旅の選択肢に「海外」がなかった青春時代
今では、ゴールデンウィークや長い休みの時は、家族で海外旅行なども増えてきましたね。私たちの時代は、費用が高くてとてもとても家族で海外旅行なんて考えらませんでしたね。OLの時にようやく旅行の選択肢に海外旅行が入ってきました。当時は、永久就職を見つけ目指せ寿退社。(今では永久就職や寿退社という言葉も聞かないですが)。花のOL時代は独身生活を満喫しようという周りが多く、夏休みは海外旅行という人も多かったですね。今では、格安航空券などもあり、手軽に行けるようになりましたね。
というわけで、青春時代は、もっぱら国内の旅でした。
というわけで、青春時代は、もっぱら国内の旅でした。
一般化し始めたのは1970年代からで、1972年には海外渡航者数が100万人を突破。飛行機の大型化やドルが変動相場制に移行しての円高や旅行費用の低下が進み、韓国や台湾などの近隣国であれば国内旅行よりも多少高い金額ぐらいで旅行できるようになった。
泊まるところは、ユースホステルがお気に入りだった
ユースホステルは、今でもあるのですね。ユースホステル泊まりませんでしたか?
小学生の頃から合唱団に入っていた私は、毎年夏休みに合宿がありました。泊まっていたところは、「国立オリンピック記念青少年総合センター」。この時に、ユースホステルのことを知り、「人と人とのつながり」を大事にしていることがとても良いなあと感動したことを覚えています。私たちは団体でしたので知り合い同志で同じ部屋でしたが、ユースホステルは、一人旅の人も基本は相部屋です。確か、二段ベッドだったような気がします。まるで自宅にいるみたいな感覚で過ごせた記憶があります。
小学生の頃から合唱団に入っていた私は、毎年夏休みに合宿がありました。泊まっていたところは、「国立オリンピック記念青少年総合センター」。この時に、ユースホステルのことを知り、「人と人とのつながり」を大事にしていることがとても良いなあと感動したことを覚えています。私たちは団体でしたので知り合い同志で同じ部屋でしたが、ユースホステルは、一人旅の人も基本は相部屋です。確か、二段ベッドだったような気がします。まるで自宅にいるみたいな感覚で過ごせた記憶があります。
ユースホステルはドイツで生まれ、その歴史は100年以上。約80の国と地域に4000か所以上の宿泊施設があり、日本には北海道から沖縄まで約220か所のユースホステルがあります。
ユースホステルに泊まっているときは不思議と心が解放されていました。今思えばですが、ユースホステルに泊まる人たちは、「人と人とのつながり」を大事にしている人たちが多かったのではと想像ですが。知らない人同志でも気軽に挨拶をして、「どこから来たの?」から始まり会話をしていました。とても親切な人ばかりだった記憶があります。
初めての一人旅は新幹線。今ではもうない食堂車。
初めての一人旅は、どこに行きましたか?私は、中学生の時に家の事情で臨海学校に行けませんでしたので、九州の祖父母のところに新幹線で行ってみることにしました。これを一人旅といえるのかどうかは別として、はじめて一人で遠出をしました。新幹線の中では三人席の真ん中になり、車内販売が来ても、隣の人が寝てしまったので声をだせずに、時間だけが過ぎていきました。いよいよお腹が空いたので、隣の人が起きたときか無理やり通ったかは記憶にないですが、食堂車に行きました。あまり悩まずカレーライスを頼みました。席に戻りずらくてずっと窓を見ながらゆっくりゆっくり食べていた記憶があります。
via ja.wikipedia.org
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卒業旅行で乗った、長距離フェリー
卒業旅行といえば、当時は、海外に行くという声を聴くこともなく(私の周りだけかもしれませんが)、ツーリングで北海道まで行ったり、車でどこかに行ったり、海外気分を味わうと言って与論島に行った人もいました。私は、高校生活最後の夏休みは、部活の仲間と、九州の旅を計画しました。新幹線や飛行機の選択肢もありましたが、当時、川崎から宮崎まで就航していたカーフェリーで行くことにしました。私は、てっきり、日本カーフェリーの「さんふらわあ」で行ったのだと思っていましたが、「さんふらわあ」には川崎から宮崎までの就航がなく、思い違いをしたまま記憶に残っていたようです(笑)
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照国郵船(現 マリックスライン)の子会社で、1970年に設立された日本高速フェリーが、1972年に川崎重工業神戸工場にて第1船「さんふらわあ」を建造し、名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航させたのが始まりである。
川﨑から宮崎まで就航していたカーフェリー
よくよく調べてみましたら、私が乗ったと思われるフェリーは、日本カーフェリーの「ふえにっくす」か「せんとぽーりあ」という船のようでした。日本カーフェリーという会社は今はなく、シーコムに買収されシーコムフェリーになったのち、マリンエキスプレスという会社になっていました。マリンエキスプレスも2006年には完全に消滅したようです。
※イラストはイメージです。