兵藤ゆき プロフィール
本名、兵藤 由紀子(ひょうどう ゆきこ)。
1952年4月15日生まれ。愛知県名古屋市出身。
タレントであり、エッセイストも務める。活動期間は1970年から。
配偶者は文田博資。46歳で高齢出産をした息子がいる。
また、料理上手とも知られ、料理バラエティ番組で高い評価を獲得したこともある。
1952年4月15日生まれ。愛知県名古屋市出身。
タレントであり、エッセイストも務める。活動期間は1970年から。
配偶者は文田博資。46歳で高齢出産をした息子がいる。
また、料理上手とも知られ、料理バラエティ番組で高い評価を獲得したこともある。
via www.asahi.com
見た目が若く、2017年4月で65歳になるがとても還暦を過ぎているとは思えない。
ネットでも「アンチエイジングマスター」「元気の出るTVの頃から風貌があまり変わってないトコがすごい」「まだ45くらいかと思ってたわ」などと兵藤の年齢を知って驚く声が多い。
ネットでも「アンチエイジングマスター」「元気の出るTVの頃から風貌があまり変わってないトコがすごい」「まだ45くらいかと思ってたわ」などと兵藤の年齢を知って驚く声が多い。
兵藤ゆき 来歴
高校卒業後、常盤女学院服装デザイナー科に進み、ファッションショーの演出や構成を手がける。東海ラジオで投稿葉書整理を担当していた時に、ラジオ番組のパーソナリティのピンチヒッターを務め、そのままレギュラー番組を持つようになり、タレントとしてのスタートを切る。
名古屋のローカルタレント時代の代表的な番組としては、1976年より20年間にわたり続いた『ナゴヤフォークタウン』や、1983年8月まで放送された東海ラジオの看板番組『ミッドナイト東海』、つボイノリオとのコンビで司会を担当したCBCラジオの『土曜天国』などがある。
1983年、『笑っていいとも!』(フジテレビ)出演をきっかけに、その人気は全国区となる。さばさばした性格と、コミカルなキャラクターで、「ゆき姐(ゆきねえ)」と呼ばれ、人気を博す。
「ナゴヤフォークタウン」 東海ラジオ放送録音
1976年11月7日から1996年10月9日まで放送されたラジオ番組。
20年もの間、兵藤と天野良春アナウンサーのコンビで999回放送された。
『浴びせ倒しの街頭アナウンサー天野良春と、小股すくいの兵藤ゆきです』という自己紹介での始まり方が有名だった番組。
20年もの間、兵藤と天野良春アナウンサーのコンビで999回放送された。
『浴びせ倒しの街頭アナウンサー天野良春と、小股すくいの兵藤ゆきです』という自己紹介での始まり方が有名だった番組。
via www.youtube.com
ORANGE SCANDAL~エンディング(1984.7)
via www.youtube.com
『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)のコント「西日本番長地図」では、「悩みの相談、兵藤ゆき」と名古屋名物のひとつに数えられている。
1996年に『ザ・ハングマン』の主題歌「あ・れ・か・ら」で知られるミュージシャンの文田博資(ヒロスケ)と結婚。同年に長男を出産。夫の大学留学のため、1997年春から、家族とともに、アメリカのニューヨーク市で生活。夏休みの7、8月頃に日本に一時帰国して、ゲストでテレビ出演することが恒例となっていた他、子育てやニューヨークでの生活を題材としたエッセーの執筆活動を行う。
夫の留学の目的であった社会学博士号取得の目処が立ったため、2007年7月に帰国し、現在は東京とニューヨークを行き来している。
「西日本番長地図」
歌詞
”名古屋の移動はJR東海
ウイロウ、手羽先、みそ煮込み
悩みの相談兵藤ユキ
名古屋は日の本一(ひのもといち)だみや~”
(mixiコミュニティ「地元を愛する歌by西日本番長地図」より引用)
”名古屋の移動はJR東海
ウイロウ、手羽先、みそ煮込み
悩みの相談兵藤ユキ
名古屋は日の本一(ひのもといち)だみや~”
(mixiコミュニティ「地元を愛する歌by西日本番長地図」より引用)
「元気が出るテレビ」でレギュラーを務めた!
兵藤は1985年から1996年まで放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演し、人気を不動の物とした。
また、共演者であった高田純次とのデュエット曲「CHANCE!心ときめいて」をリリースし、番組内でも披露している。
また、共演者であった高田純次とのデュエット曲「CHANCE!心ときめいて」をリリースし、番組内でも披露している。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」
日本テレビで毎週日曜20時から放送されていたビートたけしの冠番組。
X JAPANや山本太郎、V6・岡田准一などを輩出した名コーナーが多数あり、伝説的な番組とされている。
総合演出はテリー伊藤。後に”電波少年Tプロデューサー”と知られることになる土屋敏男も、当時まだ若手ながら演出で関わっていた。
X JAPANや山本太郎、V6・岡田准一などを輩出した名コーナーが多数あり、伝説的な番組とされている。
総合演出はテリー伊藤。後に”電波少年Tプロデューサー”と知られることになる土屋敏男も、当時まだ若手ながら演出で関わっていた。
via yononakanews.com
via s.eximg.jp
兵藤ゆき・高田純次 CHANCE!心ときめいて (1988)
二人によるデュエット。ハツラツと元気いっぱいに歌う兵藤に対して、少し照れくさそうに歌う高田純次が可愛い。
via www.youtube.com
【本人談】テリー伊藤に誘われ、番組に出演!!
「『元気が出るテレビ』はいわゆる見る側の人たちを主役にするってコンセプトだったんです。テリー伊藤さんが最初のディレクターだったんですが、彼が私を誘ってくださった。私は、深夜放送をずっとやっていたので、ハガキをくれたリスナーさんたちからの話を元に番組が展開していく、そんな深夜放送のようなテレビ番組を作りたいって」と、兵藤は振り返る。
多くの人が印象に残っているのが「勇気を出して初めての告白」。兵藤が、人生初めての告白に緊張し、勇気を振り絞る純情な高校生たちを応援する姿は今でも覚えている読者も多かろう。今では、「この『初めての告白』も実は深夜放送のラジオからきているという。「私が『少しだけ片思い』っていうコーナーを名古屋でやってたんですよ。それで、ハガキを読んで告白したりするんだよって話をテリーさんにしたら、それをおお!って(笑)」取り上げられたと裏話を語ってくれた。