ジョジョのポルナレフだって元ネタはこの人
ジャン=ピエール・ポルナレフと間違えてここを開いちゃった人のために。
元ネタはミッシェル・ポルナレフだからね。
wikiにもちゃんと書いてあるのよ!
元ネタはミッシェル・ポルナレフだからね。
wikiにもちゃんと書いてあるのよ!
ジャン=ピエール・ポルナレフ(Jean Pierre Polnareff)は、荒木飛呂彦の漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する架空の人物。Part3『スターダストクルセイダース』、Parte5『黄金の風』に登場。
名前はフランスのミュージシャン、ミッシェル・ポルナレフに由来する[1]。
ほらね~。
日本ではミッシェルなミシェル・ポルナレフ
via ja.wikipedia.org
ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 - )はフランスの男性ポップス・シンガーソングライター、コンポーザー。フランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身。フランスでは国民的歌手としての人気があり、日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られている。
フランス語の発音ではMichelはミシェルなんだけど
日本では長年「ミッシェル」と呼ばれたり表記されたりしたので、
wikiでもAmazonでも「ミッシェル・ポルナレフ」となっています。
日本では長年「ミッシェル」と呼ばれたり表記されたりしたので、
wikiでもAmazonでも「ミッシェル・ポルナレフ」となっています。
音楽家の父、ダンサーの母、本人は5歳から英才教育
父親はウクライナ出身のジャズ・ピアニストで作曲家。
ピアフやイヴ・モンタンにも楽曲を提供していたそうです。
母親はダンサー。
そしてポルナレフ本人は5歳(5歳!)の時から
コンセルバトワールで英才教育を施されていました。
コンセルバトワールとは「パリ国立高等音楽・舞踊学校」のこと。
日本で言うなら「東京芸術大学」てとこでしょうか。芸大は子どもは入学できませんが。
そこに5歳から入って、バリバリにクラシックの勉強をしていき
10代に入った頃にはピアノで優勝したりもします。
ところがそのころ、海の向こうアメリカでは
エルヴィス・プレスリーが音楽シーンを席巻。
ロックのサウンドに目覚めたポルナレフは、
クラシックに対する興味を失い、ピアニストになることを拒否、音楽院を辞めることに。
兵役に行っても不適格者扱いされ、
職を転々としたあと、家を出てボヘミアンな生活を始めます。
ピアフやイヴ・モンタンにも楽曲を提供していたそうです。
母親はダンサー。
そしてポルナレフ本人は5歳(5歳!)の時から
コンセルバトワールで英才教育を施されていました。
コンセルバトワールとは「パリ国立高等音楽・舞踊学校」のこと。
日本で言うなら「東京芸術大学」てとこでしょうか。芸大は子どもは入学できませんが。
そこに5歳から入って、バリバリにクラシックの勉強をしていき
10代に入った頃にはピアノで優勝したりもします。
ところがそのころ、海の向こうアメリカでは
エルヴィス・プレスリーが音楽シーンを席巻。
ロックのサウンドに目覚めたポルナレフは、
クラシックに対する興味を失い、ピアニストになることを拒否、音楽院を辞めることに。
兵役に行っても不適格者扱いされ、
職を転々としたあと、家を出てボヘミアンな生活を始めます。
フレンチ・ポップスのはじまり
モンマルトルのサクレクール寺院近辺でヒッピー生活をしながら
ストリートミュージシャンをしていたポルナレフ。
やっぱりロックがやりたかったんでしょうね。
ギター一本で英語でのロックの弾き語りをしていたそうです。
ロックの本場のロンドンにも行ってみたものの、あまりぱっとせず
パリに戻ったところで、デビューのチャンスを得ます。
英語で歌いたいという願いは、デビューではかなえられず
デビュー曲「ノンノン人形」は全編フランス語。
だけどこの曲は、のちにレッド・ツェッペリンのメンバーになる
ジミー・ペイジがコード進行を書いており、
1966年シングル15万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
ストリートミュージシャンをしていたポルナレフ。
やっぱりロックがやりたかったんでしょうね。
ギター一本で英語でのロックの弾き語りをしていたそうです。
ロックの本場のロンドンにも行ってみたものの、あまりぱっとせず
パリに戻ったところで、デビューのチャンスを得ます。
英語で歌いたいという願いは、デビューではかなえられず
デビュー曲「ノンノン人形」は全編フランス語。
だけどこの曲は、のちにレッド・ツェッペリンのメンバーになる
ジミー・ペイジがコード進行を書いており、
1966年シングル15万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
Michel Polnareff - La poupee qui fait non ( Rare Original Video 1966 )
彼女は「ノン」しか言わない人形
誰も彼女に「ウィ」を教えてないんだ
彼女は僕を見もしないけど
彼女が「ウィ」と言うまで、僕は待つよ
誰も彼女に「ウィ」を教えてないんだ
彼女は僕を見もしないけど
彼女が「ウィ」と言うまで、僕は待つよ
via www.youtube.com
1966年の衝撃的なデビューののち
1970年前半にかけて、ポルナレフはフランスの国民的ミュージシャンになっていきます。
「愛の願い(Love me, please love me)」
「愛の休日(Holiday)」では、念願の英語での歌詞も入り
彼の音楽は、それまでのフランスのシャンソンとは別のものというカテゴライズをされ
「フレンチ・ポップス」と呼ばれるようになりました。
1970年前半にかけて、ポルナレフはフランスの国民的ミュージシャンになっていきます。
「愛の願い(Love me, please love me)」
「愛の休日(Holiday)」では、念願の英語での歌詞も入り
彼の音楽は、それまでのフランスのシャンソンとは別のものというカテゴライズをされ
「フレンチ・ポップス」と呼ばれるようになりました。
日本での「シェリーに口づけ」のヒット
ポルナレフのヒットした楽曲は、バラードが多いです。
もともとはコンセルバトワールでバリバリにクラシックをやっていた人間。
楽曲の構成や内容、メロディラインからイメージされる曲想は
クラシックの理論に裏打ちされるものが多く、
ポップスとはいいながら、スケールの大きい曲が多くあり
歌いあげるバラードと相性が良かったのでしょう。
もともとはコンセルバトワールでバリバリにクラシックをやっていた人間。
楽曲の構成や内容、メロディラインからイメージされる曲想は
クラシックの理論に裏打ちされるものが多く、
ポップスとはいいながら、スケールの大きい曲が多くあり
歌いあげるバラードと相性が良かったのでしょう。
愛の休日/ミッシェル・ポルナレフ Holidays/Michel Polnareff - YouTube
日本で一番ヒットしたポルナレフの曲はこれですね。
そういう意味では「シェリーに口づけ」は
ポルナレフのいつもの楽曲とは全くテイストの違う曲です。
まるでテクノポップのようなノリのいいアップテンポの曲は、
実は「渚の想い出」(発売時は「追わないで」)というシングルのB面でリリースされました。
当時のタイトルも「可愛いシェリーのために」でした。
ポルナレフのいつもの楽曲とは全くテイストの違う曲です。
まるでテクノポップのようなノリのいいアップテンポの曲は、
実は「渚の想い出」(発売時は「追わないで」)というシングルのB面でリリースされました。
当時のタイトルも「可愛いシェリーのために」でした。
シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフ Tout Tout Pour Ma Chérie/Michel Polnareff - YouTube
tout tout pour ma cherieの
「ma cherie」というのは
「マイダーリン」的な意味。
なので
「全部、全部僕のダーリンのため」
という歌詞なんだよね。
なんでこの曲のタイトルが「シェリーに口づけ」になっちまったのか、
wikiにはこう書いてあります。
wikiにはこう書いてあります。
邦題が「シェリーに口づけ」と訳された理由は不明である。「シェリー」を英語の女性名"Sherry"と勘違いしたという誤訳説もある。