t.A.T.u.とは
via www.amazon.co.jp
t.A.T.u.(タトゥー)は、1998年にロシア連邦モスクワ市にて音楽プロデューサーのイワン・シャポワロフ主導のもとリェーナ・カーチナ(日本語表記:レナ)とユーリャ・ボルコワ(日本語表記:ジュリア)によって結成された女性デュオです。ロック・ポップ・ユーロビートなど様々な音楽要素を取り入れ、2000年代初頭に突如として現れた不思議な存在。
そして2人がレズビアンカップルであるという独特のコンセプトを前面に打ち出し、強烈なインパクトを持ってティーンのアイドルとなっていきました。パワフルでボーイッシュなユーリャとドラマチックでガーリーなリェーナ。この異なるコントラストがまさにt.A.T.uの魅力でしたよね。アルバムとシングルの累計売上はこれまでに全世界で1500万枚を突破しています!
そして2人がレズビアンカップルであるという独特のコンセプトを前面に打ち出し、強烈なインパクトを持ってティーンのアイドルとなっていきました。パワフルでボーイッシュなユーリャとドラマチックでガーリーなリェーナ。この異なるコントラストがまさにt.A.T.uの魅力でしたよね。アルバムとシングルの累計売上はこれまでに全世界で1500万枚を突破しています!
「オール・ザ・シング・シー・セッド」でt.A.T.u.旋風到来!
t.A.T.u. - All The Things She Said (Official Music Video)
via www.youtube.com
デビューシングル「オール・ザ・シング・シー・セッド」(All The Things She Said)は、世界中にt.A.T.u.旋風を巻き起こした彼女たちの代表曲です(各国のシングルチャートで1位を獲得)。この曲は若い女の子たちの情事を歌ったセンセーショナルな内容となっており、ミュージックビデオで2人は制服姿で大胆なキスシーンを演じるなど、そのスキャンダラスで衝撃的な描写が当時驚きと共に大きな話題となりました。
ノット・ゴナ・ゲット・アス
t.A.T.u. - Not Gonna Get Us (EN)
via www.youtube.com
「オール・ザ・シングス・シー・セッド」に続き2作目のヒット曲となったのがセカンドシングル「ノット・ゴナ・ゲット・アス」(Not Gonna Get Us)。コアなファンを持つ人気の高い楽曲です。ミュージックビデオではユーリャとリェーナが吹雪の中を大型タンカーに乗り、猛スピードでひた走る姿がとても印象的。当時の彼女たちの若さと勢いを感じさせる名シーンといえるのではないでしょうか。
日本では映画『天使の牙B.T.A.』(2003年)の主題歌に起用されたほか、2014年に開催されたソチオリンピックの開会式では、ロシア選手団の入場曲に採用されました。
日本では映画『天使の牙B.T.A.』(2003年)の主題歌に起用されたほか、2014年に開催されたソチオリンピックの開会式では、ロシア選手団の入場曲に採用されました。
伝説のMステドタキャン騒動!
via www.amazon.co.jp
2000年にデビューしすでに世界中で大フィーバーを巻き起こしていたt.A.T.u.。しかしt.A.T.u.人気が日本に上陸したのは世界から少し遅れた2003年のことです。日本でのファーストアルバム『t.A.T.u.』は国内盤と輸入盤合わせて200万枚を売り上げる大ヒットを記録。当時の日本のt.A.T.u.に対する評価は、宇多田ヒカルさんのデビュー時と比較されるほど高いものがありました。
そんな人気絶頂の中、出演した『ミュージックステーション』で、あのドタキャン騒動は起こってしまったのです。番組冒頭には出演したものの、歌の出番になってもスタジオに現れず、そのまま放送終了まで姿を見せることはありませんでした。それは当時大きな騒動として報道され、このことにより日本でのt.A.T.u.ブームはあっという間に終わりを迎えるのです。
その後これらの騒動は彼女たちが起こしたものではなく、プロデューサーのイワン・シャポワロフによる命令だったことが明らかに!彼は日本だけでなく、各国でドタキャンなどの炎上商法を用いたマーケティングを行なっていました。またユーリャとリェーナがレズビアンカップルであるという事実はなく、こうした設定についてもシャポワロフが考えた戦略の一部だったとか。
そんな人気絶頂の中、出演した『ミュージックステーション』で、あのドタキャン騒動は起こってしまったのです。番組冒頭には出演したものの、歌の出番になってもスタジオに現れず、そのまま放送終了まで姿を見せることはありませんでした。それは当時大きな騒動として報道され、このことにより日本でのt.A.T.u.ブームはあっという間に終わりを迎えるのです。
その後これらの騒動は彼女たちが起こしたものではなく、プロデューサーのイワン・シャポワロフによる命令だったことが明らかに!彼は日本だけでなく、各国でドタキャンなどの炎上商法を用いたマーケティングを行なっていました。またユーリャとリェーナがレズビアンカップルであるという事実はなく、こうした設定についてもシャポワロフが考えた戦略の一部だったとか。
t.A.T.u. - Gomenasai
via www.youtube.com
シャポワロフと決別し2005年に日本先行で発売されたセカンドアルバム『デンジャラス・アンド・ムーヴィング』には、ドタキャン騒動を謝罪する『Gomenasai』が収録されています。いずれにしても『ミュージックステーション』の長い歴史において最大級の衝撃とインパクトを持って記憶されている伝説的な騒動であったことには違いありません。
t.A.T.u.の解散事情
via www.amazon.co.jp
全盛期を過ぎたt.A.T.u.は、2009年頃よりソロ活動が開始されたことから解散説が浮上。2011年、正式に解散が発表されました。しかし翌年には一時再結成。2013年にはスニッカーズのCMキャラクターに起用されたことで久しぶりの来日を果たしたこともありましたね。
ドタキャン騒動以降、日本での再ブレイクはありませんが、2014年にはソチオリンピックの開会式のイベントに参加するため再び集結するなど、まだまだ需要はあるようです。しかしイベント終了後すぐに解散を発表するなど、シャポワロフから離れてもなおゴタゴタが続く背景には、2人の不仲や方向性の違いがあるようで。現在に至るまでこうした解散と復活を繰り返しているt.A.T.u.です。
ドタキャン騒動以降、日本での再ブレイクはありませんが、2014年にはソチオリンピックの開会式のイベントに参加するため再び集結するなど、まだまだ需要はあるようです。しかしイベント終了後すぐに解散を発表するなど、シャポワロフから離れてもなおゴタゴタが続く背景には、2人の不仲や方向性の違いがあるようで。現在に至るまでこうした解散と復活を繰り返しているt.A.T.u.です。
ユーリャ・ボルコワ
ユーリャ・ボルコワ(Юлия Олеговна Волкова)は、1985年2月20日生まれモスクワ出身です。愛称は「ユーリャ(Юля)」。日本のメディアでは「ジュリア・ヴォルコヴァ」とも表記されていました。エネルギッシュなパワーに満ち溢れ、個性的な彼女はまさにt.A.T.u.の顔的な存在でしたよね。2004年初め、アルバム収録中に声が出なくなり手術を受けたことも。
t.A.T.u.解散後はソロへと移行し、歌手活動のほかにタレントとしても活躍している模様です。しかしたびたび問題発言が批判の的となったり、2021年にはロシア下院選に、かつて同性愛者の象徴的なアイドルだった彼女がまさかの「同性愛宣伝禁止法」を制定した「統一ロシア党」から立候補するなど、お騒がせな一面もあるようですね。
私生活では人気絶頂だった2003年、17歳で妊娠中絶報道がなされると、2004年にはボーイフレンドとの間に子供が出来たことを発表。しかし彼には妻と娘がいたため当時大きな議論が巻き起こりました。現在は二児の母親となっています。
t.A.T.u.解散後はソロへと移行し、歌手活動のほかにタレントとしても活躍している模様です。しかしたびたび問題発言が批判の的となったり、2021年にはロシア下院選に、かつて同性愛者の象徴的なアイドルだった彼女がまさかの「同性愛宣伝禁止法」を制定した「統一ロシア党」から立候補するなど、お騒がせな一面もあるようですね。
私生活では人気絶頂だった2003年、17歳で妊娠中絶報道がなされると、2004年にはボーイフレンドとの間に子供が出来たことを発表。しかし彼には妻と娘がいたため当時大きな議論が巻き起こりました。現在は二児の母親となっています。
ライモン 2022/3/14 05:24
プロデュースしたイワン・シャポワロフはちょっと時代を先取りし過ぎた考えを持ってしまったかもしれない人でしょう。今なら炎上商法をする芸能人やYouTuberもある程度ブレイクしてますし。