樹まり子って、どんな人?
1989年、「青木さえ子」という名義でAVデビュー。作品名『素晴らしき日曜日』
デビュー当時は、短大生だったようです。
通っていた短大かどうかわからないですが、どこかの短大のパンフレットの表紙になった事があるようで、そんな子がAVデビューしたものだから問題になったという噂があります。
私も、当時11PMを見ていたら、「松浪健四郎」と彼女が出演していて、その出来事を話していたような覚えがあります。。。
通っていた短大かどうかわからないですが、どこかの短大のパンフレットの表紙になった事があるようで、そんな子がAVデビューしたものだから問題になったという噂があります。
私も、当時11PMを見ていたら、「松浪健四郎」と彼女が出演していて、その出来事を話していたような覚えがあります。。。
松浪と樹が11pmで共演して松浪が「教え子なんですよ」と言ったらしい
その番組で樹が大学のパンフの表紙を飾った経緯が語られていたらしい
お!やっぱりそうみたいですね~。
そのキャンパスで樹がナンバーワンだった。余りに美しいので学校案内に出そうということになったが、どうもAVに出てるらしいという噂があり、会議になった。が、今思うと学長が立派で「どんな職業でも本人の
自由」という決断でパンフに採用された」
この時代に、立派な学長ですねぇ~!
「青木さえ子」としてデビューする前の素人時代に、ヌードで雑誌に登場していた!?
AVデビューと同じ年に発刊されている雑誌『アクションカメラ』に登場しているらしい。。。
名前は「小橋晃子」、雑誌『アクションカメラ』1989年8月号に載っているらしいです。
※関係ないですが、表紙は「川越美和」さん。ゴクミかと思いましたwカワイイですねぇ~!
※関係ないですが、表紙は「川越美和」さん。ゴクミかと思いましたwカワイイですねぇ~!
上記、雑誌『アクションカメラ』1989年8月号の記事かどうかはわかりませんが…
たしかに、「小橋晃子」と記載があります。
身長やスリーサイズもほぼ一緒。
というより、画像を見れば間違いなく彼女とわかります。
これは知らなかったです!
是非、拡大して文章も読んでみて下さい!
身長やスリーサイズもほぼ一緒。
というより、画像を見れば間違いなく彼女とわかります。
これは知らなかったです!
是非、拡大して文章も読んでみて下さい!
via 7.dtiblog.com
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青木さえ子から「樹まり子」改名し、年間約50本以上の作品に出演!
名実共に、トップAV女優だった彼女。デビューからわずか2年という短い間だったが、年間50本以上の作品に出演(AV以外も含む)。引退から2年後、「樹マリ子」として再デビュー。その時のギャラがなんと6本3,000万円と、彼女がいかに売れっ子AV女優だったかがわかる。
再デビュー作品『完全復活』(1992年、VHS アイビック)
名実共に、トップAV女優だった彼女。デビューからわずか2年という短い間だったが、年間50本以上の作品に出演(AV以外も含む)。引退から2年後、「樹マリ子」として再デビュー。その時のギャラがなんと6本3,000万円と、彼女がいかに売れっ子AV女優だったかがわかる。
via www.nkikaku.jp
伝説のAV男優「加藤鷹」が本気で惚れてしまい撮影時に起たなかったって本当!?
なんと二人は同棲していた!
54歳を迎えた今年いっぱいで男優を「卒業」(本人談)する。加藤氏が禁断の「男優と女優の恋愛」について赤裸々に語った。
この世界じゃ男優と女優がくっつくのはご法度。それに事務所のガードがきついし、AV女優にコナをかけたことがバレたら業界にいられなくなっちゃいます。
オレが5年半、樹まり子と暮らしたのは事実だけど、それは彼女がAV業界から足を洗ってた時期のことなんです。
(引用:NEWSポストセブン)
この世界じゃ男優と女優がくっつくのはご法度。それに事務所のガードがきついし、AV女優にコナをかけたことがバレたら業界にいられなくなっちゃいます。
オレが5年半、樹まり子と暮らしたのは事実だけど、それは彼女がAV業界から足を洗ってた時期のことなんです。
(引用:NEWSポストセブン)
その後、残念ながら二人は結婚する事はなく「加藤鷹」氏は、別のAV女優さんと結婚されました。
1989年、青木さえ子名義でAVデビュー。その後、『樹まり子』に改名し、1990年に活動を休止するまでの間、AVのみならず成人映画も含めて50本以上の作品に出演(月に5本弱というハイペースで作品をリリースしていたことになる)。わずか2年間の活動にもかかわらず、上記にあるように、当時のAV界での超売れっ子女優であり、当時のAV業界の景気がいかに凄かったかを物語っている。だが、人気絶頂の1990年に活動を休止し、活動の場を雑誌のコラムの執筆やインタビューの聴き手等に移し、AVの仕事は行わなかったが、1992年に『樹マリ子』と改め、再びAV女優の活動を再開する。この際の出演契約は6本3000万円で、これは2007年現在でAV史上最高額のギャラである。
AV界引退後の1990年代の一時期、中部地方で飲食店のママをしていた事もある。(「あの人は今」のような番組コーナーで、テレビの取材を受けた事もある。)活動を休止してからの2年の間にAV業界が下り坂となっていたため、「自分が出演することで、AV業界を少しでも盛り上げられたら」ということでカムバックするが、考えていたよりも盛り上げることができず、1994年に再び活動を休止。現在まで表舞台に復帰しておらず、事実上引退している状態である。
(引用:wikipedia)