なるほど!ザ・ワールド
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1987年6月 なるほどザワールド 自転車世界一周 - YouTube
2人の身長差がありすぎてカメラでの収まりが悪いため、司会者席では愛川は起立、楠田は椅子に着席していたというエピソードも。
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大人気の紀行・クイズ番組でした
現代の世界において意外に知られていない話題を、現地取材によるレポートとクイズ形式で紹介し、「うーん!!なるほど!!」と驚かせるという趣旨の番組。
1981年10月6日から1996年3月26日まで、毎週火曜日21:00-21:54に放送されていた。
スポンサーは、フジテレビ開局以来の長寿番組だった『スター千一夜』の後を継いで、旭化成と同グループ各社の一社提供だった。協賛は日本航空(VTR冒頭で日航ジャンボ機の映像が映る)。
エンディングではBGMに乗せながら旭化成グループ各社名をロールテロップで表示し、最終的に「旭化成グループ」を大きく映し出したところでロールテロップが止まるという演出。
1981年10月、フジテレビの秋の大改編で「楽しくなければテレビじゃない!」というキャッチ・フレーズのもと、同局の大改編の新番組の目玉の1つとして登場、『スター千一夜』の後を受け、スポンサーである旭化成への受け皿として用意された番組である。そのため失敗が許されないので、初代プロデューサーとなる王東順に白羽の矢が立ち、立ち上げたクイズ番組。
司会は俳優の愛川欽也と、当時日本テレビを退社し、フリーになりたてだった楠田枝里子。2人の身長差がありすぎてカメラでの収まりが悪いため、司会者席では愛川は起立、楠田は椅子に着席していた。
番組開始当初から荒井注・藤村俊二、小野ヤスシ・松原千明、谷啓・アグネス・チャンなどといったコンビのレギュラー解答者がいたが、この中には坂本九・柏木由紀子夫妻もいた。特に1985年8月12日に起きた、日航ジャンボ機墜落事故の翌日8月13日の放送分の「200回記念」の収録には坂本夫妻も出演していたが、番組開始冒頭から事前収録であることを示すテロップを入れてそのまま放送された。
番組の最後に、敢えて放送に踏み切った経緯を文章で説明するとともに、締めくくりとしてブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントを寄せた。しかし、オンエア翌日の8月14日に死亡が確認され、この願いは叶うことはなかった。なお、葬儀には司会の愛川と楠田も参列している。
番組改編期には『春秋の祭典なるほど!ザ・ワールドスペシャル』(1983年春・秋、1984年春)、『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』(1984年の秋から1995年の春まで)、『FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル』(1995年秋。「なるほど」は決勝戦にだけ出題した)が放送され、新番組の出演者とフジテレビの人気番組の出演者、フジテレビアナウンサー陣が出演した。
1981年10月6日から1996年3月26日まで、毎週火曜日21:00-21:54に放送されていた。
スポンサーは、フジテレビ開局以来の長寿番組だった『スター千一夜』の後を継いで、旭化成と同グループ各社の一社提供だった。協賛は日本航空(VTR冒頭で日航ジャンボ機の映像が映る)。
エンディングではBGMに乗せながら旭化成グループ各社名をロールテロップで表示し、最終的に「旭化成グループ」を大きく映し出したところでロールテロップが止まるという演出。
1981年10月、フジテレビの秋の大改編で「楽しくなければテレビじゃない!」というキャッチ・フレーズのもと、同局の大改編の新番組の目玉の1つとして登場、『スター千一夜』の後を受け、スポンサーである旭化成への受け皿として用意された番組である。そのため失敗が許されないので、初代プロデューサーとなる王東順に白羽の矢が立ち、立ち上げたクイズ番組。
司会は俳優の愛川欽也と、当時日本テレビを退社し、フリーになりたてだった楠田枝里子。2人の身長差がありすぎてカメラでの収まりが悪いため、司会者席では愛川は起立、楠田は椅子に着席していた。
番組開始当初から荒井注・藤村俊二、小野ヤスシ・松原千明、谷啓・アグネス・チャンなどといったコンビのレギュラー解答者がいたが、この中には坂本九・柏木由紀子夫妻もいた。特に1985年8月12日に起きた、日航ジャンボ機墜落事故の翌日8月13日の放送分の「200回記念」の収録には坂本夫妻も出演していたが、番組開始冒頭から事前収録であることを示すテロップを入れてそのまま放送された。
番組の最後に、敢えて放送に踏み切った経緯を文章で説明するとともに、締めくくりとしてブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントを寄せた。しかし、オンエア翌日の8月14日に死亡が確認され、この願いは叶うことはなかった。なお、葬儀には司会の愛川と楠田も参列している。
番組改編期には『春秋の祭典なるほど!ザ・ワールドスペシャル』(1983年春・秋、1984年春)、『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』(1984年の秋から1995年の春まで)、『FNS番組対抗!ザ・秋の祭典スペシャル』(1995年秋。「なるほど」は決勝戦にだけ出題した)が放送され、新番組の出演者とフジテレビの人気番組の出演者、フジテレビアナウンサー陣が出演した。
あのトランプマンもレギュラー出演
トランプマンの正体は?タモリなの? - Middle Edge(ミドルエッジ)
『なるほど!ザ・ワールド』人気を博したトランプマンの正体は?現在は?
レギュラー番組終了後も不定期特番として愛され続ける「なるほど!ザ・ワールド」
不定期特番で愛され続ける「なるほど!ザ・ワールド」
番組終了から1年後、フジテレビ社屋がお台場に移転した1997年の4月と12月に『大復活祭』として放送された。その後も、2004年末より不定期特番という形で復活することになった。これらの特番は複数社提供であるが放送枠によっては旭化成が提供に加わる場合もあった。
2004年12月28日 18:30 - 20:54に「復活の祭典スペシャル」と称し、7年ぶりに復活した。この特番以降、司会は愛川と楠田から爆笑問題へとバトンタッチされた。また字幕放送を実施。
2005年5月4日 19:00 - 21:24に「黄金の祭典スペシャル」が放送された。
2005年12月28日に「年末の祭典スペシャル」が放送された。解答者の1人の琴欧洲が出場した大相撲11月場所に異例の懸賞で番組宣伝を行った。
2006年5月2日に『カスペ!』枠で放送。
2007年4月1日に3時間スペシャルを放送。
2008年4月29日に『カスペ!』枠で放送。スタジオ収録および一部の出題VTRでハイビジョン制作を実施。
なお、爆笑問題司会のスペシャル版では過去の海外特集のVTRを流すことはあっても、スタジオの様子を映す事はまったくない。
2004年12月28日 18:30 - 20:54に「復活の祭典スペシャル」と称し、7年ぶりに復活した。この特番以降、司会は愛川と楠田から爆笑問題へとバトンタッチされた。また字幕放送を実施。
2005年5月4日 19:00 - 21:24に「黄金の祭典スペシャル」が放送された。
2005年12月28日に「年末の祭典スペシャル」が放送された。解答者の1人の琴欧洲が出場した大相撲11月場所に異例の懸賞で番組宣伝を行った。
2006年5月2日に『カスペ!』枠で放送。
2007年4月1日に3時間スペシャルを放送。
2008年4月29日に『カスペ!』枠で放送。スタジオ収録および一部の出題VTRでハイビジョン制作を実施。
なお、爆笑問題司会のスペシャル版では過去の海外特集のVTRを流すことはあっても、スタジオの様子を映す事はまったくない。
2015年10月10日、「なるほど!ザ・ワールド」7年半ぶりに復活
via www.fujitv.co.jp
タレント・有吉弘行と、フリーアナウンサーの滝川クリステルの“初顔合わせ”司会コンビで、伝説の番組『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)が7年半ぶりに復活することが25日、わかった。「なるほど!ザ・ワールド」というお馴染みのポーズもやってみせた有吉だが「(滝川と)なかなか合わなかった」と反省し、いつになく緊張していた様子だ。
有吉は「当時毎週楽しみに観ていました」というど真ん中世代。被り物で登場したり、NGを連発しながらも体を張ったリポートが真骨頂で、「ひょうきん由美」の愛称で人気者となった同局の益田由美アナウンサー(当時)に「熱狂していました」と懐かしんだ。
愛川さん亡き後、司会に抜てきされた心境を、「すごく光栄だな、楽しみだなと思ったのですが、解答者の皆さんの顔ぶれを見たときに、“気を遣う人たちだな…”と心折れました。もっと若いメンバーがよかったです」と、毒舌混じりに語る有吉。不正解の場合に、回答席に「×」マークをつける、おなじみの「はい、消えた!」のセリフも継承する。
有吉弘行と滝川クリステル、この番組ならではの顔合わせがたのしみですね。
なるほど!ザ・ワールド オープニングテーマ曲 - YouTube
なるほど!ザ・ワールドのオープニング&エンディングに使われていた曲(フル・バージョン)です。
via www.youtube.com
放送を楽しみに待ちましょう!
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