ホリプロスカウトキャラバンでグランプリ受賞!アイドル歌手としてデビュー
大沢逸美は1966年3月23日、北海道札幌市で生まれました。
1982年の第7回ホリプロスカウトキャラバンで、山口百恵の「乙女座 宮」を歌って見事グランプリを受賞すると、翌1983年に「ジェームス・ディーンみたいな女の子」で歌手デビューを果たします。
当時の女性アイドルといえば聖子ちゃんカットやロングヘアが主流でしたが、ボーイッシュなショートヘアに168センチの長身という容姿は異彩を放っており、男装の麗人のような中性的なイメージがセールスポイントとなっていました。
一方、その低音ボイスや雰囲気から、一部ではポスト山口百恵とも称されていました。
同期には、松本明子、伊藤麻衣子(現:いとうまい子)、森尾由美、武田久美子、桑田靖子、小林千絵、岩井小百合、THE GOOD-BYEなどがいましたが、一般的に「売れた」といわれるほどのアイドルが出てこなかったことから、この年にデビューした歌手は「不作の83年組」と言われています。
1982年の第7回ホリプロスカウトキャラバンで、山口百恵の「乙女座 宮」を歌って見事グランプリを受賞すると、翌1983年に「ジェームス・ディーンみたいな女の子」で歌手デビューを果たします。
当時の女性アイドルといえば聖子ちゃんカットやロングヘアが主流でしたが、ボーイッシュなショートヘアに168センチの長身という容姿は異彩を放っており、男装の麗人のような中性的なイメージがセールスポイントとなっていました。
一方、その低音ボイスや雰囲気から、一部ではポスト山口百恵とも称されていました。
同期には、松本明子、伊藤麻衣子(現:いとうまい子)、森尾由美、武田久美子、桑田靖子、小林千絵、岩井小百合、THE GOOD-BYEなどがいましたが、一般的に「売れた」といわれるほどのアイドルが出てこなかったことから、この年にデビューした歌手は「不作の83年組」と言われています。
大沢逸美 「ジェームス・ディーンみたいな女の子」1983年
かわいいというよりかっこいいという印象でしたね。
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CM 1983 ハウス ゆうわく星 大沢逸美
「気をつけよう 甘い言葉と ゆうわく星!」
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CM ハウス食品 わかめ王風麺 1984年
坂上二郎と共演!
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女優としての幅を広げ、ヘアヌードも発表
大沢逸美は歌手としてだけでなく、その後は女優としても活動の幅を広げていきます。本人曰く、26歳のときにヒロインを演じた昼ドラ「約束の夏」は、女優として活動していくきっかけとなった作品で、「やっと職業欄に『女優』と書けるようになったほど役にのめり込めた」と語っています。
そして、1995年にはヘアヌード写真集も発売しています。
そして、1995年にはヘアヌード写真集も発売しています。
約束の夏 番宣
相手役が四方堂亘!
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母の介護と仕事の両立
大沢逸美が25歳のとき、北海道の実家で暮らしていた父親が突然がんで亡くなります。
その後、母親を東京の自宅に呼び寄せて同居生活を始めますが、ほどなくして母親が病気を患って要介護認定を受けたため、彼女は20代後半から、仕事をしながら母親の介護を続けることを余儀なくされます。あるときには、名古屋の舞台に出演しながら、母親を風呂に入れるためだけに帰京し、それが終わるとまた名古屋に戻るということもあったようです。
そんな介護生活はおよそ11年にも及び、特に2002年に母親が他界するまでの最後の2年間は介護が中心とならざるを得ず、地方ロケを断るなど、一時的に芸能活動から遠のいていたこともあったそうです。
確かに、最近全然見ないけど消えちゃったのかな、と思った時期がありましたが、それがちょうどこのころだったのかもしれませんね。
その後、母親を東京の自宅に呼び寄せて同居生活を始めますが、ほどなくして母親が病気を患って要介護認定を受けたため、彼女は20代後半から、仕事をしながら母親の介護を続けることを余儀なくされます。あるときには、名古屋の舞台に出演しながら、母親を風呂に入れるためだけに帰京し、それが終わるとまた名古屋に戻るということもあったようです。
そんな介護生活はおよそ11年にも及び、特に2002年に母親が他界するまでの最後の2年間は介護が中心とならざるを得ず、地方ロケを断るなど、一時的に芸能活動から遠のいていたこともあったそうです。
確かに、最近全然見ないけど消えちゃったのかな、と思った時期がありましたが、それがちょうどこのころだったのかもしれませんね。
介護経験を活かして講演活動も
大沢逸美は、長い介護生活を経て母親を看取った経験をまとめた手記を2003年に出版したほか、近年は介護に関する講演活動も全国で行っています。
大沢逸美・著「お母さん、ごめんね。」
内容(「MARC」データベースより)
女優と恋と母の介護、たったひとりでどうすればいいの? 女優の仕事をこなしながら約10年にわたって母の介護を続けた著者。その半生や介護の記録を母が残したメッセージとともに綴る。
女優と恋と母の介護、たったひとりでどうすればいいの? 女優の仕事をこなしながら約10年にわたって母の介護を続けた著者。その半生や介護の記録を母が残したメッセージとともに綴る。
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「不作の83年組」としてイベントも開催
大沢逸美は2012年、歌手としておよそ20年ぶりにNHK BSプレミアムの「J-POP青春の’80」に出演しています。
さらに、2018年の11月19・20日に、デビュー35周年を記念し、銀座博品館劇場で同期デビューの松本明子、森尾由美、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、木元ゆうこを集めたライブイベント「~不作と言われた私たち『お神セブンと申します』~」を開催しています。
さらに、2018年の11月19・20日に、デビュー35周年を記念し、銀座博品館劇場で同期デビューの松本明子、森尾由美、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、木元ゆうこを集めたライブイベント「~不作と言われた私たち『お神セブンと申します』~」を開催しています。
大沢逸美 ジェームス・ディーンみたいな女の子
2012年のテレビ出演時。あらためて歌詞を見るとなかなか深いですよね。
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最近の芸能活動は?
大沢逸美の活動は、オフィシャルサイトによると2020年のクイズ番組と舞台の出演が最新のようですが、ブログはこまめに更新されています。現在はロングヘアで、相変わらずおきれいです。
近年では主役級の出演はほとんどなく、たまにドラマのちょい役などでふと見かけることがある程度ですが、演者としてはまだ55歳といえると思います。これからもっともっと女優として花咲くときが来るのではないかと、私個人は楽しみにしています。
近年では主役級の出演はほとんどなく、たまにドラマのちょい役などでふと見かけることがある程度ですが、演者としてはまだ55歳といえると思います。これからもっともっと女優として花咲くときが来るのではないかと、私個人は楽しみにしています。
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