現在も最前線で活躍する俳優・舘ひろしさん
舘ひろし🤤 #gottcha pic.twitter.com/6nkmRA28tF
— 遠藤 寛和 (@hiro_endo) May 5, 2021
舘ひろしさんの経歴
先祖は尾張藩士の武士で、旧士族といった家柄に生まれた舘ひろしさん。父親は内科医をしており、裕福な家庭で育ったみたいです。舘ひろしさんのご兄弟は、弟・妹が一人ずつ。弟さんは、父親と同じように開業医として活躍されています。
高校は地元の県立学校に通い、ラグビー部の主将を務めていたそうです。卒業後は医者を目指したそうですが、医大の試験に落ち、その後、建築家になろうと千葉工業大学に入学されました。
在学中、アメリカ映画の影響を受けてバイクに憧れるようになった舘ひろしさん。
勉学より遊ぶことに夢中で、革ジャンにサングラスといった格好で大型バイクを乗り回し、やがてはバイクチーム『クールス』を結成します。そんな姿が芸能関係者の目に止まって、矢沢永吉さんがリーダーを務めていたロックバンド『キャロル』の親衛隊として有名になりました。
勉学より遊ぶことに夢中で、革ジャンにサングラスといった格好で大型バイクを乗り回し、やがてはバイクチーム『クールス』を結成します。そんな姿が芸能関係者の目に止まって、矢沢永吉さんがリーダーを務めていたロックバンド『キャロル』の親衛隊として有名になりました。
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1975年、バイクチーム『クールス』の選抜メンバーを集め、ロックバンド『クールス』を改めて結成。矢沢永吉さんや五大洋光さんなどの豪華メンバーが作曲に関わり、楽曲提供してくれた『紫のハイウェイ』で舘ひろしさんはとうとうメジャーデビューを飾ります。
同時に東映にも籍を置いて、俳優としても活動するように。
1976年には映画『暴力教室』で銀幕デビューを果たし、主演を務めた松田優作さんと殴り合うシーンは注目されました。
1976年には映画『暴力教室』で銀幕デビューを果たし、主演を務めた松田優作さんと殴り合うシーンは注目されました。
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続いて、映画『男組 少年刑務所』では初主演を飾り、この後も、東映制作で舘ひろしさんの主演作品が次々に制作されることになります。この時期の作品には暴走族のイメージが強く反映され、バイクチーム『クールス』の印象を引きずることに。
テレビドラマ初出演となった『西部警察』でも、ハーレーダビットソンを駆使するハードボイルド系の刑事・タツ役として半年間に渡って活躍しました。そして、この仕事を通じて渡哲也さんと出会い、舘ひろしさんの人生に大きな影響を与えることになります。
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1981年、『西部警察』に再び登場。本編でハードボイルド系の刑事・タツは殉職していたため、別人の鳩村英次役として、『西部警察PARTⅢ』の最終回まで出演しました。この時期には石原プロモーションの所属となり、石原裕次郎さん・渡哲也さん、二人の映画スターを師として仰ぐようになります。
しかし、舘ひろしさんがリスペクトしていたのは渡哲也さんだといい、生まれ変わっても、渡哲也さんの舎弟になりたいと語るほどに渡哲也さんに心酔されていました。
しかし、舘ひろしさんがリスペクトしていたのは渡哲也さんだといい、生まれ変わっても、渡哲也さんの舎弟になりたいと語るほどに渡哲也さんに心酔されていました。
『西部警察』の放送が終了すると、一旦はバイク使いとしての舘ひろしさんは影を潜めるようになります。しかし、日本テレビ系列のテレビドラマ『あぶない刑事』が始まると、ハーレーを乗り回し、ショットガンをぶっ放す舘ひろしさんの姿が見られるように。
共演された相棒役・柴田恭兵さんとの掛け合いやアクションは多くの視聴者を釘付けにしました。
共演された相棒役・柴田恭兵さんとの掛け合いやアクションは多くの視聴者を釘付けにしました。
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近年では時代劇やコミカルな現代劇にも積極的に出演しており、俳優としての演技の幅も広げておられます。まだまだ舘ひろしさんの進化は止まらないようで、今後の活躍ぶりにも注目していきたいです。
舘ひろしさんと渡哲也さんとの逸話
舘ひろしさんにとっての初のテレビドラマ出演。その記者会見を間近に控え、渡哲也さんのほうから先に会いたいという意向を伺い、喫茶店で待ち合わせをすることになったそう。待ち合わせ場所には渡哲也さんが先に到着していて、舘ひろしさんが喫茶店に入ってくると、その姿を見て立ち上がり、「舘君ですね。渡です」と握手を求めて手を差し伸べてくれたのだといいます。
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当時はソファーに寝ころんだまま挨拶を済ませるような先輩俳優もいたほど。渡哲也さんの紳士的な対応に、舘ひろしさんは衝撃を受けたそうです。この出会いを通じて、舘ひろしさんは渡哲也さんに心酔するようになります。
舘ひろし「生まれ変わっても渡哲也さんの舎弟になる。父であり、兄であり、人生の師…」|芸能|婦人公論.jp
『西部警察』の刑事役など、石原プロモーションの看板俳優の一人として、映画やドラマで、また、歌手としても活躍してきた舘ひろしさん。近年では、コミカルな役やCMでも違った一面をのぞかせている。今回出演する映...
その後、舘ひろしさんは石原プロダクションに入社されますが、そこでも良い条件で所属できるよう、渡哲也さんは事務所内で根回しをしてくれました。
舘ひろしが振り返る石原プロ“豪快”伝説 渡哲也に傾倒した理由、裕次郎との間の“微妙な距離感”(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
石原裕次郎が立ち上げ、渡哲也が遺志を継いだ石原プロモーション。その屋台骨を支え続けた俳優・舘ひろし(70)が、「舘プロ」を設立することを発表した。先達の映画作りに対する情熱を繋ぎ、銀幕を背負う決意
そして、社長である石原裕次郎さんよりも渡哲也さんをリスペクトしていた舘ひろしさん。
そのことで渡哲也さんも気を揉んだというから少し笑えてしまいますよね。
そんな渡哲也さんも78歳を迎えた2020年に肺炎のため、お亡くなりになっています。
ここまでリスペクトしていた舘ひろしさん。そのショックはさぞかし大きかっただろうと思われますが、輪をかけて、お通夜や告別式にも出席できなかったのだそうです。現在も渡哲也さんとの別れが受け入れられないといいますが、その背景には、強固な師弟関係や男同士の絆のようなものを感じます。なんだか素敵なご関係ですよね。
そのことで渡哲也さんも気を揉んだというから少し笑えてしまいますよね。
そんな渡哲也さんも78歳を迎えた2020年に肺炎のため、お亡くなりになっています。
ここまでリスペクトしていた舘ひろしさん。そのショックはさぞかし大きかっただろうと思われますが、輪をかけて、お通夜や告別式にも出席できなかったのだそうです。現在も渡哲也さんとの別れが受け入れられないといいますが、その背景には、強固な師弟関係や男同士の絆のようなものを感じます。なんだか素敵なご関係ですよね。
生年月日:1950年3月31日
血液型 :A型
身長 :179㎝
出生地 :愛知県名古屋市
職業 :俳優
活動期間:1975年~