当時、ハリウッドには、倫理チェックを自主的に行おうとする「ヘイズ規制」があった。
そして、不道徳な戯曲「子供の時間」の映画化ということもあり、要監視の判定を下した「この三人」(後の『噂の二人』)に、製作するについて幾つか条件が出されました。
戯曲の映画化と分かるような題名の使用や広告をしないこと、映画中に同性愛を仄めかさないこと。
この規制によってヘルマンは、この物語を、ありふれた三角関係の話に書き換え、ワイラーは、不本意な映画を撮ることとなりました。
この「ヘイズ規制」は、アメリカン・ニューシネマの登場までの長い間、ハリウッドを支配したと言われています。
しかし、一面では、この規制があったから、皮肉にも(?)
例えば、キス・シーンをどのように美しく、しかも官能的に撮るかという工夫や高い技術を極められたとも言われています。
ファンの感想
昨日、オードリーヘップバーンの『噂の二人』っていう元祖(?)レズビアン映画見たけど普通に重かった。重すぎて泣いた。。
— もんすてら (@GtMonstera) May 14, 2018
こんな時代があったんだな、って思うと切なくて。今はほんとに、変わってきたんだなって思った。
個人的にはオードリーよりシャーリーマクレーンがかわいかった。
まだまだ偏見が多い世の中ではありますが、少しずつ改善されていく在り様が救われますね。
そして、守ってあげたくなるほど、思いを告白するシーンには胸を打たれ、マクレーン可愛かったのは同意。ラストのオードリーはなんかもう神々しいくらいにかっこよかった。
「噂の二人」('61) 108分
— BlackPenguin🌼 (@blackp3ngu1n) August 7, 2017
女学校の教員で親友同士のオードリーとシャーリーの平和な日々がクソ憎たらしいガキによって破壊される切ない話 同性愛話なんだけど役者がハマってるのかすごく生々しく見える…オードリーかわい…そら惚れるよね #1日1本オススメ映画 pic.twitter.com/rSFwtwwSKi
リアルにいたら嫌だけどフィクションとしてはとてつもなく面白いキャラクターでした。
#1日1本オススメ映画
— G.M(通常営業) (@raoul_dandresy) June 20, 2017
『噂の二人』('61)
原作はL・ヘルマンの戯曲「子供の時間」。他愛もない嘘が招く悲劇を描いた心底怖い映画。子供は怖い…噂は怖い…偏見は怖い…笑顔も見せないオードリー…何れも怖いが、人間の持つ諸々の醜悪な面を縮図化し容赦なく描くヘルマン女史が一番怖い。😨 pic.twitter.com/JRfKqze9SG
そしてやはり一番こわいのは…
人の、「こうだからああなる」という根拠のない“思い込み”なのかもしれません。
まとめ
それでも、そうした圧力のなか、この「噂の二人」に敢えて、出演しようとした意気込みは並大抵なものではなかったろうと思います。
(そこらへんに「お姫様女優」というイメージから脱しようと、懸命に意欲的な作品を模索した彼女の焦りもあったかもしれませんね。)
当時はたとえ噂話としても同性愛をほのめかすのは憚られ、
「ヒロイン2人と男性の三角関係」に脚色されたとのこと。
これは“作品の根幹を変えてしまう”変更ですが、
ヘルマン自身がこれを承諾した事実からも、
80年前のアメリカでは同性愛というものがどれほどのタブーであったのがうかがい知れますね。
その風潮は25年後の1961年でもまだ強く、登場人物の誰もが口にするのをためらうほど。
例えば騒ぎの発端となる少女は、2人の関係を有力者である祖母に告げ口するとき、
「大きな声ではとても言えない」と言って耳打ちします。その瞬間に祖母は目を剥いて驚愕しています。
ここら辺、唐突ですが、
不意に筆者は、
江口寿史さんの『ストップ!!ひばりくん!』のひばりくんのお父さんを思い出します。
へんたいじゃないもん! ひばりくん (ストップ!!ひばりくん!/ショウワ/'83) pic.twitter.com/fsHUHqoBtu
— アニメ・特撮かるたbot (@anitokukaruta) April 29, 2018
kindle unlimitedにずっと読みたかった「ストップ‼︎ひばりくん」があったのだが、30年以上前の作品とは全く思えない。時代を感じる点といえば、覚醒剤の登場頻度が高いことくらいか。 pic.twitter.com/uuGTbwk8oz
— ゼロ次郎 (@zerojirou) August 24, 2016
息まいて矯正にかかるんですよね。
ひばりくんの連載が1980年代でしたから、これでも偏見が強かったこの頃。
1962年に公開されたとき、日本人はどんな反応だったのか気になるところです。
何にせよ、人を愛するのに、ただ愛することだけでも
タブーとされていた時代があり、
人としての尊厳もかかわっていた上に自己否定にすら走らざるをなかった、
というのは何とも切ないことですね。
無理に愛を押し付けるのはいけないことですが、
何れにせよ、今時代は
ただその人が生きていることを喜ぶことを許してくれる時代であってほしいものです。