『ホーム・アローン』とは
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『ホーム・アローン』(Home Alone)は、1990年公開のアメリカのコメディ映画。制作当時10歳だったマコーレー・カルキンの出世作として著名となった。興行収入は全世界で4億7668万ドル[1]、日本国内でも約34億円に達した[3]。
ストーリー
シカゴに住む裕福な家庭で、子沢山の大家族でもあるマカリスター家は、クリスマス休暇を利用して家族総出のパリ旅行を計画していた。しかし、旅行出発の朝、停電によってセットしていた目覚まし時計がリセットされてしまい、全員が寝坊してしまう。家族は慌てて空港へと向かったが、その際、前夜に兄・バズとのトラブルで屋根裏部屋で寝ていた8歳の少年ケビン・マカリスターが1人家に取り残されてしまった。
ケビンはうるさい家族がいなくなった事を喜び(前夜に神様に願った結果だと考える)、1人暮らしを満喫する。一方、泥棒コンビ、ハリー・ライムとマーヴ・マーチャントはクリスマス休暇で誰もいなくなった家を狙っており、事前の情報収集によってマカリスター家にも目をつけていた。
『ホーム・アローン2』
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あらすじ
前作から1年後のクリスマス休暇、シカゴ在住のマカリスター家は、親戚一同でマイアミ旅行に行くことになっていた。
翌朝、再び家族全員が寝坊してしまい、一家は大急ぎで空港に向かうが、ケビンは忘れられずに済む。しかし、空港のターミナルでケビンがカセットプレイヤーの電池を交換をしようと立ち止まり、家族とはぐれてしまう。
その後「ホーム・アローン」シリーズはキャストやストーリーを一新させながら第5弾まで続きました。第3弾ではアレックス・D・リンツ、第4弾ではマイケル・ワインバーグ、そしてシリーズ完結編となった第5弾ではクリスチャン・マーティンがそれぞれ主人公の少年を演じています。
マコーレ・カルキン
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『ホーム・アローン』と『ホーム・アローン2』で主人公の少年ケビン・マカリスター役を演じ一世を風靡したマコーレー・カルキン(Macaulay Culkin)は、1980年8月26日生まれニューヨーク州出身の俳優です。7人兄弟(5男2女)の次男で弟に同じく俳優のキーラン・カルキン、ロリー・カルキン、叔母には映画「ダイ・ハード」シリーズなどで知られる女優のボニー・ベデリアがいます。世界一有名な子役として『ギネスブック』に認定されるなど、90年代を代表する天才子役。また可愛らしいルックスと高い演技力でいくつかのヒット作にも恵まれました。
タイトル:『マイ・ガール』
監督:ハワード・ジーフ
脚本:ローリス・エレワニー
主題歌:テンプテーションズ『My Girl』
出演者:アンナ・クラムスキー、マコーレー・カルキン、ダン・エイクロイド、ジェイミー・リー・カーティスほか
監督:ハワード・ジーフ
脚本:ローリス・エレワニー
主題歌:テンプテーションズ『My Girl』
出演者:アンナ・クラムスキー、マコーレー・カルキン、ダン・エイクロイド、ジェイミー・リー・カーティスほか
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幼い友情と恋を描いた映画『マイ・ガール』(1991年)ではアンナ・クラムスキー演じるヒロイン、ベーダの幼なじみトーマス役を等身大にそして切なく演じ切り高い評価を受けました。2人のキュートなキスシーンはMTVムービー・アワードにて「ベストキス賞」を受賞しています。
タイトル:『リッチー・リッチ』
監督:ドナルド・ペトリ
脚本:トム・S・パーカー、ジョン・シャピロ
原案:ニール・トルキン
出演者:マコーレー・カルキン、エドワード・ハーマン、クリスティーン・エバーソール、ジョン・ラロケット、ジョナサン・ハイド、クラウディア・シファー、レジー・ジャクソンほか
監督:ドナルド・ペトリ
脚本:トム・S・パーカー、ジョン・シャピロ
原案:ニール・トルキン
出演者:マコーレー・カルキン、エドワード・ハーマン、クリスティーン・エバーソール、ジョン・ラロケット、ジョナサン・ハイド、クラウディア・シファー、レジー・ジャクソンほか
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1994年に主演した『リッチー・リッチ』では世界一有名な子役が世界一の大富豪の御曹司を演じたことでも話題となりましたよね。しかし当時マネージャーを務めていた父キットの非常識なギャラの要求により1994年後半にはオファーが激減。また両親が別れる際にマコーレの稼いだお金を巡り起こした裁判が泥沼化するなど、この頃から次第にプライベートでのトラブルが目立ち始めます。
1996年にマコーレーは「父と母が裁判に決着をつけるまで自分はどの作品にも出演しない」と俳優活動の休業を発表した。
1997年2月、裁判所が「マコーレーの稼いだお金は、家族ではなくマコーレーの会計士が管理するように」と命じ、同年の4月にマネージャーを務めていた父親がすべてを放棄する形で裁判は終了した。
1991年、マイケル・ジャクソンの曲Black Or Whiteのショートフィルムに登場するなど、マイケル・ジャクソンと交友があった。「マイケルがマコーレーに性的虐待」の噂が憶測でメディアに出ることになる。
2005年のマイケル・ジャクソン裁判では法廷に呼ばれ、マイケルとベッドで一緒に寝たことに、性的な意味合いは一切ないと否定した。カルキンのこの主張はマイケルの一連の容疑を晴らす事に貢献し、マイケルは無罪となり釈放された。
一連のトラブルの影響により10代にして重度のアルコール依存症と診断されたり、薬物所持で逮捕されるなど私生活は荒れるばかり。17歳という若さで女優のレイチェル・マイナーと婚約し2ヵ月後に結婚するも2年で破局。また一時はそのあまりの激ヤセっぷりから余命半年報道が出たり、何度も死亡説が流れましたが、2016年頃より本格的に俳優活動を再開させています。
脚本:ジョン・ヒューズ
製作:ジョン・ヒューズ