【総合格闘家】中村K太郎選手インタビュー~「K太郎」の由来、これからの格闘家人生まで~【UNTIED GYM】
2022年4月19日 更新

【総合格闘家】中村K太郎選手インタビュー~「K太郎」の由来、これからの格闘家人生まで~【UNTIED GYM】

現在、RIZINに参戦中であり日本人ウェルター級最強の呼び声高い「中村K太郎」選手にミドルエッジが独自にインタビュー取材をしてきました。格闘技好きの間では有名な「K」のポーズの由来から、今後の格闘技人生についてなどを中村K太郎選手が主宰するユナイテッドジム東京(UNITED GYM TOKYO)にお邪魔しました。

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「裸絞め十段」のニックネームを持ち、逆転のスリーパーホールドで幾多の試合を勝ち抜いてきた中村K太郎選手。試合に勝った後の勝利ポーズである体全体で「K」を表すポーズは総合格闘技好きにはよく知られています。

今、第3次の総合格闘技ブームと言われ、RIZINを初め、海外の格闘技も盛り上がってきてます。そんな時代を生き抜いて、なおバリバリの現役選手である中村K太郎選手に格闘技を始めたきっかけから自分のジム「ユナイテッドジム東京(UNITED GYM TOKYO)」を立ち上げた理由などをインタビュー取材しました。

「裸締め十段」中村K太郎選手

中村K太郎選手

中村K太郎選手

K太郎選手と言えば、お馴染み「K」ポーズ
1985年5月22日生まれ、和術慧舟會K太郎道場所属。元DEEPウェルター級王者。SRCウェルター級グランプリシリーズ2010王者。

本名は中村 圭太(なかむら けいた)。
2003年、大学在学中にプロ格闘家としてデビュー。
2006年の修斗参戦時にリングネームを中村K太郎にする。
2006年には、弱冠22歳でUFCに参戦。2008年にはDREAM(総合格闘技イベント)にも参戦。
2010年に行われたSRCウェルター級グランプリシリーズでは優勝。
2015年にUFC復帰し、8試合を戦う。
その後、RIZINやBellator JAPANなどに継続参戦中。

誰もが知りたい「K」太郎の由来

編集部)
本日はインタビュー取材ありがとうございます。早速ではございますが、中村K太郎の「K」の由来からお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか。
中村K太郎選手)
「K」の由来は、通っていた和術慧舟會の先輩に滝田「J」太郎さんがいて、よくセコンドについたり、一緒に練習をさせていただいたんですよ。滝田「J」太郎さん自体は、杉作J太郎さんから取ったみたいです。

滝田「J」太郎さんが入場の時に小芝居をしながらの入場してて、その手伝いもしてたのとその滝田「J」太郎さんの後輩ってことで、Jの次はKで本名が圭太なのでノリでつけた感じです(笑)

今となっては、ずっと名乗っているので「K」に思い入れもありますが、当時はそんなに意識しないでつけちゃいましたね。
中村K太郎選手、プロ4年目くらいのお写真

中村K太郎選手、プロ4年目くらいのお写真

お隣は山田崇太郎選手
中村K太郎ブログより
https://ameblo.jp/ktarou-nakamura/page-250.html
ご本人の許諾を得て、お借りしました
編集部)
格闘技を始めたきっかけは何だったんですか?
中村K太郎選手)
格闘技を始めたきっかけは、小学1年生くらいの時にテレビで田村亮子選手の柔道の試合を見て、柔道に通いたいって親にお願いしたところからですね。

当時は、福島に住んでいたのですが、母親に車で送ってもらって柔道教室に通っていたのを覚えています。多分、当時の母親もパートとかで働いていたと思うんですが、忙しい中でも遠かったのにわざわざ車で送迎してくれた母親には感謝してます。

小学校5年生くらいで東京に戻ることになるんですが、そこからも柔道は続けていて、柔道から格闘技へと言った流れですかね。

格闘技を始めたのは、喧嘩自慢とのスパーリングだった?

編集部)
柔道で極める形ではなく、格闘技の道へと進めたのはいつ頃ですか?
中村K太郎選手)
中学に入っても、柔道部は続けてました。地元の友人が和術慧舟會に入っていて、そこが総合格闘技に触れるきっかけですね。

その地元の友人が同級生や友達を集めて、地元のスポーツセンターとか武道場とかを借りて遊びで同好会みたいな総合格闘技サークルを始めたんです。

その頃に住んでいたのが、葛飾区だったんで、葛飾とか江戸川とかのヤンチャなお友達をその格闘技サークルに呼んで、強めの手合わせしたりしてました。そのヤンチャな方達とのスパーリングには、1回か2回かくらいしか参加して無かったです(笑)
当時を振り返る中村K太郎選手

当時を振り返る中村K太郎選手

編集部)今のYouTube界隈で流行っている「喧嘩自慢」みたいな感じですか?
編集部)
今のYouTube界隈で流行っている「喧嘩自慢」※1みたいな感じですか?
中村K太郎選手)
そうです、そうです。まさにあんな感じで時代を先取りしてました。ヤンチャな友達がビデオカメラ持ってたんで、動画取ったりもしてましたねー。僕は悪いことはしてませんよ!スパーリングしてただけです…

で、その同級生が中学生で和術慧舟會に入っていたんです。その当時は、僕が和術慧舟會の道場に行くってことは無かったですが、同級生から和術慧舟會の話を聞いてました。同級生が小路さん※2に練習でコテンパンにやられた話を聞いてたりして、いい意味でそんな時代でした。
編集部)
その同級生の方がきっかけで、和術慧舟會東京本部に入門したのでしょうか。
中村K太郎選手)
僕が入門したのは、高校の柔道部が終わってから和術慧舟會に入りました。やっぱりその地元の友人の影響は大きかったですね。その友人のお兄さんも和術慧舟會に入っていたのもありますね。後は道場が地元からも結構近かったので、当時御茶ノ水っていうか湯島にあったので、通いやすかったですね。

高校終わってからは、ほぼ毎日通ってました。付属の高校だったので大学はそのまま持ち上がりで入学したのですが、大学の柔道部には入らず、総合格闘技1本になりました。
※1:「喧嘩自慢」YouTubeで人気のコンテンツ。格闘家が地元のヤンキーなどとスパーリングをして喧嘩自慢を試す企画。
※2:PRIDEなどで活躍した小路晃さん。和術慧舟會に所属していた。現在はラーメン屋を営んでいる。
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