【加賀まりこ】「小悪魔」とはまさにこの人のことだったんじゃないかとぞ思ふ。
2016年6月9日 更新

【加賀まりこ】「小悪魔」とはまさにこの人のことだったんじゃないかとぞ思ふ。

「加賀まりこ」、昔バラエティで見かけたイメージでいたが綺麗な人だな~って思ってました。今でいう「小悪魔」って表現がぴったりな感じで。私たち世代よりも上の方ですが、昭和を代表する美しい女優さんの経歴をまとめてしまいます。

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加賀まりこ

加賀まりこ

加賀まりこ

加賀 まりこ(かが まりこ、1943年12月11日 - )は、日本の女優・司会者。本名は加賀 雅子(かが まさこ)。
有限会社活動屋所属。デビュー以来、奔放な言動でマスコミをにぎわし小悪魔、和製ブリジット・バルドーなどと呼ばれる。
「小悪魔」と呼ぶにふさわしい美貌を持つ加賀まりこ。
その経歴を画像と共に振り返ります。

加賀まりこの経歴

芸能一家に育つ

芸能一家に育つ

東京都神田区小川町(現:千代田区神田小川町)に生まれ、新宿区神楽坂で成人した、現在も新宿区在住。父・加賀四郎は大映のプロデューサーとして知られ、姪に俳優の田中健夫人の女優、加賀千景を持つという芸能一家の中で育つ。
伯父・加賀一郎はアントワープオリンピックで100mと200mに出場しており、ベルリンオリンピックにも役員として選手団に同行、祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉、母方の祖母は神田錦町で貸席を営んでいた松本フミ、伯父・加賀二郎は松竹株式会社元常務、また父方・母方の従兄妹は元女優の岸雅子(のち加賀周子)、シャボン玉ホリデーカバーガールをつとめた加賀美知子、元日本テレビプロデューサーの加賀義二。
幼いころから毒舌

幼いころから毒舌

小学生の時分より隣町である神田神保町の古本街に通い、澁澤龍彦翻訳の「マルキ・ド・サド選集」を愛読。
小さい時から思ったことは何でも口にする歯に衣きせぬ毒舌だったという。また映画で見た、オードリー・ヘップバーンの髪型にするため1人で美容院に行くほどの早熟な子供であった。
学生服で高級イタリアンに通う

学生服で高級イタリアンに通う

中学校時代には陸上競技を行っており、2年時には走幅跳で都大会で優勝している。高校生になると行動範囲は広がり、六本木や麻布界隈で飯倉の高級イタリアレストラン「キャンティ」に学生服のまま通っていた。また、キャンティのママの自立した生き方に強い憧れを抱いていたという。
なお、六本木野獣会のメンバーと誤解されることがあるが、本人は無関係だと否定し、「野獣会などは田舎者の集まり」と言っている。
芸能界デビュー

芸能界デビュー

千代田区の一橋中学を経て明星学園高等学校入学。同校在学中の1960年、通学姿を見初めた篠田正浩と寺山修司に路上でスカウトされ、フジテレビ系ドラマ『東京タワーは知っている』でデビュー。
松竹と5年間の新人契約を交わして1962年に『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビュー。その後、数々の映画やCMで作品にてプロフェッショナルな演技力と、小悪魔的なルックスで人気を呼ぶ。
反面、常に歯に衣着せぬ発言、かつ強気であったため「生意気」のレッテルを貼られ、尖ったキャラクターイメージでお馴染みとなり、『夜のヒットスタジオSUPER』の司会でもその言動が波紋を呼ぶこととなる。
一時休業、復帰

一時休業、復帰

20歳の時、次々に舞い込んでくる仕事と女性週刊誌がイメージだけで書く記事に嫌気がさし、人生をリセットする目的で半年先のスケジュールまでキャンセルして、単身パリに渡る。
それまでに稼いだ金で豪遊のかたわら、イヴ・サン=ローラン、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワーズ・サガンらと交友する。
半年が経ち、金が底をつき帰国を考えていた矢先に国際電話で演出家・浅利慶太から「舞台に出るかい?」と舞台出演の打診をされる。帰国後、劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演。
連日大入りの大盛況で日生劇場始まって以来の大成功となる。この舞台で初めて、女優としての喜びを知り、以降女優業に本腰を入れる。
川端康成はダチ

川端康成はダチ

川端康成は大変加賀を気に入っており、撮影所や劇場によく見学にきたり、ともに朝食を摂ることもある仲であった。
加賀は川端について「いいダチ」と述懐している。1965年に出演した映画『美しさと哀しみと』の作品中のレズビアン「坂見けい子」を加賀が演じることになり、川端は原作者として加賀と初対面した。
川端は加賀のリハーサルの演技を見て、「加賀さんの熱つぽい激しさに私はおどろいた」、「私がまるで加賀まりこさんのために書いたやうな、ほかの女優は考へられないやうな、主演のまりこがそこに現はれた」と述べ、登場人物の「けい子」というエキセントリックで妖精じみた娘に、「演技より前の、あるひは演技の源の、加賀さんの持つて生まれた、いちじるしい個性と素質が出てゐた」と褒めた。
ずっと女優として第一線で活躍

ずっと女優として第一線で活躍

1972年未婚のまま女児を妊娠、シングルマザーとして育児をする決意するも、出産7時間後に子供は死亡した。
その後も女優として第一線で活躍、近年ではテレビドラマ『花より男子』に出演したことで若い人にも知ってもらえるようになったという。特に女子高生に声をかけてもらうようになったが、その際に「道明寺のお母さんだ」とドラマの役柄で呼ばれると自虐的に語っている。
またこの役について「鉄の女というか、血が通ってない役は似合わないと思って最初は断ったけど、クランクイン1週間ほど前にプロデューサーと演出家の方に口説かれ、その熱意に打たれて出演を決めた。反響が凄かったわ」と語っている。
現在ではTBS社員の演出家・清弘誠と事実婚の関係である。

若かりし頃の美貌をぜひ動画でご覧ください

「月曜日のユカ」予告編 - YouTube

麻雀も強い加賀まりこ

麻雀 女優加賀まりこ、メンホン三暗刻トイトイ炸裂する。 - YouTube

説明 加賀まりこさん、メチャ強い!
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