1982年2月15日の朝方、奥さんと泥酔して自宅アパートに帰宅し、ガスストーブをつけっぱなしで寝入ってしまった所その上にバスタオルが落ちて燃え広がって自宅アパートだけでなく隣家も全焼する大火災となったそうです。
幸い3人のお子さんは奥さんの実家に行っていた為、被害を免れ奥さんも軽い火傷で済んだのですが、佐々木さんは顔を含む全身の7割に及ぶ大火傷を負って何度も生死の境をさまよい、5度に及ぶ皮膚移植手術で一命は取り留めたが、顔には俳優として致命的な傷跡を負うこととなったそうです。
幸い3人のお子さんは奥さんの実家に行っていた為、被害を免れ奥さんも軽い火傷で済んだのですが、佐々木さんは顔を含む全身の7割に及ぶ大火傷を負って何度も生死の境をさまよい、5度に及ぶ皮膚移植手術で一命は取り留めたが、顔には俳優として致命的な傷跡を負うこととなったそうです。
俳優業を離れる事に・・・。
顔には俳優として致命的な傷跡を負ったため、声優への転向を考えていたところ「ベテラン俳優の起用は難しい」との理由で仕事は激減し長らく俳優業を離れることとなったそうです。
また治療費も含め火事のために莫大な借金を抱えることになったという。
また治療費も含め火事のために莫大な借金を抱えることになったという。
芸能界での仕事に見切りをつけた佐々木は、その後、警備員のアルバイトや焼き芋屋、さおだけ屋、ちり紙交換、網戸の張り替えなどで生計を立てていく。
現場警備が終わったら、その日の巡回警備の仕事を入れてもらった。その頃は週に7日、一日16時間仕事した。
荒れた生活に・・・。
その後、佐々木さんは、奥さんとは距離ができ、離婚する事となり、家が無いから車の中で寝泊まりする半ばホームレスのようになり、
酒を飲んで暴れたり、一日中パチンコ屋に入り浸るなど、稼いだ金をその日のうちに使い切るような荒んだ生活を送るようになったという。
酒を飲んで暴れたり、一日中パチンコ屋に入り浸るなど、稼いだ金をその日のうちに使い切るような荒んだ生活を送るようになったという。
日光江戸村に!
via www.jalan.net
佐々木さんは50歳の時に『できれば芝居を続けたい』という気持ちから、日光江戸村に行って、住み込みで芝居をするようになったそうです。
日光江戸村では、仮面ライダー2号が働いている!という噂がファンの間で広まり仮面ライダー2号編終了から20年以上経つものの、多くのファンが集まったそうです。
日光江戸村では、仮面ライダー2号が働いている!という噂がファンの間で広まり仮面ライダー2号編終了から20年以上経つものの、多くのファンが集まったそうです。
via ja.wikipedia.org
九州のファンの人から『今度、ライダーファンのイベントがあるので来てもらえませんか?』って連絡があったの。
それで福岡に行ってみると、数百人のファンが集まっていて、俺が変身ポーズをすると、いい年した大人が『仮面ライダーが大好きでした!』って涙を流しながら話しかけてくるんだよ。
その姿を見て『俺がこのままだったら、ライダーのファンに申し訳ない』って思った。
そして『もう一度、東京に出て勝負してやろう!』と決めたんだ」
東京に戻って
東京に戻った佐々木さんは、友人で役者の石橋正次さんや俳優仲間の支援で、少しずつ舞台に立つようになり、舞台『会津士魂外伝・山本覚馬』にて俳優業への復帰を果たすれています。
またその後は1998年1月まで日光江戸村に所属俳優の演技師範代として在籍し、常設舞台での芝居と並行して若手の指導にあたったという。
またその後は1998年1月まで日光江戸村に所属俳優の演技師範代として在籍し、常設舞台での芝居と並行して若手の指導にあたったという。
現在の佐々木さんは?
佐々木さんの居酒屋バッタもん情報
— 神保 良 (@goodkeepgod) June 3, 2015
拡散希望、只今、佐々木さんの居酒屋バッタもんが三周年を記念してれんこん焼酎をバッタもんで販売中、シリアルナンバー入りの佐々木さんオリジナル詩の入ったラベル限定品、残り既に30をきっております。お早めに pic.twitter.com/AoOVdoGjmh
近年は、年齢を重ねた押し出しの強い風貌を武器に舞台を中心に俳優活動を展開しています。
また2012年より生活の安定とファンの人たちが訪ねてこられる場所を作りたかったという理由から東京都板橋区に「バッタもん」という居酒屋をオープンさせています。
仮面ライダーシリーズが始まって48周年。佐々木さんは、今も戦い続けています。
また2012年より生活の安定とファンの人たちが訪ねてこられる場所を作りたかったという理由から東京都板橋区に「バッタもん」という居酒屋をオープンさせています。
仮面ライダーシリーズが始まって48周年。佐々木さんは、今も戦い続けています。