スターにしきのあきら(錦野旦)
via lady-x.loops.jp
1967年に高校を卒業した「にしきのあきら」はダンス教師の父の紹介で別府のナイトクラブ『ナポリ』でトランペットを演奏していた。そして、鹿児島市天文館の『キャバレー・エンパイア』の専属となる。3ヶ月後には浜口庫之助を紹介され上京する。
鹿児島市・天文館地区の中心的存在だった『キャバレー・エンパイア』1962(昭和37)年に建設された。
最盛期はホステスは100名を超え。300人の客を周遊したという。ダンスホールを備え生バンド演奏で知られる社交場であった。2001年に閉店した。2007年に解体を始め、取り壊された。
最盛期はホステスは100名を超え。300人の客を周遊したという。ダンスホールを備え生バンド演奏で知られる社交場であった。2001年に閉店した。2007年に解体を始め、取り壊された。
1970年CBSソニーより「ソニー演歌の騎士(ナイト)」のキャッチフレーズで歌手デビューした。
via aftermath.jp
via atmatome.jp
この年、NHK紅白歌合戦に「四つのおねがい」で初出場した、歌手「ちあきなおみ」とにしきのあきら(錦野旦)の交際がスクープされた。
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にしきのあきら 空に太陽がある限り - YouTube
にしきのあきらさんの歌う「空に太陽がある限り」バックのコーラスとダンスはフォーリーブス。
via www.youtube.com
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スターにしきのあきら(錦野旦)は、韓国系日本人であることを公表
「空に太陽がある限り」が大ヒットしスター街道を登りつつある1972年に、にしきのあきら(本名:錦野 明)は、1961年に朝鮮籍から日本に帰化した韓国系日本人であることを週刊誌に告白しています。
「全アジアはひとつだと思っているし、秀吉の侵略以来自分たちは被害者なのだから、なぜ隠すのかよくわからない、隠す必要もないしわざわざ言うこともない、普通にとってくれればいい」
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スターにしきのあきら(錦野旦)は、1972年1年間に5枚のシングル・レコードをリリースしています。
(1月愛をありがとう 、4月マミー・ブルー 、5月嵐の夜、8月夢ならさめて、11月城ヶ島慕情 )
(1月愛をありがとう 、4月マミー・ブルー 、5月嵐の夜、8月夢ならさめて、11月城ヶ島慕情 )
via tweez.net
大分県立芸術短期大学附属別府緑ヶ丘高等学校を卒業しています。
(にしきの あきらはデビュー当時、レコード会社と所属芸能事務所の方針により昭和26年(1951年)生まれとなっています。)
高校時代は部活で体操に励み、国体やオリンピック選手を目指していた。体格が大きく体操に向いていないと悟り、ブラスバンド部に転部しトランペットを学ぶ。