【アントニオ猪木】燃える闘魂も現在は車椅子生活?これまでの功績や名言を振り返る!
2021年4月12日 更新

【アントニオ猪木】燃える闘魂も現在は車椅子生活?これまでの功績や名言を振り返る!

”燃える闘魂”の異名をもち、プロレスラー・政治家としてご活躍されたアントニオ猪木さん。現在は車椅子生活をしているなんて情報が入ってきました。今回の記事では、その真偽やこれまでの功績・名言を振り返っていきますので、ぜひ記事をご覧になってご覧になってくださいね。

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プロレスラー・政治家として有名なアントニオ猪木さん

アントニオ猪木さんのプロフィール

アントニオ猪木さんのプロフィール

本名  :猪木寛至
愛称  :燃える闘魂
生年月日:1943年2月20日
出生地 :神奈川県横浜市
職業  :プロレスラー
     政治家
     事業家
活動期間:プロレス1960年~1998年
     国会議員1989年~1995年
         2013年~

アントニオ猪木さんの経歴

1943年、神奈川県横浜市に生を受けたアントニオ猪木さん。父親はアントニオ猪木さんが5歳のときに亡くなり、実家の石炭問屋は、終戦後にエネルギー資源が石油に変わったことから倒産してしまったそうです。

生活はかなり苦しかったみたいで、貧困から抜け出せるかもしれない望みから、アントニオ猪木さんが中学生のころ、一家でブラジルのサンパウロに移住します。当初はコーヒー豆の農場で働くことになったようですが、朝5時から夕方5時まで作業に追われるような過酷な労働を強いられたといいます。
幼少期は運動神経が鈍かったというアントニオ猪木さん。1960年、たまたま興行でサンパウロに訪れた力道山さんからスカウトされ、彼はプロレスラーの道を歩むことになります。力道山さんから「裸になれ」と声をかけられ、アントニオ猪木さんが上半身を見せると、背中周りの立派な筋肉を気に入られたのだそうです。日本プロレスに入団することが決まり、日本に帰国することに。
https://www.irasutoya.com/2016/03/blog-post_821.html (2270496)

その年のうちには初試合が決まり、ジャイアント馬場さんと同じ日にデビューします。
デビュー当初は本名『猪木寛至』の名義でリングに上がっていましたが、1962年、『アントニオ猪木』に改名。リングネームの由来は、当時、名レスラーとして活躍していたアントニオ・ロッカさんのネームバリューにあやかったという説が有名ですが、日系ブラジル人の設定を強調したかったいう説もあります。
1964年、アントニオ猪木さんは武者修行をしにアメリカに旅立ちました。しかし、当時は正当な就労ピザが取得できず、アントニオ猪木さんは本名が入ったリングネームを避けていたそうです。ロサンゼルスにある日本人街をもじった『リトル・トーキョー・トム』等の名義でアメリカのリングに上がっていました。
https://www.irasutoya.com/2018/11/blog-post_456.html (2270498)

1966年、アメリカでの武者修行を終えて帰国したアントニオ猪木さん。このまま日本プロレスに在籍していてもジャイアント馬場の上にはいけないと、日本プロレスから離脱することを決意します。
そして、すでに日本プロレスを脱退していた豊登さんと共に、新しいプロレス団体『東京プロレス』を旗揚げしました。しかし、試合がテレビ放送されなかったことや豊登さんの横領で東京プロレスの業績はみるみる悪化し、旗揚げから僅か3カ月後には破産してしまいます。

当時の自民党の副総裁・川島正次郎さんの仲介もあって、その後、日本プロレスに復帰したアントニオ猪木さん。復帰後は、ジャイアント馬場さんとタッグを組んで、『BI砲』としてインターナショナル・タッグ王座を獲得しています。
アントニオ猪木さん単独でも、UNヘビー級の王座を獲得し、NWA世界ヘビー王座に挑戦しました。

同期のプロレスラーとして人気を分かつジャイアント馬場さん。次第にアントニオ猪木さんは対戦したいと思うようになりますが、当時は日本人同士の試合がタブーとされており、その要求は日本プロレスには受け入れられませんでした。加えて、日本プロレスの不透明な経理にも疑問を感じていたアントニオ猪木さん。両者の確執は1971年の追放処分で決定的なものとなります。

1972年、アントニオ猪木さんは新しく『新日本プロレス』を設立。旗揚げ当初はテレビ放送もなく、人気の外国人レスラーを呼ぶのにも難航する状況。厳しい経営状況が続きました。
それでもストロング小林さんとの大物日本人対決、ビル・ロビンソンさんとの国際対決で人気は少しずつ上向いていきます。タイガー・ジェット・シンさん、スタン・ハンセンさん、ハルク・ボーガンさんといった外国人スターの育成にも成功すると、WWWFと提携して外国人スターを呼べるように。
こうしてアントニオ猪木さんは、プロレス黄金期の片翼を担う存在になっていきました。

新日本プロレスは、プロレスこそ全ての格闘技の頂点であるというストロングスタイルを掲げます。アントニオ猪木さんは最強を証明するため、熊殺しと呼ばれる空手家ウィリー・ウィリアムスさん、プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリさんとの夢の対戦が実現しました。
こうした流れは、総合格闘技の礎として、現在も受け継がれていますよね。
1982年には、沖縄松林流空手の水谷征夫さんとともにフルコンタクト空手の団体『寛水流空手』を設立されました。

1983年には世界統一タイトルを目指し、世界最強の男を掲げるチャンピオンベルトIWGPを立ち上げました。しかし、第一回IWGP決勝戦で、ハルク・ボーガンさんからロープ越しのアックスボンバーがアントニオ猪木さんに直撃。リングサイドに落下したアントニオ猪木さんは脳震盪を起こし、屈辱のKO負けを喫しています。

1989年には国会議員として国会進出も果たしました。
スポーツを通じて国際平和を実現すると、スポーツ平和党を結成。参議院議員通常選挙で、比例区から99万票を超える支持を集めて初当選しています。この当時は、政治とプロレスの二足のわらじを履いての活動を行なっていました。
1990年、サダム・フセイン政権のイラクはクウェートに侵攻。このとき、イラクは日本を含む国際連合から非難や制裁措置を受けたため、イラクにいた日本人41人を事実上の人質として連行・国外移動禁止処分にしています。

政府間での人質開放の和解交渉は難航し、世間を賑わせましたが、アントニオ猪木さんはイラクで平和の祭典を行なうと発表。外務省はこのことに難色を示したそうですが、アントニオ猪木さんは自費でトルコ航空機をチャーターし、トルコを経由してバグダッド入りを果たしました。
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  • ライモン 2022/10/2 01:20

    猪木さんの訃報を聞いて投稿しました。僕は最近プロレスに興味を持ち始めた人ですが、やはり今の新日本プロレスの隆盛があるのも50年前に猪木さんが立ち上げたからでしょう。今年は50周年の年で本来なら祝すべき年なのですが、そんな中で亡くなってしまうのは残念です。今のオカダ・カズチカらなどの現役の新日本レスラーとの絡みが見たかった……。猪木さんはきっと今、天上界にて力道山や、最大のライバルだったジャイアント馬場、そして三沢光晴、橋本慎也など先に旅立ったレスラー達との熱き戦いを繰り広げているでしょう。残った我々は、猪木さんから受け取った元気のエールを忘れずに生きていきたい物です。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。1、2、3、ダー‼︎

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