド」などの冠帯番組を36年半もの間、同局でラジオパーソナリティとして務めてきた。しかし、とうとうピリオドが打たれる事となった。
番組冒頭で吉田は「途切れることのなかった記録でしたが」と報告。また、吉田は現在は就職活動中とのことだ。
吉田は終了まであと約4カ月となり「もうちょっと頑張りたかった」とコメント。「半年後、夜(ラジオを)やっているかも。何が起こるかわからない。一つよろしく」と語り、吉野の言葉からはラジオを続けていきたい気持ちが伝わってくる。
via www.waseda.jp
吉田は、亡くなった大橋巨泉さんが、吉田のラジオを聴いてくれた事が嬉しかったようだ。
大橋さんが番組の続きが気になって、車の中で全部聞いてから家に入ったというエピソードを番組で披露している。
誰かを夢中にさせ、喜ばせる事は、吉田とって「お世辞もあると思うけど、ラジオをやっていた冥利につきる」と明かしている。
今回の同番組による終了は、文化放送が吉田やみのもんたのような人気アナウンサーを育成していくために決断されたようだ。
大橋さんが番組の続きが気になって、車の中で全部聞いてから家に入ったというエピソードを番組で披露している。
誰かを夢中にさせ、喜ばせる事は、吉田とって「お世辞もあると思うけど、ラジオをやっていた冥利につきる」と明かしている。
今回の同番組による終了は、文化放送が吉田やみのもんたのような人気アナウンサーを育成していくために決断されたようだ。
文化放送の冠帯番組『吉田照美 飛べ!サルバドール』
吉田照美 飛べ!サルバドール
文化放送のラジオ番組。2013年4月1日開始。放送時間は平日 15:30 - 17:50。
夜に『てるてるワイド』、昼に『やる気MANMAN!』、早朝に『ソコダイジナトコ』と、それぞれの時間帯を担当してきた吉田照美が、夕方の時間帯に担当することになった番組。
「吉田照美と今を遊ぶ」が番組のコンセプトで、タイトルの「サルバドール」は、吉田が敬愛する画家のサルバドール・ダリの事で、タイトルロゴにもいくつかの意匠が見られる。
夜に『てるてるワイド』、昼に『やる気MANMAN!』、早朝に『ソコダイジナトコ』と、それぞれの時間帯を担当してきた吉田照美が、夕方の時間帯に担当することになった番組。
「吉田照美と今を遊ぶ」が番組のコンセプトで、タイトルの「サルバドール」は、吉田が敬愛する画家のサルバドール・ダリの事で、タイトルロゴにもいくつかの意匠が見られる。
via p.twpl.jp
パーソナリティの吉田照美とアシスタントの室照美。
放送開始 - 2016年3月25日は「サルバトラー」と呼ばれる外国人タレントの日替わりコメンテーターとともに、日本の常識に捉われず、グローバルな視点から、様々な情報や話題を捉える、国際色豊かな番組であった。
via prtimes.jp
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オールナイトニッポンよりも、僕らはてるてるワイドを愛聴していた!決して少数派の意見ではないだろう。
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1951年(昭26)1月23日、東京生まれ。早大政経学部卒業後、1974年文化放送に入社。「大相撲熱戦十番」などでリポーターとして活躍した後、1978年4月から人気深夜番組「セイ!ヤング」のパーソナリティーで人気に。その後、1980年10月から「てるてるワイド」など帯番組を担当。1985年3月の退社後はテレビにも進出。同年からフジテレビ系「夕やけニャンニャン」の司会を担当した。趣味は油絵。血液型O。