芳本美代子プロフィール
1984年3月に芸映プロがマネジメントを引き受け、同年8月に上京、翌1985年3月21日に「白いバスケット・シューズ」でデビューを果たす。その年の各音楽祭で新人賞を獲得する。 なお、デビュー前にニッポン放送ラジオ「前略一世風靡セピア」の中で「美代子のハーピット占い」という機械を使ってリスナーの相性占いをするというコーナーを担当していた。
山口県のイメージ=芳本美代子、松村邦洋
— ozma@7/31ALFEE横アリ (@OzmaRockdom) July 10, 2016
主な活動<歌手>
作詞が松本隆、作曲が井上大輔と、期待の大きさが感じられます。
キャッチフレーズは「ぼくたちの妹、みつけた!」
デビュー当時のチャームポイントは八重歯。
芳本美代子 / 白いバスケットシューズ - YouTube
また、みっちょんの曲はいい曲が多いですよ。
アルバム曲の作詞が全て松本隆氏ですし。
今はデビュー曲「白いバスケット・シューズ」を
何度も聴きまくっております。
みっちょんの主なシングル曲
芳本美代子LIVE1986「ヴァニティ・ナイト」 - YouTube
芳本美代子 センチメンタルカーニバル - YouTube
昔、女性アイドル(誰か不明)が歌っていた、さらに昔の誰かのカバー曲(元の歌手もタイトルも不明)が印象に残ってたんだけど、iTunesに入っててビックリした。芳本美代子さんの「センチメンタル・カーニバル」という曲だった。元の歌手はあおい輝彦さん。レンタルしたけど聴いてない曲多い…。
— 星岡梨絵 (@room_2016) June 12, 2016
海 芳本美代子 - YouTube
CDという新しい音楽媒体にとって代わられ、従来のアナログレコードは衰退の一途を。その影響はアイドル歌手へも飛び火。ミッチョンはリリースする曲をベストテンに送り込みながらも、レコ売り上げはジリ貧傾向になるというやるせなさ。そして、87年後半あたりからは本格的な失速がはじまってしまい、1990年をもって歌手活動をエンドることに。
主な活動<ミュージカル>
これを機に、みっちょんの芸能活動の主体は歌からテレビドラマや舞台へと変わりました。
出身地:山口県小野田市(現・山陽小野田市)