1986年の旋風 塚田泰明と塚田スペシャル
2017年5月30日 更新

1986年の旋風 塚田泰明と塚田スペシャル

公式戦連勝記録第3位、塚田泰明。連勝記録としては羽生善治、山崎隆之に並ぶ記録であるが、彼らが1992年、2002年の記録であるのに対して塚田は1986年のもの。当時はもちろん1位であった。それまでの記録を塗りかえた若き俊英の原動力・塚田スペシャルをご存知だろうか。

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30ヶ月の修行

現在の塚田泰明九段

現在の塚田泰明九段

 塚田九段は1964年生まれ、出身は東京都。
 中学生の時に第32回アマ名人戦で準優勝の成績を残し、その年のうちに奨励会に入会。
 在籍期間、約2年と半年。
 これは抜群の数字である。

 まず将棋界の記録メーカーである羽生善治が奨励会を脱するのに3年かかっている。
 かかっている、と言うがこれも相当な数字である。人によっては10年以上、例えば伊藤能七段が17年在籍していたり河口俊彦八段が16年在籍していたりする。
 15年以上在籍していると記録級の期間ではあるが、逆に言うと5年で抜けるのも早いほうというのが実際のところであろう。
 並べると塚田の奨励会在籍記録は上から2、3番目あたりの期間なのだが、奨励会はプロ将棋界とはちがう独特とも特殊とも言えるルールで動いていること、またそのルールが定期的に改正されていること、そもそも棋士と奨励会員というものが似て非なる存在であるというあたりがポイントになっているらしく語られる場面をあまり見かけない。
 現在はオンラインで様々な情報が得られるようになり、奨励会員の名前や戦績でも前に比べると見つけやすくなったようである。夢を追いかける場所とも《才能の墓場》とも呼ばれるかの場所に注目する人は今後どんどん増えていくのだろうという気もするが、それがいつ頃になるかというのはまだわからない。

 さておき塚田は早かった。そして強かった。その勝率たるやなんと8割超え。
 この時期にプロ入りした人には後にタイトル争いに絡む人が多く、こと1980年度にプロになった一群は昭和55年だったことから《55年組》とあだ名されることになるがなかでも塚田の奨励会成績は文字通り抜群であったことだろう。

天才対天才

タイトル獲得7期を誇る《55年組》南芳一九段

タイトル獲得7期を誇る《55年組》南芳一九段

 いつ伸び悩んでも爆発しても、あるいはその波が発生しても不思議ではないのが将棋界。それは自分自身で考え方や指し方を変えたということでも発生するし、他人との星の並びや組み合わせ、何が原因で起こってもこれまた不思議ではない。

 81年にプロ入りした塚田は順位戦で5勝5敗で指しわけの成績をおさめる。当たり前な話だが相手は奨励会員からプロになっているので環境は厳しくなっている。それに対して成績が下がるのは、妥当と言えるのか否か。環境と同じ速度かそれ以上のペースで成長していかないと上には昇れないのではという不安があったかもしれない。

 あるいはなかったかもしれない。塚田は2年目の順位戦において10戦全勝という文句無しの記録をつくる。
 相手には"あの"島朗四段(当時)や村山聖の師匠で知られる森信雄四段(当時)もいた。

 ちなみにこの第41期順位戦時、名人をいただいていたのは加藤一二三であった。この時43歳。塚田は20代半ばであるが、これを《まだ》ととっていたか《もう》ととっていたかはわからない。
 加藤一二三の名人を1期で終わらせた男は谷川浩司。彼は塚田と2歳違いでしかなかった。

「塚田……スペシャル……!」

 1996年、羽生善治ひとりが7つのタイトル全てを掌中におさめた時、周囲の人々はその功績を称賛したという。
 そのなかでA級棋士のひとりであった森下卓八段が言った。これは、棋士全員にとっての屈辱である、と。

 自分と近い条件を持っている者が自分よりはるかに優れた場所にいる。重用なのはその場所にいることより、そこで課される試練や義務といったものをこなしているということであろう。塚田も棋士であるからには《名人》の2字には思い入れがあったのではなかろうか。

 C級1組に上がった塚田はまた8勝2敗という好成績をあげる。しかしこの時の昇級者は2人とも9勝1敗。場合によっては1つの負けすら許されないのが順位戦というものである。塚田はもう一歩踏み込む必要があった。

 だから踏み込んだ。翌年の順位戦では10勝を獲得しての1位通過。無敗である。
 《たどり来て、いまだ山麓》というのは当時3つしかなかったタイトルの名人、九段、王将を独占し棋界初の三冠王となった人物の言葉である。
 まだその言葉を言うわけにはいかなかった塚田はまだB級にあがったばかりである。ここで休んではどうあがいても名人にはなれない。
棋界初の三冠王、実力制第四代名人升田幸三

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 B級入りした塚田はここでもまず8勝2敗の成績をあげる。しかしここでも一度は止めを食らってしまう。1位通過の西村八段、2位通過の田中八段ともに8勝2敗である。成績が並んだ場合は前回の成績をもとにつけられた順位で優先順位が決定してしまう。西村八段田中八段ともに前年度も1位と3位であったのに対し、塚田六段は昇級したばかりなので順位的には下であった。
 ということは、上のクラスの人物が降級してきた場合、順位的には1位2位がつけられるのである。去年まで上のクラスにいた人間よりも上の成績をとらなければ上がることは許されない。誰かが言っていた。B級は鬼の棲家であると。

 45期順位戦。塚田はまたもや8勝2敗だった。穴熊党総裁、大内延介九段が9勝1敗をあげているが他に9勝獲得はいない。塚田は順位的に3位であったから前回つらい思いをした分がきっちり帰ってきたことになる。
 この時もうひとり8勝2敗がいた。デビューの年が同じでありながら中原名人との番勝負にも競り勝った男、《受ける青春》こと中村修。当時王将であった。


 第46期順位戦。塚田、B級1組入りである。
 順位的に一番下が塚田である。ひとつ上に前年度上位成績者であった大内延介九段が入る。タイトル戦9連勝の記憶あたらしき二上達也九段が1位にいる他、《序盤のエジソン》田中寅彦八段、《不倒流》淡路仁茂八段、カミソリの異名を持つ勝浦修九段、幻の才英真部一男七段など人材にはことかかない年度である。
 塚田は初戦こそ田中八段に敗れるも、最終的には7連勝の好成績をあげて10勝2敗、1期抜けを達成した。

 この時。すでに彼の原動力は周囲の知るところであった。
 序盤から積極的に攻め、攻めかかり、攻めきってしまう怒涛の戦法《塚田スペシャル》である。
 将棋にはいくつかの戦法があり、すでに登場している大内九段や田中八段あたりも《穴熊》を大きく改良した人物であるが、これを指せば必ず勝てる理想の戦法というものは存在していない。
 それは将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームであり、ひとりが手を指せばひとりが必ず手を返してくるというルールが大きく関係しているが、また棋譜が公開されていること、対局が終われば将棋の専門家がすぐにでも分析と研究を行い、良い手であれば拾い悪い手であれば変えるという淘汰力の高さが大きな原因であるだろう。
 昔の時代であればファックスはもちろんコピーもないので情報速度に差があり中終盤の殴り合い、腕力で勝つという方法もあっただろうが、すでに研究派の伝説、島朗九段の島研やそれにともない羽生善治、佐藤康光といった面々が出てきている時代であり、新戦法をうみだすよりも誰かの戦法を応用して使うほうが効率が良い時期に入っていたはずである。

 そのなかで塚田はひとつの宝を見つけてきた。それが塚田スペシャルである。
 序盤から攻めかかりそのまま勝つという単純な構想は意外と破りにくく、また攻めに集中するため味方の陣形が乱れにくい。
 自分でやるにも敵にまわすにも危険が発生する戦法であるが、塚田はその危険を研究、感性、腕力、分析といった方法で克服したのである。
 その結果として発生したのが《公式戦22連勝》であった。この記録自体は不運にも半年後に更新されてしまうのだが、世間ではまだ学生とも扱える年齢で棋界全体が関わる記録を塗りかえたのは偉業であったろう。

 公式戦の中心は順位戦であろうと思うが、連勝したということは他の棋戦でも活躍したということである。
 塚田は85年に王将戦の挑戦者を選抜するリーグに入っている他、87年には第35期王座戦で中原名人と競り合い、3勝2敗で奪取している。
 もはやただの若手ではなかった。円熟した、強い若手である。強豪と言って良かった。
相掛かりの秘刀 塚田スペシャルのすべて

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塚田の攻め将棋―攻めっ気100パーセント

塚田の攻め将棋―攻めっ気100パーセント

今やすっかりベテランとして定着している塚田九段だが、当然新人の時期もあったのである。

強者への試練

 効果的な戦法が現れ、対策がとられてすたれ、改良されて再登場し、また対策がとられている……将棋の戦法はそういったサイクルを持っている。
 タイミングが違えばどうなっていたかはわからないが、塚田は塚田スペシャルを用いて順位戦及び各リーグで活躍した。そのなかでA級にもなっている。

 戦えば戦うほどに戦いは増えていく。そして提供する情報も増えていく。塚田スペシャルは1年ほどで全体と細部に対策がとられ、爆発力は大きくそがれてしまった。今まで《最強》《必勝》と呼ばれた戦法は多かったが、それらに共通して訪れる試練がこういった対策である。なかには数ヶ月と持たず、番勝負1局目で披露したところ3、4局目にはもう対策が完了してしまったという例もある。棋士のおそろしいところである。
 塚田スペシャルには様々な対策が施されたが、その決定的な手を指したのは谷川浩司であったと言われている。
光速の寄せ 総集編

光速の寄せ 総集編

さまざまな人物の目標として壁として君臨していた《光速の寄せ》谷川浩司九段
 しかし塚田は塚田スペシャルだけの男ではなかった。
 塚田スペシャルの対策が登場したのが87年頃のことであったとされているが、1990年、塚田は先手勝率0.857という数字をたたきだしている。

 プロ間で採用率が減り、「消えた戦法の謎」にも掲載されてしまった塚田スペシャルであるが、2015年の将棋大賞において升田幸三賞特別賞が与えられた。
 消えたとされていた神が1手の違いを土産に戻ってくるのが将棋である。守りに堅く、難解となりがちなプロの将棋であるが、もし《攻め100%》のこの戦法が戻ってきたらまた暴風がまきあがるのだろう。
 わたしはその風を待っている。

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