“強く自由な生き様” と “美女” を教えてくれた『銀河鉄道999』
こんなふうに書くと納得していただける方も数多くいると思う。
少年のころ、松本零士の世界にどっぷりとハマった。
あれから30年以上経ち、大人になり、その魂の足跡すら辿れていない。
ハーロックやエメラルダス、トチローの強く自由な生き様や揺るぎのない義侠心、
鉄郎の無垢な冒険心や、その何もかもは、
指の隙間からさらさらと零れ落ちていってしまったように思う。
だからこそ、久しぶりに観た劇場版『銀河鉄道999』には、
甘いノスタルジーとともに、自分が失ってしまった何かを
思い出す機会を与えられたような気がした。
いま、万感の想いを込めて、『銀河鉄道999』と松本零士の世界を辿ってみたい。
劇場版『銀河鉄道999』とは?
アニメ映画がほとんど評価されなかった時代だったが、配給収入16億5000万円で1979年度の邦画1位を獲得。翌年の日本アカデミー賞で特別賞(話題賞)を受賞するなど、初期のアニメブームの象徴的な作品のひとつとなった。
●製作総指揮 今田智憲 ●企画・原作・構成 松本零士 ●脚本 - 石森史郎
●作画監督 小松原一男 ●美術監督 椋尾篁、窪田忠雄
●監督 りんたろう ●音楽 青木望 ●監修 市川崑 ●配給 東映
●主題歌 ゴダイゴ
あらすじ
美しく強く自由な生き様を魅せるハーロック、エメラルダス、そしてトチロー
僕らの社会(こと日本の社会)では、自分の信念のもとに生きようとすると、軋轢が生じることが多い。空気が読めないと疎まれるような、同調が美徳のようなこの社会で、いつしか信念などという言葉は形骸化されてしまっている。
ハーロックは、そんな現代人と対極にいる。誰にもおもねらず、強い信念を持ち、自由で誇り高い。ほんの少しでもいいから、彼のように生きたいといまさらながら思うのだ。少年のころ、初めてハーロックを観たときはそのビジュアルや強さなどのカッコ良さだけに憧れた。いまはその生き様そのものに強く惹かれる。
トチローやエメラルダスも同様だ。自分の身が滅びようとも信念を曲げることはしない。信じる者や愛する者のためには命を懸けることもいとわない。その生き様はとにかく自由で美しい。
松本零士作品の美女はまさに “青春の幻影" だ!
髪は長く美しく風との相性もばっちりで、宇宙だろうが、999の中だろうが、どこでもいい具合になびくなびく。さらに、長いまつ毛に覆われた、いくつもの宇宙が抱いた大きな瞳は国宝級で若干垂れ目な感じが可愛くもある。小泉今日子もびっくりの逆三角(▽)の完璧な顎のラインも切れ味鋭いし、スタイルなんざ、漫画だからとせせら笑うやつらの度肝を抜く、こちらもパーフェクトなラインを誇り、黒いお洋服がよく似合っていた。
ほかにもエメラルダスやらクレアやら、まあ美女のオンパレードで中間がいない。美女じゃないとおばちゃん風で、その徹底ぶりがいい。トチローの年老いた母上も昔は美女だったと思われる(たぶん)。