via aozora-band.com
IWGPヘビー級王座とは
IWGPヘビー級王座は、日本のプロレス団体である新日本プロレスが管理する王座(タイトル)。
IWGPは元々は、「International Wrestling Grand Prix」というリーグ戦を意味するものであったが、1987年に開催された第五回大会「IWGP王座決定リーグ戦」の優勝者であるアントニオ猪木を初代チャンピオンとして防衛戦が行われ、現在まで継承されている。
タイトル制定以降、新日本プロレスを象徴する、同団体で最も権威のあるチャンピオンベルトとされている。デザインは初代から4代目まであり、初代は1983年の第1回IWGPリーグ戦開催にあたって作成され優勝したハルク・ホーガンが初めて巻き、1997年まで使用されたが、旗揚げ25周年を迎えて一新された。
ビッグバン・ベイダー
第4・7・10代のIWGPヘビー級チャンピオン。
最初の外国人王者として君臨したのが、ビッグバン・ベイダー。
マサ斎藤にスカウトされて、たけしプロレス軍団の一員として新日本プロレスに殴り込みをかけてきたのは印象に強い。この巨体でムーンサルトプレスまで繰り出していたのは驚愕だった。
最初の外国人王者として君臨したのが、ビッグバン・ベイダー。
マサ斎藤にスカウトされて、たけしプロレス軍団の一員として新日本プロレスに殴り込みをかけてきたのは印象に強い。この巨体でムーンサルトプレスまで繰り出していたのは驚愕だった。
via stat.ameba.jp
レオン・ホワイト(Leon White、1955年5月14日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。デビュー以来数々のリングネームを名乗っているが、ビッグバン・ベイダー(Big Van Vader)、ベイダーの名前で最も知られている。
日本で活躍した外国人選手の一人で、三冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座の両タイトルを獲得した最初のレスラーで、なおかつ唯一の外国人レスラーでもある。また世界タッグ王座、IWGPタッグ王座、GHCタッグ王座の3大タッグ王座を獲得した最初のレスラーでもある。
息子のジェシー・ホワイトもプロレスラー。
サルマン・ハシミコフ
第5代のIWGPヘビー級チャンピオン。
レスリングのフリースタイル100kg級で世界選手権3連覇している本物。
レッドブル軍団を名乗り、ソ連出身のレスラーで固めた軍団ギミックで売り出したがあまり人気が出なかった。
レスリングのフリースタイル100kg級で世界選手権3連覇している本物。
レッドブル軍団を名乗り、ソ連出身のレスラーで固めた軍団ギミックで売り出したがあまり人気が出なかった。
サルマン・ハシミコフ(Salman Hashimikov / Салман Хасимиков、1953年5月4日 - )は、旧ソビエト連邦出身のプロレスラー。
これまでイワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、クリス・マルコフ、アレックス・スミルノフ、ニキタ・コロフなど「ロシア出身」を名乗るプロレスラーは多く存在したが、いずれもギミックであり、冷戦の終結に伴い登場したソビエト連邦初のプロレスラーとして注目を集めた。
5月25日には、当時ビッグバン・ベイダーが保持していたIWGPヘビー級王座に挑戦、得意の水車落としでベイダーを破り新王者となる。7月12日に長州力に敗れてタイトルを失うも、8月10日の両国国技館大会では橋本真也を下した。12月31日には新日本プロレスが主催したモスクワ大会に出場、母国凱旋試合にてマニー・フェルナンデスから勝利を収めている。
スコット・ノートン
第23・28代のIWGPヘビー級チャンピオン。
ベイダーが最後にチャンピオンになってから7年も外国人が獲得していなかったが、その壁を打ち破ったのが「超竜」スコット・ノートン。
個人的には、最強外国人選手はノートンだと思っている。
有無を言わせぬパワーボムは今見ても迫力が違う。
ベイダーが最後にチャンピオンになってから7年も外国人が獲得していなかったが、その壁を打ち破ったのが「超竜」スコット・ノートン。
個人的には、最強外国人選手はノートンだと思っている。
有無を言わせぬパワーボムは今見ても迫力が違う。
スコット・ノートン(Scott Michael Norton、1961年6月15日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。超竜の異名を持つ。主に新日本プロレスで活躍し、WCWにも参戦した。
平成に入ってからの日本マットでもっとも活躍した外国人レスラーの1人であり、新日本プロレスではIWGPヘビー級王座を2度獲得している。同王座の戴冠は外国人としては3人目であった。ロード・ウォリアー・ホークは高校時代の同窓生で、エディー・シャーキーのジムでも同期であった。
マイクパフォーマンスをそれほど得意としていなかったため、どちらかといえば本国アメリカでよりも、日本で人気の高かったプロレスラーの一人である。
ボブ・サップ
第37代のIWGPチャンピオン。
新日本プロレスの迷走期にブーム最高潮のボブ・サップがチャンピオンになる。まだ弱さを見せていないボブ・サップだったがこの頃から楽をすることを覚えたような気がしている。
強さとしての説得力はあったが、プロレスが下手だったためファンの受けも悪かったため、あっさり返上している。
新日本プロレスの迷走期にブーム最高潮のボブ・サップがチャンピオンになる。まだ弱さを見せていないボブ・サップだったがこの頃から楽をすることを覚えたような気がしている。
強さとしての説得力はあったが、プロレスが下手だったためファンの受けも悪かったため、あっさり返上している。
ロバート・マルコム・"ボブ"・サップ(Robert Malcolm "Bob" Sapp、1974年9月22日[2] - )は、アメリカ合衆国のキックボクサー、プロレスラー、総合格闘家、タレント、俳優。コロラド州コロラドスプリングス出身。元はNFL選手であったものの、日本では2002年からの格闘技の活動から大いなる人気を獲得。ニックネームは「ザ・ビースト」。
2004年3月28日、新日本プロレスにて佐々木健介と対戦、8分24秒体固めで勝利し、第37代IWGPヘビー級王座につく。