漫画
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さくらももこさんは高校2年生のころから漫画家を目指して投稿をしていました。はじめは正統派の少女漫画を描いていたのですが、ある時にエッセイを漫画にすることを思いつき、現在の作風の作品に転換していきます。
1984年の短期大学在学中に「教えてやるんだありがたく思え!」という様々な教師を題材にした作品でデビュー。その後もエッセイ風の漫画を描き続け1986年にりぼんで「ちびまる子ちゃん」の連載をスタートさせます。
「ちびまる子ちゃん」の連載をしながら「ビックコミックスピリッツ」で1989年から「神のちから」を不定期連載します。こちらはエッセイではなく、不条理な連鎖を描いた作品でちびまる子ちゃんとはまた違った世界観ですね。
ビックコミックスポーツでは1993年からちびまる子ちゃんノスピンオフ作品でもある「永沢君」も連載されていました。ちびまる子ちゃんの登場人物である永沢君が主人公。中学生になった彼と周辺の人物を描いたギャグマンガです。青年誌なのでブラックユーモアと多少の下ネタも。
1994年から雑誌「きみとぼく」に「コジコジ」の連載がスタートします。メルヘンの国を舞台にしたシュールでナンセンスなギャグマンガ。子供向けではなく、ブラックな内容も。1997年にはアニメ化もされました。
他には2001年から「小学一年生」にて「スーパー0くん」を連載。さらに自身のエッセイ「ひとりずもう」を漫画化したり、「まんが倶楽部」、「さくらももこのCalbeeひとくち劇場」という作品もあります。
1984年の短期大学在学中に「教えてやるんだありがたく思え!」という様々な教師を題材にした作品でデビュー。その後もエッセイ風の漫画を描き続け1986年にりぼんで「ちびまる子ちゃん」の連載をスタートさせます。
「ちびまる子ちゃん」の連載をしながら「ビックコミックスピリッツ」で1989年から「神のちから」を不定期連載します。こちらはエッセイではなく、不条理な連鎖を描いた作品でちびまる子ちゃんとはまた違った世界観ですね。
ビックコミックスポーツでは1993年からちびまる子ちゃんノスピンオフ作品でもある「永沢君」も連載されていました。ちびまる子ちゃんの登場人物である永沢君が主人公。中学生になった彼と周辺の人物を描いたギャグマンガです。青年誌なのでブラックユーモアと多少の下ネタも。
1994年から雑誌「きみとぼく」に「コジコジ」の連載がスタートします。メルヘンの国を舞台にしたシュールでナンセンスなギャグマンガ。子供向けではなく、ブラックな内容も。1997年にはアニメ化もされました。
他には2001年から「小学一年生」にて「スーパー0くん」を連載。さらに自身のエッセイ「ひとりずもう」を漫画化したり、「まんが倶楽部」、「さくらももこのCalbeeひとくち劇場」という作品もあります。
エッセイ
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1991年には初エッセイ集「もものかんづめ」を発売。1992年に発売された「さるのこしかけ」、1993年に発売された「たいのおかしら」とともにいずれも大ヒットし、ミリオンセラーを達成しています。エッセイでミリオンセラーなんてすごいですよね。
独特の切り口や口調で読みやすい作品で幅広い世代に人気があります。
1991年には『りぼん』の編集者で当時の夫だった宮永正隆さんとオールナイトニッポンのパーソナリティも務めていました。「ももこのしゃべりことば」というタイトルで書籍化もされています。
その後も数々のエッセイ集を出版。1999年には編集長を務めた「富士山」という雑誌も創刊されています。2002年には息子さんと共作で絵本+エッセイ『おばけの手』を発表しました。この時、息子さんのペンネームはさくらめろんでした。
2005年に発売されたエッセイ「ひとりずもう」が久しぶりのヒットとなり、前述の通り漫画化もされました。
2006年に発売された「おんぶにだっこ」というエッセイが長編エッセイの最後の作品となってしまいました。その後も、Q&A形式のエッセイと絵日記シリーズのエッセイは発表されています。
ほかには「まるむし帳」という詩集も発表されています。
独特の切り口や口調で読みやすい作品で幅広い世代に人気があります。
1991年には『りぼん』の編集者で当時の夫だった宮永正隆さんとオールナイトニッポンのパーソナリティも務めていました。「ももこのしゃべりことば」というタイトルで書籍化もされています。
その後も数々のエッセイ集を出版。1999年には編集長を務めた「富士山」という雑誌も創刊されています。2002年には息子さんと共作で絵本+エッセイ『おばけの手』を発表しました。この時、息子さんのペンネームはさくらめろんでした。
2005年に発売されたエッセイ「ひとりずもう」が久しぶりのヒットとなり、前述の通り漫画化もされました。
2006年に発売された「おんぶにだっこ」というエッセイが長編エッセイの最後の作品となってしまいました。その後も、Q&A形式のエッセイと絵日記シリーズのエッセイは発表されています。
ほかには「まるむし帳」という詩集も発表されています。
作詞
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1990年に「ちびまる子ちゃん」がアニメ化した際のエンディングテーマ「おどるポンポコリン」で作詞家としてもデビューしています。
ちびまる子ちゃんのエピソードでもあるのですが、小さい頃に「青島幸男みたいに偉くなりたい。歌を作りたい」という夢があったそうです。「おどるポンポコリン」は青島さんを目標として作詞したのだそうですよ。
1991年はエンディングテーマが西城秀樹さんの「走れ正直者」に変わりますがこちらもさくらさん作詞。ちびまる子ちゃんにも登場し、憧れの存在だった西城秀樹さんの歌を作詞するとはおもってもいなかったでしょうね。
2022年現在もアニメは放送されていますが、オープニングは初代の「夢いっぱい」、エンディングは「休日の歌(Viva La Vida)」のみ別の方でそれ以外はさくらさんの作詞です。
また、コジコジのアニメのオープニングテーマ「コジコジ銀座」とエンディングテーマ「死ぬほど恋して 〜Johnny,Johnny〜」もさくらさんの作詞です。
ここまではご存じの方も多いかもしれませんが、ちびまる子ちゃん関連以外の楽曲も作詞されているんです。
しかも坂本冬美さん、和田アキ子さん、八代亜紀さん、ウルフルズ、ジャニーズWEST とそうそうたるメンバーで演歌からロックバンドからアイドルまで幅広いですよね。さすがです。
ちびまる子ちゃんのエピソードでもあるのですが、小さい頃に「青島幸男みたいに偉くなりたい。歌を作りたい」という夢があったそうです。「おどるポンポコリン」は青島さんを目標として作詞したのだそうですよ。
1991年はエンディングテーマが西城秀樹さんの「走れ正直者」に変わりますがこちらもさくらさん作詞。ちびまる子ちゃんにも登場し、憧れの存在だった西城秀樹さんの歌を作詞するとはおもってもいなかったでしょうね。
2022年現在もアニメは放送されていますが、オープニングは初代の「夢いっぱい」、エンディングは「休日の歌(Viva La Vida)」のみ別の方でそれ以外はさくらさんの作詞です。
また、コジコジのアニメのオープニングテーマ「コジコジ銀座」とエンディングテーマ「死ぬほど恋して 〜Johnny,Johnny〜」もさくらさんの作詞です。
ここまではご存じの方も多いかもしれませんが、ちびまる子ちゃん関連以外の楽曲も作詞されているんです。
しかも坂本冬美さん、和田アキ子さん、八代亜紀さん、ウルフルズ、ジャニーズWEST とそうそうたるメンバーで演歌からロックバンドからアイドルまで幅広いですよね。さすがです。
脚本
追悼さくらももこ先生。
— オダブツのジョー (@odanii0414) August 27, 2018
さくら先生自らの書き下ろし脚本
による、1993年のTBSドラマ
「谷口六三商店」は、東京・根津の
煎餅屋を舞台に、インド人女性・サ
ビイ(鷲尾いさ子)と結婚した長男・
真一(加勢大周)を中心にした、谷口
一家の泣き笑いを描いた、久世光彦
演出のホームドラマ。 pic.twitter.com/QgvhvX7hpj
1990年に放送スタートした「ちびまる子ちゃん」そして、1997年に放送スタートした「コジコジ」のアニメの脚本も担当されていました。原作者自らアニメの脚本を担当するなんてなかなかないですよね。
ちびまる子ちゃんのアニメは1999年まで脚本を担当。絵コンテに修正を加えたり、アドリブ禁止にするなどかなり政策に深くかかわっていたそうです。連載を複数抱え、エッセイなども描きながらすごいですよね。
脚本を降板したのは何か問題があったという訳ではなく「毎週脚本を書かなくてはいけないのが大変になってきた」という理由だそうです。その後もスペシャルや節目の時にはさくらさんが脚本を担当されていたんですよ。
さらに、1993年には「さくらももこランド・谷口六三商店」というドラマの脚本も担当されました。人情ホームコメディをベースにしながらナンセンスなギャグも取り入れた作品で好きだったという人も多いですよ。ドラマはこれ1本だけでしたがもっとほかの作品も見てみたかったです。
その他にもイラストの描きおろしやキャラクターデザインなども行っていたさくらさん。もう新しい作品が見られないのは残念でなりませんが、さくらさんの作品は時代を超えて楽しめる作品ですよね。
ちびまる子ちゃんのアニメは1999年まで脚本を担当。絵コンテに修正を加えたり、アドリブ禁止にするなどかなり政策に深くかかわっていたそうです。連載を複数抱え、エッセイなども描きながらすごいですよね。
脚本を降板したのは何か問題があったという訳ではなく「毎週脚本を書かなくてはいけないのが大変になってきた」という理由だそうです。その後もスペシャルや節目の時にはさくらさんが脚本を担当されていたんですよ。
さらに、1993年には「さくらももこランド・谷口六三商店」というドラマの脚本も担当されました。人情ホームコメディをベースにしながらナンセンスなギャグも取り入れた作品で好きだったという人も多いですよ。ドラマはこれ1本だけでしたがもっとほかの作品も見てみたかったです。
その他にもイラストの描きおろしやキャラクターデザインなども行っていたさくらさん。もう新しい作品が見られないのは残念でなりませんが、さくらさんの作品は時代を超えて楽しめる作品ですよね。
12 件
🌸 2022/3/9 10:51
21Cに台頭してきたのは男性青年向け日常四コマ「ひだまりスケッチ」著者「蒼樹うめ先生」
本人の作品がアニメ劇中でオリジナルキャラクターの声優
歌手としてもCDも発売
k’S 2022/3/9 03:43
北関東家電量販デパート御三家老舗「ヤマダ・コジマ・k´s」
もっと人気アニメをつかって振興させてもらいたい