桜金造
本名 佐藤 茂樹
生年月日 1956年12月29日
広島生まれ、東京育ち
俳優でありコメディアン
生年月日 1956年12月29日
広島生まれ、東京育ち
俳優でありコメディアン
人物概要
1975年、コントグループ「ザ・ハンダース」を結成。結成時のメンバーは小林まさひろ、清水アキラ、アパッチけん、鈴木末吉、アゴ勇と金造?の6人。途中で小林が脱退し5人になった。
ハンダース解散後はアゴ勇と「アゴ&キンゾー」のコンビを組んで「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜きしてグランプリに輝くなど活躍。アゴ&キンゾー?解散後は俳優や怪談の語り部としても活躍している。
「小山ゆうえんち~」や「意外ね」の一発ギャグでお馴染み。
「お笑いスター誕生」のイメージが強いですね!
「小山ゆうえんち~」も懐かしい!!
「小山ゆうえんち~」も懐かしい!!
小山遊園地 CM
小山遊園地 - YouTube
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非常に短い動画です!
しかと見届けて下さい!よく真似したなー
しかと見届けて下さい!よく真似したなー
アゴ&キンゾー
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1982年には『世界最強の愛のテーマ!!』(作詞:秋山道男、作編曲/プロデュース:高橋幸宏)をリリースし、テクノ歌謡マニアの注目も集めたが、燃え尽きてしまい、アゴの病気療養を理由に1984年頃消滅。
その後アゴは短期間ぶるうたすと組み、ピン芸人になって以降はアゴいさむ → アゴイサム → あご勇と改名。金造はモト冬樹(元ビジーフォー)とのコンビAJAPAで、『ザ・テレビ演芸』8代目グランドチャンピオンになったものの長続きせず、コメディアンとして大成した。
2007年の東京都知事選挙に金造が出馬した際に、あごに応援演説を求めた事から復縁し、翌2008年にあご&きんぞう名義で四半世紀振りに再結成され、浅草演芸ホールの『エンタメヒットパレード2008 vol.29』のモタレで漫才を披露した。
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なんだかんだ今も二人のコンビは健在なんですね!よかったぁ!
芸能界でも屈指の名コンビだと思います。
芸能界でも屈指の名コンビだと思います。
秘話
応援演説をしてもらったのを機に、お互いの仲たがいを解消。
金蔵の方からコンビ復活を申し出て、芸能界にいよいよ復帰というときに、
金蔵がまさかの脳内出血で入院、半身不随になってしまいます。
復活を夢見て金蔵はリハビリに懸命に取り組み、杖をついて歩けるまでに回復。
普通なら言語障害も引き起こしてろれつがうまく回らない症状が出るのですが、
本当に倒れたのかと思うくらいにいたってしゃべりはしっかりとしています。
あご勇が金蔵の病院を訪れて、手紙を読むくだりには泣かされました。
心の底から金蔵のことを慕い尊敬して、「一緒に頑張りましょう」と言葉をかけます。
「ありがとう」とお礼を言って、「治すから、治すから」と繰り返す金蔵。
涙があふれました。
松田優作
昔、日本テレビの「いつみても波瀾万丈」に桜金造が出たことがある。
そのときの話を書こう。
この人は桜金造という芸名でもともと活躍していたわけではない。旧芸名は佐藤金造である。
旧芸名のころ、金造は日本映画の名作「竜二」の撮影に取り組んでいた。
そこへなぜかひょこりと松田優作があらわれたのだ。
そのころの松田優作はなにかクセのある新人役者を自分の目でみつけるのが好きだったという。
松田優作の目に、撮影の休憩中の佐藤金造が止まった。
「焼肉行こうよ」
優作、声をかけた。
「え?・・・でもまだ撮影が・・・」
「いいじゃない、行こうよ、焼肉、行きましょうよ」
こうして焼肉屋に行くことに。
肉を焼きながら松田優作はいった。
「芸名、変えない?」
「芸名です・・・か・・・?」
「桜金造にしない?」
「桜?」
「そう、桜」
「うーん、いや、ぼく、桜田淳子のファンですから、桜田金造がいいんですけど」
間を置いてから優作はいった。
「やっぱ、桜でしょ」
それから芸名が桜金造になったという。