「世界まるごとHOWマッチ」での活躍
「チャック・ウィルソン」と言えば「世界まるごとHOWマッチ」
クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー解答者として出演、ちなみに、同番組には「クラーク・ハッチ健康管理センター所属」という肩書きで出演していた。
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風貌や体格に似合わず、毎回安い金額で回答するため、司会者の大橋巨泉からはケント・ギルバートの「ネギルバート」と同様に「ケチャック」(ケチなチャックの略)と呼ばれるようになる。高い金額で回答した際には巨泉から「もうケチャックとは言わせない、チャック・ウィルソンさんの回答です」と茶化されていた。
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世界まるごとHOWマッチ(最終回) - YouTube
世界まるごとHOWマッチ(最終回)
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せーの、HOWマッチ!『世界まるごとHOWマッチ』 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980年代を代表する司会者といえば、大橋巨泉でしょう。その巨泉の看板番組といえば、この番組。世界の色々なものの値段を当てていきます。世界各国からの問題を見て、そのお金の種類の多さに驚いたものでした。
CMなどでの活躍
本中華 - YouTube
あれもこれものけっちゃく。
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1988 NISSAN MAXIMA Ad - YouTube
ケント、チャック、デーブ
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チャック・ウィルソン 焼肉の玉苑 CM - YouTube
宮崎県でのCM。 1986年
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槇原敬之 - まだ生きてるよ - YouTube
槇原敬之「まだ生きてるよ 」のPVにも出演して、エアロビクスしています。
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スポーツ分野での活躍
チャック・ウィルソン
少年時代は心臓弁膜症で病弱でいじめを受け「痩せでドジの気弱なチャック」と呼ばれていたそうだが、不良グループに入り、少年刑務所に入ったこともあるが更生して、筋力トレーニングに熱中するようになった。
ボストン大学合格後に徴兵を受けて空軍内の柔道競技で10連勝、全米選手権でも準優勝の成績を残す。除隊後建築作業員や酒場の用心棒を経て1970年に来日し同志社大学に柔道留学、1971年・1973年・1975年に全日本パワーリフティングでオープン参加にてチャンピオンとなる。この時のベンチプレス200kgの日本記録を8年間保持。
1973年から「クラーク・ハッチ健康管理センター」の共同経営者として活躍。日本にエアロビクスを紹介している。1976年、アメリカの柔道ライト・ヘビー級チャンピオンとなり、1976年・1980年オリンピック候補選手となる。1982年 - 1989年のうち5回、ホノルルマラソンに参加し完走。相撲も研究した。1990年6月全日本パワーリフティング110kg級優勝。
現在は
「日本人の健康への意識と理解を高め、実行する手助けをすること」をコンセプトに「チャックウィルソンエンタープライズ (C.W.E.) 」を設立し、全国のフィットネスセンターの指導をされているようです。
チャック・ウィルソンの「ゆびトレマシーン」
子供向けに、こんなおもちゃがあったのは覚えていますか?指をきたえるマシーン。その名も「チャック・ウィルソンのゆびトレマシーン」。ファミコン世代に指をきたえてもらいたい?という事でトミーから発売されていました。