美白といえば”鈴木その子”
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鈴木 その子(すずき そのこ、1932年(昭和7年)1月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は、昭和50年代から平成年代にかけての美容研究家・料理研究家である。本名、鈴木 荘能子(読み同じ)。株式会社トキノ(現在の株式会社SONOKO)を創業した。
美白の女王でその存在を知っている方が多いかと思いますが、実はダイエットのカリスマの一面もあった方なんですね。
ダイエット研究を始めるきっかけとなった出来事が、その子さん15歳の頃、あらゆる成人病に冒されながら亡くなられたお母様、そして拒食症による症状で事故死してしまった息子さんの存在が大きかったようです。
ダイエット研究を始めるきっかけとなった出来事が、その子さん15歳の頃、あらゆる成人病に冒されながら亡くなられたお母様、そして拒食症による症状で事故死してしまった息子さんの存在が大きかったようです。
鈴木その子の実母の死
鈴木その子さんのお母様は、実業家の妻であり、ボランティア活動に大変熱心な方だったようですが、美食家の一面も持ち合わせていたようで、とりわけ中華料理やお肉料理といった油っこいものが大好きだったようです。そんな食生活を続けた結果、中年を過ぎた頃から肥満になり成人病に悩まされていたようです。
死につながる肥満対策メニュー!?
昭和30年代美容と健康のため果物をたくさん摂る美容食が流行っていたようで、お医者様からの指示で鈴木その子さんのお宅についていた栄養士は、ご飯や味噌汁、煮物、焼き魚、肉などは一切摂らせず、果物と白身の魚だけのメニューを何ヶ月も続けたそうです。その結果、ますます肥満が進み、身長150センチ体重90キロ超えにもなってしまい、最後にはむくみで歩くこともままならず、動脈硬化による血栓で亡くなられたとのことでした。
拒食症の息子との別れ
1976年5月に、長男がわずか二十歳という若さで事故死するという悲劇が待っていました。奇しくも、当時流行っていた極端な食べないダイエットの結果、体力が著しく低下しそのことが原因での転落死だったそうです。ご自分の親族を二人も間違った食事の認識により奪われてしまいさぞかし悲しい思いをされたことでしょう。
ベストセラー【やせたい人は食べなさい】
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1980年独自の健康を維持しながらのダイエット法である食事理論をまとめた『やせたい人は食べなさい』が出版されベストセラーとなりました。
最近流行りの低糖質ダイエットなどとは真逆の糖質を多めに摂取するダイエットでした。ダイエットではタブーとされる夜食や、甘い物も食べられる前代未聞のダイエット方法でした。
当時家の本棚で見かけた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
最近流行りの低糖質ダイエットなどとは真逆の糖質を多めに摂取するダイエットでした。ダイエットではタブーとされる夜食や、甘い物も食べられる前代未聞のダイエット方法でした。
当時家の本棚で見かけた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
その子式ダイエットとは?
一日三食きちんと白米を食べ、男性であれば300グラム、女性であれば1食180〜240グラムが推奨される。副食は、ひじき、のり、煮豆などを少量。肉も魚も食べて良いが、必ず鈴木式の下処理(脂部分を取り除く処理など)を施したうえ、少量。芋類は、残留農薬が多いので、少量。間食は、脂肪分が少なく、添加物の心配も少ない和菓子を(小一個)。寝ている間にもエネルギーは必要なので、饅頭を1個か羊羹一切れ、飴玉2個程度の夜食を食べてもいい。
この他にも玄米は残留農薬の視点からおすすめしない、外食のお米は油分を入れて炊いてある等、徹底した白米摂取に脂質制限と無添加食品が加わったスタイルでした。
この他にも玄米は残留農薬の視点からおすすめしない、外食のお米は油分を入れて炊いてある等、徹底した白米摂取に脂質制限と無添加食品が加わったスタイルでした。
鈴木その子化粧品の誕生
もともと美に対する関心が高かった鈴木その子さんでしたが、1990(平成2)年には念願だったスキンケアライン「トキノコスメ」をの販売開始しました。(料理で内からの美・化粧品で外からの美)他社の研究成果に頼ることなく、オリジナルな製品をという化粧品開発に際しても、その子のスタンスは一貫していました。
これが有名なその子化粧品になったんですね?この時すでに年齢は58歳だったそうです。
これが有名なその子化粧品になったんですね?この時すでに年齢は58歳だったそうです。