ミリンダ
プラッシー
お米屋さんで売っていた、プラッシー
1957年(昭和32年)から、主として米穀店と自動販売機を中心に販売されていた、武田食品が製造していた飲料。みかん果汁入り飲料にビタミンCをプラスしたことから、「プラッシー」と名づけられた。1980年代に生産中止となる。
昔は御用聞きに米をたのむと、米屋さんが家に届けてくれた。この時プラッシーもいっしょに運ばれてきた、昭和の思い出だ。たしか灯油も米穀店で売っていて、お米とは別に配達された。
1957年(昭和32年)から、主として米穀店と自動販売機を中心に販売されていた、武田食品が製造していた飲料。みかん果汁入り飲料にビタミンCをプラスしたことから、「プラッシー」と名づけられた。1980年代に生産中止となる。
昔は御用聞きに米をたのむと、米屋さんが家に届けてくれた。この時プラッシーもいっしょに運ばれてきた、昭和の思い出だ。たしか灯油も米穀店で売っていて、お米とは別に配達された。
via blog.goo.ne.jp
懐かしい昭和の飲み物、青春時代のスポーツ飲料、
復刻版や海外で販売されているモノももあります。
みつけたら、ぜひ飲んでみたいですね!
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みつけたら、ぜひ飲んでみたいですね!
1964年に発売された、1976年ごろからオレンジ及びグレープに関しては果汁入りで販売されるようになった。現在は国内でのビン・缶での販売は終了している。
ミリンダはファンタより甘かった、と記憶している。