ポーラテレビ小説の主演女優!
浜尾朱美は、1961年1月20日生まれの徳島県徳島市出身。
早稲田大学在学中は、アナウンス研究会に所属し、先輩には、のちにフジテレビアナウンサーとなる山中秀樹、向坂樹興らがいました。また、大学受験ラジオ講座(通称:ラ講)の「蛍雪アワー」でDJを務めたこともあります。
就職は、もちろんアナウンサー志望。ところが、TBSの入社試験を受けた際、試験官の一人だったプロデューサーの柳井満に見出され、なんと卒業後にポーラテレビ小説『おゆう』の主演女優としてデビューします。ドラマは、ポーラテレビ小説のちょうど30作目にあたり、1983年4月〜9月に全130話放送されました。
因みに、前作29作目の『白き牡丹に』で主人公を演じたのが、賀来千香子です。
早稲田大学在学中は、アナウンス研究会に所属し、先輩には、のちにフジテレビアナウンサーとなる山中秀樹、向坂樹興らがいました。また、大学受験ラジオ講座(通称:ラ講)の「蛍雪アワー」でDJを務めたこともあります。
就職は、もちろんアナウンサー志望。ところが、TBSの入社試験を受けた際、試験官の一人だったプロデューサーの柳井満に見出され、なんと卒業後にポーラテレビ小説『おゆう』の主演女優としてデビューします。ドラマは、ポーラテレビ小説のちょうど30作目にあたり、1983年4月〜9月に全130話放送されました。
因みに、前作29作目の『白き牡丹に』で主人公を演じたのが、賀来千香子です。
『青が散る』で演じたのは・・・
『おゆう』の放送が終わり、1983年10月から出演したのが、同じく柳井満プロデューサーの手がけたTBSドラマ『青が散る』です。主人公を演じた石黒賢や二谷友里恵のデビュー作品で、浜尾朱美は彼らと同じ大学に通う、ニュースキャスター志望の大学生・二宮耀子を演じました。
耀子は、訳あって、同じ大学に通う和泉達雄と共同生活を始めますが、のちに恋に落ち、妊娠、中絶、別離と、波乱万丈の大学生活を送ります。ドラマは、これから4年生を迎えようとする節目で最終回を迎えました。因みに、和泉を演じた利重剛も役柄の志望通り、のちに映画監督になっています。
以下は、ドラマの挿入歌で、大塚ガリバーが歌った『人間の駱駝(ひとのらくだ)』です。ガリバーの演奏シーンでは、それを鑑賞する耀子がたびたび登場します。作詞は原作の宮本輝と秋元康の共作、作曲は長渕剛です。
耀子は、訳あって、同じ大学に通う和泉達雄と共同生活を始めますが、のちに恋に落ち、妊娠、中絶、別離と、波乱万丈の大学生活を送ります。ドラマは、これから4年生を迎えようとする節目で最終回を迎えました。因みに、和泉を演じた利重剛も役柄の志望通り、のちに映画監督になっています。
以下は、ドラマの挿入歌で、大塚ガリバーが歌った『人間の駱駝(ひとのらくだ)』です。ガリバーの演奏シーンでは、それを鑑賞する耀子がたびたび登場します。作詞は原作の宮本輝と秋元康の共作、作曲は長渕剛です。
『青が散る』挿入歌『人間の駱駝』(1983〜1984年)
【昭和ドラマOP番外挿入歌】青が散る 人間の駱駝 大塚ガリバー
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ニュースキャスターへ転身!
そして、浜尾朱美は、『青が散る』の放送が終了すると女優業に見切りをつけ、ドラマさながらに本当にニュースキャスターへの道を歩み始めます。
最初に出演したのは、テレビ朝日の朝6時台の情報番組『おはようTODAY』で、1985年9月から放送終了の1986年3月まで番組のアシスタントを務めました。その後、1987年10月から1989年9月までは、今も放送されている、TBSの人気情報番組『サンデーモーニング』のサブキャスターを務めています。
そして、1989年10月より担当したのが、TBSの新たな報道番組『筑紫哲也 NEWS23』です。メインキャスターの筑紫哲也をサポートするサブキャスターを務め、筑紫とともに番組の顔となります。1997年9月まで8年もの長きにわたって、番組を担当しました。
最初に出演したのは、テレビ朝日の朝6時台の情報番組『おはようTODAY』で、1985年9月から放送終了の1986年3月まで番組のアシスタントを務めました。その後、1987年10月から1989年9月までは、今も放送されている、TBSの人気情報番組『サンデーモーニング』のサブキャスターを務めています。
そして、1989年10月より担当したのが、TBSの新たな報道番組『筑紫哲也 NEWS23』です。メインキャスターの筑紫哲也をサポートするサブキャスターを務め、筑紫とともに番組の顔となります。1997年9月まで8年もの長きにわたって、番組を担当しました。
『筑紫哲也NEWS23』番宣(1990年)
筑紫哲也 NEWS23 番宣 1990年
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ニュースキャスター以外では・・・
浜尾朱美は多趣味で知られ、本業のニュースキャスター以外でも幅広い活躍を見せます。特に、競馬と大相撲。競馬ではなんと、自分で本を書いてしまうほどで、『夢のあと―My 競馬 diary』、『私の競馬』の2冊の著書があります。大相撲では、TBSラジオの『待ったなし大相撲』で司会進行を務めました。
プライベートでは、1994年に結婚。相手は、『NEWS23』にも関わっていた当時TBS報道局員の千葉茂聡氏です。1999年に出産し、その後は、 子育てに関する講演や、京都ノートルダム女子大学の客員教授など、新たな活躍を見せていました。
プライベートでは、1994年に結婚。相手は、『NEWS23』にも関わっていた当時TBS報道局員の千葉茂聡氏です。1999年に出産し、その後は、 子育てに関する講演や、京都ノートルダム女子大学の客員教授など、新たな活躍を見せていました。
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闘病生活、そして・・・
しかし、2007年に乳がんが見つかり、その後は闘病生活に。2008年に筑紫哲也が亡くなった際には、すでに闘病生活に入っていたことになります。2018年に体調が悪化し入院。その後、容体が急変し、帰らぬ人となりました。享年57歳。
夫の千葉氏は、彼女について以下のように語っています。
夫の千葉氏は、彼女について以下のように語っています。
千葉氏によると、浜尾さんは11年前に乳がんを患った。当初は気功などの東洋医学的な治療を受けていたが、徐々に最新治療を受けるようになり、1年前に摘出手術を受けた。今年5月に体調が悪化し、6月に都内の病院に入院した。一時退院をしたが、すぐに再入院。病状が急変し、14日朝に帰らぬ人となった。最期は息子と2人でみとったという。
浜尾さんの人柄については、「本当に家族思いで、自分のことより家族第一。そういう思いやりや優しさがあった」。
また、早稲田大学のアナウンス研究会の先輩だった、山中秀樹アナウンサーは次のように語っています。
訃報を受け「浜尾朱美死去のニュースに愕然とする」と記した山中アナは「早大アナウンス研究会の後輩で、アナウンサー志望だった。熱心な子で、後に女優になり、TBS筑紫哲也さんの番組のサブをつとめた」とツイート。また、乳がんは早期発見なら生存率は高いと報じられた矢先の訃報だったといい「残念でならない」と悲しみをにじませた。
筆者個人的には、『青が散る』で女優としてファンになり、毎晩ニュースで彼女の姿を視聴し、競馬ネタでも楽しませてもらいました。今も存命ならきっと、また新しい活躍の場が見られたことでしょう。ご冥福をお祈りします。
浜尾朱美
浜尾朱美さん乳がん死去 筑紫哲也さん初代コンビ
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