TV番組『水戸黄門』にゲスト出演された女優の出演回数トップ5を順にご紹介!!
2017年2月14日 更新

TV番組『水戸黄門』にゲスト出演された女優の出演回数トップ5を順にご紹介!!

かつて70年代のテレビ視聴率40%以上を誇ったTV番組『水戸黄門』にゲスト出演した女優たち、その人たちの横顔を歴代出演回数が多い順に紹介します。

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(基本情報)水戸黄門とは??

TBS系月曜夜8時放送のナショナル劇場(2008年よりパナソニックシアターと改名)での時代劇シリーズの1本。1969年8月より放送が開始された。
あらすじは、江戸時代、水戸藩2代目藩主の水戸光圀が越後のちりめん問屋に扮して諸国を漫遊しながら世直しをするというもの。テレビ界まれにみる長寿番組で、42年間多くの人に親しまれてきたが、11年12月で放送が終了した。03年12月には放送1000回を数え、歴代のレギュラーが総出演する3時間のスペシャルが放送された。最高視聴率は1979年(第9部)に記録した43.7%。主題歌の「あゝ人生に涙あり」(木下忠司作曲)は、人生の応援歌として多くの人に愛されている。

実在の水戸光圀は水戸藩初代藩主頼房の3男で、徳川家康の孫にあたる。34歳で2代目藩主となり、勧農政策や教育の振興、藩職制の整備などに力を入れた。江戸の藩邸に彰考館を建てて『大日本史』編纂に努めたが、彼が国内を漫遊したという記録は残っていない。しかし、番組では佐々木助三郎(=助さん)、渥美格之進(=格さん)を供に連れて、北は北海道の松前藩から南は鹿児島の薩摩藩まで、江戸時代琉球国であった沖縄を除く日本全国を漫遊する。だが、撮影はほとんど京都で行われ、現地ロケを行ったのは、嬉野(佐賀県)、長崎(長崎県)、金沢(石川県)、宮島(広島県)、箱根(神奈川県)などだけである。
有名な「この紋所が目に入らぬか」という決め台詞は、シリーズ開始時はその位置づけがあいまいだった。当初は「威圧的」だと内部から反対意見が出たが、実際に放送したところ視聴者の評判が良く、次第に定着していった。
時代考証的には多くの誤りが指摘されている本作だが、明朗時代劇の王道として認識されている。テレビ放映以前にも映画化されていたが、本作がこれまでの映画などと決定的に違うのは、家族で楽しめるホームドラマを目指し黄門一行の関係を「お爺ちゃんと孫の関係」と捉えたことと、忍者崩れの「盗賊風車の弥七」、旅先のガイド役にもなる「うっかり八兵衛」というキャラクターを創造したことである。第16部から登場の由美かおる扮する「かげろうお銀」も好評を博した(第29部からは「疾風のお娟」として登場)。それによって、95年にはお銀を主役とした「かげろう忍法帖」というスピンオフ作品も生まれた。

あゝ人生に涙あり 幻の3番入り

私の年代は歌詞の2番まですらすら口から出てきます。(^^♪

まずは『水戸黄門』にレギュラー出演していた女優たちのご紹介 !!

もともと『水戸黄門』に出演している俳優は男性陣が殆どであったが、レギュラーとして出演していた女優では”宮園純子”さんと”由美かおる”さんだろう。
宮園純子さんは「霞のお新」として第3-8部、第12-26部(第9ー11部はご出産のため、途中で降板)に出演していた。第16部で「かげろうお銀」(演:由美かおるさん)が登場するまではお新が劇中のお色気担当を担っていて、現在では『水戸黄門』の”入浴シーン”と言えば、由美かおるさんの名前が上がるが、元は宮園純子さんが元祖であった。
かたや由美かおるさんは、「かげろうお銀」として第16-28部、「疾風のお娟」として第29-42部に出演している。
私たちのイメージでは、毎週入浴シーンがあったように思われがちであるが、由美かおるさんが出演716回に対して入浴は200回強。単純に計算すれば、1か月に1、2回のペースだったということになる。
ちなみに、由美かおるさんは「レギュラーになった1986年当初は、時々でした。ところが、90年代に入った頃にテレビの深夜番組で『由美かおるが何時何分にお風呂に入るか』というクイズが出たのをプロデューサーがご覧になっていて、『そんなに話題になっているなら』と入る回数が一気に増えました」とインタービューに答えている。
1992年の第21部では実に8割の確率で入浴になったらしい。世の中には相当すけべジジーが多いんですね!!!
マンネリを避けるため、毎回のようにお風呂のタイプも変わったそうだ。檜風呂、岩風呂、桶風呂、五右衛門風呂・・・
何はともあれ、二人の女優のお陰で視聴率も上がったろうし、また長寿番組となる役割を担ったのには間違いないようである。
宮園純子さん

宮園純子さん

何気ないそぶりに色気がありました!!
宮園 純子(みやぞの じゅんこ、1943年5月30日 - )は、東京都出身の女優。 身長158cm。 女子学院高等学校中退。エ・ネスト所属。
1960年に東映ニューフェイスの第7期に合格。同期には三沢あけみ・三島ゆり子・結城美栄子がいる。東映へ入社後、映画・テレビ・舞台で活躍。
由美かおるさん

由美かおるさん

入浴シーンを貼り付けるかと思いましたが、止めました。
由美 かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )は、日本の女優。本名:西辻 由美子(にしつじ ゆみこ)
京都府京都市生まれ、6歳から兵庫県川西市で育つ。血液型B型。身長157cm。体重44kg。スリーサイズはB86cm W58cm H86cm。 本人によると、スリーサイズはデビュー当時(15歳)から現在までほぼ変わっていないという。私立梅花高校中退。
1962年「西野バレエ団」に入団し、1965年『サンデー志ん朝』、1966年『11PM』に出演、抜群のプロポーションと愛らしい風貌と網タイツ姿で人気を集める。1967年、音楽番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)で、金井克子や奈美悦子らと共演し、ミニスカート姿でマリリン・モンローのレパートリー等を歌って踊るシーンが話題を呼んだ。
歌手としては、1967年からのクラウンレコードを皮切りに、フィリップス・レコード、ミノルフォン、コロムビア・レコードと転籍する中で、『レモンとメロン』『炎の女』『しなの川』(後述する同名映画の主題歌)『別れる前に』『ちぎれ雲』などを発表する。
女優としては、1973年の映画『同棲時代-今日子と次郎-』で初ヌードを披露、同年には映画『しなの川』にも出演、美しい和服姿と大胆なオールヌード、処女喪失シーンが話題となった。1974年の『ノストラダムスの大予言』『エスパイ』、1976年の『超高層ホテル殺人事件』でもヌードを披露している。同年東映の大ヒット映画「トラック野郎シリーズ」4作目『トラック野郎・天下御免』のマドンナ役で出演、同時に『夜のひとりごと』が挿入歌として使用された。
1986年から、人気時代劇『水戸黄門』に「かげろうお銀」役でレギュラー出演。番組の中で披露される入浴シーンは名物となり(後述)、「疾風のお娟」と名前を変えて活躍した。ちなみに水戸黄門には「かげろうお銀」役以前から何度もゲスト出演をしていた。合気道四段の猛者でもあり、劇中では今尚華麗なアクションでお茶の間を楽しませているアクション女優としての一面もある。出身地、兵庫県川西市の源氏のふるさと大使などを務める。

そろそろゲスト出演した女優たちを紹介しましょう!!

出演回数トップ5の発表ですが、まずは第5位は同回数で大塚良重さんと北原佐和子さんがランクイン!!

大塚良重さん

大塚良重さん

今ではお母さん役が板に付いてます。
大塚 良重さん(おおつか よしえ、1957年9月15日 - )は、日本の女優。
静岡県出身。学習院女子短期大学卒業。夢工房、現代制作舎などに所属していた。
ポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』のヒロイン募集がきっかけでデビュー。
女優として数々の映画、テレビドラマに活躍。主人公の母親役としても多数出演。また、学習院女子短期大学卒業し、国語の教員免許を持つ。主な出演作品は、映画『命』『休暇』『暗いところで待ち合わせ』田中麗奈の母親役、NHK『連続テレビ小説「瞳」』、フジテレビ『永遠の1.8秒』成海璃子の母親役、『ゾウのはな子』など多数。
北原 佐和子さん

北原 佐和子さん

まだまだお綺麗ですね!!
北原 佐和子さん(きたはら さわこ、1964年3月19日 - )は、日本の女優、元歌手である。本名は同じ。
埼玉県入間郡福岡町(のち上福岡市、現・ふじみ野市)出身。デビュー時の所属事務所はオスカープロモーション、現在はプレシャスライフ オフィスSawako。朗読会主催はプレシャスライフ 心の朗読会。芸能活動の傍らでホームヘルパー2級及び介護福祉士の資格を取得し、介護士として現場で働く。
元「オスカープロモーション」の美少女モデルであり、読者モデルとして掲載された女性ファッション誌『mcシスター』を見たマネージャーによってスカウトされた。高校在学中にミス・ヤングジャンプに選ばれグラビアデビュー。同じ事務所の所属であった真鍋ちえみ、三井比佐子とともに、1981年にアイドルユニット「パンジー」を結成。自身の18歳の誕生日である1982年3月19日にシングル「マイ・ボーイフレンド」で歌手としてソロデビューすると、1985年にかけてシングル10作品、アルバム6作品をリリースした。俗に言う「花の82年デビュー組」の一人であり、当時のキャッチフレーズは「さわやか恋人一年生」。
女優に転身後はテレビドラマ・映画・舞台など数々の作品に出演。
川上麻衣子らと並ぶ「昼ドラの常連」として知られ、『牡丹と薔薇』は大ヒットとなった。
またレポーターとして旅番組などにも多く出演する。
一方で、障害者との交流をきっかけに20代の頃より介護やボランティアに関心を持っており、2007年にホームヘルパー2級の資格を取得すると、芸能活動の傍らで2008年より介護士として東京都内の施設で介護実務に携わる。2014年には介護福祉士の国家資格を取得。同年12月には、介護現場での自らの体験を元に書籍『女優が実践した介護が変わる魔法の声かけ』を執筆。「介護はじめの一歩」と題して講演活動も行っている。
またボランティア活動として、2011年よりワンライフプロジェクト東京支部代表としてワンライフプロジェクト『たったひとつの命だから』の朗読会を各地で開催。2013年には新たに自ら代表を務めるボランティア団体「プレシャスライフ 心の朗読会」を立ち上げて、「いのちと心の朗読会」を各地の小中学校や病院などで開催している。

おしくも出演回数トップ3の座は逃しましたが、堂々の第4位に輝いたのは、山本みどりさん

山本みどりさん

山本みどりさん

山本 みどり(やまもと みどり、1957年12月2日 - )は、日本の女優。本名、山下 みどり。
静岡県富士市出身[1]。所属事務所はファミリーアーツ。
東京女子大学短期大学部卒業。在学中より劇団「夢の遊眠社」に参加。
1978年、ポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』で主演デビュー。以後、テレビと舞台を中心に活躍。1986年に放映された東海テレビ制作昼ドラマ『ふれ愛』は台湾でも放映され人気を集めた。
テレビドラマ『水戸黄門』では、1994年の時点でゲスト出演回数の女優部門で歴代3位にランクインしていた。

出演回数トップ3の発表ですが、まずは第3位は中野みゆきさん!!

中野みゆきさん

中野みゆきさん

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