広島緒方監督夫人・緒方かな子が明石家さんまと共演!アイドル時代以来、約20年ぶりに再会!
広島カープの緒方孝市監督夫人で、タレントの緒方かな子(旧芸名・中條かな子)が15日、日本テレビ系「行列のできる法律相談所 3時間SP」に出演。ゲスト司会を務めた明石家さんまとアイドル時代以来となる約20年ぶりの再会を果たした。
番組冒頭に紹介され、「おめでとうございます」とリーグ優勝を祝福された。緒方は「(優勝して)本当に安心しました。(ずっと)胃が痛い思いだったので」と笑顔で語った。
番組冒頭に紹介され、「おめでとうございます」とリーグ優勝を祝福された。緒方は「(優勝して)本当に安心しました。(ずっと)胃が痛い思いだったので」と笑顔で語った。
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1990年、アイドルデビューした中條かな子は、学園祭の女王と呼ばれ、1996年人気絶頂の最中、広島東洋カープの緒方孝市と結婚。緒方かな子となった。夫の緒方監督は寡黙な性格で知られる。そうした緒方に対し、かな子の不満が明かされた。
その一つが「予定を言ってくれない」というもの。九州男児である緒方監督は、寡黙で家でも野球の話はしない上、遠征のような家を空ける予定でも「聞かれていない」などと出掛ける直前まで言わず。最近だと、かな子は、昨年11月5日の優勝パレードの日程すら知らず、25年ぶりのパレードを見逃すところだったという。
その一つが「予定を言ってくれない」というもの。九州男児である緒方監督は、寡黙で家でも野球の話はしない上、遠征のような家を空ける予定でも「聞かれていない」などと出掛ける直前まで言わず。最近だと、かな子は、昨年11月5日の優勝パレードの日程すら知らず、25年ぶりのパレードを見逃すところだったという。
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また、昨年連勝中に緒方監督が験を担いでパンツを履き替えないという報道があり、否定するほどのことはないか、とそのままにしていたところ、昨年6月、カープが11連勝。ネットでは「緒方監督のパンツが大変なことに」「におってそう」などと心配する声が相次いだ。
かな子は「大変でした。本当電話がすごくかかってくるんです、知り合いから。『本当にパンツ替えてないの?』って。『洗ってます、毎日洗ってます』って言ったんですけど、最終的には収拾がつかなくなって、主人が会見までして『パンツ替えてます』って(否定しました)」と苦笑いで当時を振り返った。
MCの明石家さんまは、「パンツで会見を開いたのは、ほかに(薬物疑惑で『もうパンツを履かない』と宣言した)勝新太郎さんくらい」と大ウケしていた。
かな子は「大変でした。本当電話がすごくかかってくるんです、知り合いから。『本当にパンツ替えてないの?』って。『洗ってます、毎日洗ってます』って言ったんですけど、最終的には収拾がつかなくなって、主人が会見までして『パンツ替えてます』って(否定しました)」と苦笑いで当時を振り返った。
MCの明石家さんまは、「パンツで会見を開いたのは、ほかに(薬物疑惑で『もうパンツを履かない』と宣言した)勝新太郎さんくらい」と大ウケしていた。
緒方かな子(旧芸名・中條かな子) プロフィール
1973年3月4日生まれ。
広島県広島市中区出身。広島第一女子商業高等学校中退。堀越高等学校卒業。
1991年に芸能界デビュー。桜っ子クラブさくら組の創立メンバーでもあった。
学園祭の女王の異名をとり、女優や歌手、パーソナリティーとして幅広く活躍。
1996年に広島東洋カープの緒方孝市(当時、外野手)と結婚し、芸能界を引退した。
婚約発表の記者会見では、記者の「お子様は何人位、欲しいですか」の問いに「二人とも子供が大好きなので、腰の骨が砕けるまで生みたいと思います」と発言。
その後、広島を中心にタレント活動を続けている。
広島県広島市中区出身。広島第一女子商業高等学校中退。堀越高等学校卒業。
1991年に芸能界デビュー。桜っ子クラブさくら組の創立メンバーでもあった。
学園祭の女王の異名をとり、女優や歌手、パーソナリティーとして幅広く活躍。
1996年に広島東洋カープの緒方孝市(当時、外野手)と結婚し、芸能界を引退した。
婚約発表の記者会見では、記者の「お子様は何人位、欲しいですか」の問いに「二人とも子供が大好きなので、腰の骨が砕けるまで生みたいと思います」と発言。
その後、広島を中心にタレント活動を続けている。
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